- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480088598
感想・レビュー・書評
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戦争
心理
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戦争において、見知らぬ人間を殺すことは元来、非常に難しいという、我々がフィクションに侵され理解できていない点が、これでもかという文献の引用の嵐により示されていく。
一方でオペラント条件付けにより、簡単にこの点は覆されること、覆しても、解放のプロセスを踏まないと人殺しの罪悪感は抑圧され、トラウマになってしまうことが示される。
現代は、無制約にこういった条件付けがなされているという論も、本書の構成の中で説得力があった。
惜しむらくは、兎に角くどいことで、人殺しをしたことのない著者が人殺しについて語る困難と対峙するため例証を多く記載するという理由は述べられているものの、同じような論理が何度も繰り返され、シンプルな論の割に、分量が無駄に多く、ストレスが溜まった。 -
1338円購入2009-12-24
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戦場での兵士は驚くほど発砲していない。人を殺すことへの強固な抵抗感から話が始まり、朝鮮戦争からベトナム戦争にかけて発砲率を劇的に向上させた条件付けに話は進む。著者は心理学教授でもある軍人だ。アメリカの行動心理学・DSMの流派と言えるが、それ以上に現場の軍人として、数多くの体験談や先人の研究を深い共感と説得力を持ってたどっていく。殺人の衝撃は単純な距離や心理的な距離によっても簡単に左右されること、集団の存在が殺人の動機付けやその受容・合理化に果たす役割の大きさが冷静に語られる。
個人的に思ったのは、軍隊が敗走するときがもっとも死亡率が高いのは、人間にもある追跡本能のためだとすると、逆に正対する状況での発砲率の低さは、罪悪感のためだけではなくて「すくみあがり」のような緊張のもたらす部分も無視できないのではないかと言う点。そうだとすると、条件づけの効果の大きさも分かりやすい気がする。また最後のアメリカでの暴力犯罪増加の背景は、どこまでメディアの影響があるのか疑問も残る。日本には当てはまらなさそうだからだ。まずは銃規制だよな。あと保坂正康の本にもあったが軍人会のセラピー機能! -
「科学に佇む一行読書心」で紹介されていた。ベトナム戦争のアメリカ兵がとても若かったというところが抜粋されていた
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人間には殺人への強い抵抗感があり、兵士として強要されることはPTSDを引き起こすが、距離や武器など間接的になるほど後悔や自責は減る。大戦の発砲率約2割が、ベトナム戦争では脱感作と条件付けで約95%になったが、帰還後の社会に悪影響をもたらした。
殺人をテーマにした本やドラマの見方に、目から鱗でした。人間心理の研究や実験・実施の最先端がアメリカにあるのだと思いました。回復プログラムもですが。 -
目から鱗の一冊。
実際の戦場は、兵士同士が機械のように殺し合いを繰り広げている冷淡なものではない。同じ人間を殺したくないという葛藤がある。第一次大戦では銃は音による威嚇と銃座による打撃に使われていた。一方、軍指導部は訓練に人型の標的を用いたり特有の連帯感を持たせることでこの課題を克服した。(事実、第二次大戦まで兵士の発砲率が2割以下であったが、湾岸戦争では9割まで上昇した。)
ベトナム戦争で多発したPTSDへの考察も鋭い。第二次大戦時の帰還は船舶輸送が主流で、戦場から社会生活に戻るまで長い助走期間を持つことができ、戦争体験を共有することでトラウマを消化できたのだ。一方ベトナムでは兵隊たちは飛行機で輸送され、短期間で気持ちの整理がつかないまま社会復帰を強いられ心を病んでしまった。
最終章では、現代の暴力的な映画やゲームが殺人への抵抗感を薄めていて犯罪に繋がっているという指摘しているが、強引で説得力に欠ける。
戦争をすることで莫大な経済的コストが発生するのは当然だが、それ以上に目に見えない心理的コストが発生すると知らされた。前線の兵士は特にその負担が大きく、戦争が正しかったかどうかの判断はさておき、社会は彼らを肯定する必要がある。戦争をするとはどんな意味を持っているのか、その責任は兵士だけでなく彼らを送り出す側にもあることを痛感させてくれた良書。 -
第二次世界大戦までは、兵士の発砲率は15~20%程度だった。殺人が正当化されている戦争であっても、人を殺すことを抑制する傾向にあったのだ。
それでも戦場では殺人が行われる。殺人を可能ならしめる要因はいくつもある。物理的距離、権威者や集団からの要求、犠牲者が殺害されるための条件などだ。
近代の軍隊は「脱感作」と「条件付け」を行い、兵士の殺傷能力を飛躍的に高めた。ベトナム戦争における米兵の発砲率は、90%にまで向上した。
しかし殺人への抵抗を低めたところで、戦場及び殺人によって受けるストレスが無くなるということではない。戦場で傷ついた兵士を癒すのは社会だ。パレード、勲章の授与、家族や親戚、国民が兵士を誇りにすることなどだ。社会がこうした支援怠ったとき、帰還兵がPTSDを患う危険が高まる。
「脱感作」と「条件付け」は、もはや兵士だけに行われている行為ではない。ゲームや映画などメディアによる「脱感作」がティーンエイジャーに深刻な影響を及ぼしている。
戦場で兵士に何が起こっているのか?ということについて分り易く知ることができた。
過去の研究や兵士たちの証言を多数引用しているため、数字や実体験による説得感がある。
一方で、最終部のメディアと犯罪の関係は論拠が薄弱なように感じた。 -
著者は元米国陸軍将校。
人は本能的に人殺しを避ける。これは南北戦争や第一次世界大戦の研究から米国が学んだこと。ごく一部の例外を除き(例えばもともと猟奇的に殺人を楽しむ性癖とか)、たとえ戦場であっても、同類たる人類に銃を向けることへの抵抗感は大きい。むしろ殺されるかもしれない恐怖の方が、殺人を強制されるプレッシャーよりも軽いという。
ではいかにして兵士を敵に向けて発砲させるか、それが長年にわたる軍の課題であった。そして理性が働く前に銃を撃つ、その訓練を極めることにより飛躍的に兵士の発砲率は高まった。
しかし、殺人を犯した後の精神的ダメージの問題は残る。ベトナム戦争以降、多くの若い兵士達がPTSDに悩み、社会的にも貴重な人材の損失であることが分かって来た。
ひるがえって、今の(米国の)子供たちが置かれている状況はどうか?いかに殺人技術を上げるか、長年軍が研究を重ねたプログラムを応用したゲームで遊んでいる。そしてよりリアルで残虐な映像を楽むようになった。我々は一体、自国の子供達に何をしているのか。 -
本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。
第1部 殺人と抵抗感の存在―セックスを学ぶ童貞の世界
第2部 殺人と戦闘の心的外傷―精神的戦闘犠牲者に見る殺人の影響
第3部 殺人と物理的距離―遠くからは友だちに見えない
第4部 殺人の解剖学―全要因の考察
第5部 殺人と残虐行為―ここに栄光はない。徳もない
第6部 殺人の反応段階―殺人をどう感じるか
第7部 ベトナムでの殺人―アメリカは兵士たちになにをしたのか
第8部 アメリカでの殺人―アメリカは子供たちになにをしているのか