夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 521
感想 : 49
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480088642

作品紹介・あらすじ

筆下し、水揚げ、若衆入り、夜這い…。ムラであれマチであれ、伝統的日本社会は性に対し実におおらかで、筒抜けで、公明正大であった。日本民俗学の父・柳田国男は"常民の民俗学"を樹ち立てたが、赤松は、「性とやくざと天皇」を対象としない柳田を批判し、"非常民の民俗学"を構築し、柳田が切り捨ててきた性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。『夜這いの民俗学』『夜這いの性愛論』の二冊を合本した本書は、性民俗の偉大なフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を伝える。

感想・レビュー・書評

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  •  ムラの性風俗、「夜這い」については宮本常一の『忘れられた日本人』にも印象的に記録されていたが、赤松啓介のこの本はもっと徹底している。
     乱交と言うほかはないような、相手を問わず、愛だのなんだのという暇さえない性の営みが、共同体を支える実体として、執拗にえがかれていく。かなりむき出しの、赤裸々なエロスの横溢である。この「性」エネルギーは凄い。半端でない。まじめな一昔前のヨーロッパ人がこの本を読んだら、
    「日本人はついこないだまで破廉恥な性の野蛮人だった! Oh, my god!」
    と絶叫するだろう。ジョルジュ・バタイユも村上龍も、この本に比べたら可愛いものだ。奔出するエネルギーの凄まじさにかけては、ガルシア=マルケスも太刀打ちできない。
     そういうわけで、民俗学に興味のある人だけでなく、少しでも(ちょっとした興味本位でも)性民俗に関心がある人には、一読をおすすめする。
     著者はムラやマチ(の場末)におけるこれらの性風俗を、自身の体験として語っている。が、どこのムラの風俗を語っているのか時折わからなくなる。彼は柳田国男がかなり嫌いらしく、柳田国男(派)のお行儀のよい学問性に対し、ちょっと言い過ぎでないの、と思われるくらいに罵声を浴びせる。著者の語り自体がしばしば地口に近づき、一般的な「民俗学」のイメージからはみ出すような「庶民性」をむき出しにする。
     この「庶民」の哄笑、叫び、ざわめきの渦は読んでいてとても魅力的だ。その一方であまりにも柳田を責めすぎ、アカデミズムに唾を吐くチンピラめいたところも、本書にはある。
     いずれにしても、この本に圧倒的迫力で描出されたような風俗は、もはや日本国内のどのムラにもないだろう。著者はそれは文部省の政策によるものというより、戦後に社会がいったん解体し、ムラが消滅したことによる、と指摘している。
     教育をああしろだのこうしろだの、思い上がった政治家やアタマの悪いデマゴーグはずいぶん安易に叫ぶが、現在は空前の規模で世界を覆っているメディアが、民衆を「教育」しているのであり、それはかつての「共同体」の力が、「情報」と化して社会を支配し直しているのだという事実を告げている。われわれの時代の「民俗」もまた、やがて解き明かされるだろう。

  • 他の口コミにも多いけど、確かに重複するところは多くて、この話さっきも聞いたよ〜っていうお爺ちゃんの話聞いてる感覚、笑

    でも確かに思うのはお爺ちゃんの話って今では考えられないようなキテレツなことも多くてとても面白い。

    これを読んで疑問に思ったことは明治以前からも、初物が好まれるということ。なぜ男はそんなに女の初めてをもらいたいのかわからない。自分の種だとわかるからなのか!?
    でも夜這いが性教育として行われてた時も、初物は好まれると書いてあるが…
    なぜだ!!!!!!

    明治政府になり統制されて、「戦後のお澄まし顔民主主義」という表現は笑った。そのおかげで確かに、開放的すぎた性とは真逆に裏で事件が起こるかもしれない売春が盛んになり始めた。今も割とこれに近いのかもなあ。パパ活とか。


    白い肌も好まれるらしい。桃みたいで可愛いとか。
    桃は可愛いのか…?
    まあ確かに男性の肌より女性の肌の方がふわふわしてる人は多い。
    結局ないものねだりなのかな。
    優良な遺伝子を選びたいよね。

  •  昔の農村は男女ともセックスしまくりの時代だったという著者の聞き取り調査+体験の話。刺激的でおもしろい。爆笑しながら読んでいた。

  • いやぁ面白いわ。小説ではなく事実。それも昔の話じゃない。ヤノマミかと思ったわー。このくらい大らかだと性犯罪もないかもね。がしかし自分ならいいが(いいのか)娘を差し出すのはヤですね。やっぱり。
    ブログにまたもや感想文(長い)書いた。
    http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-992.html

  • 現代日本からは想像できない、びっくり日本史でした。
    昔は性に対してオープンで、みんなわりとやりたい放題だったんだなあ、と。
    読後最も強く感じたのは、この時代に生まれなくてよかったということと、この人柳田國男が嫌いなんだなということでした。
    柳田批判をしつこく書いていて、笑えました。
    また、単なる聞き取りではなく、自ら実践したもんね、と言い切る辺り、ある意味すごい人だと感じました。
    後半の商家の序列や仕組みについては興味深く読むことができました。

  • 現代の性愛倫理観というのが、いかに近代的・人工的産物であったかを痛感する。童貞必読の書。上野千鶴子の解説も良い。

  • かつてこの国のさまざまな村で見られた「夜這い」について、自身もその記憶を有する著者が、その実態を明らかにしている本です。

    柳田民俗学における「性」というテーマの欠如は、たとえば南方熊楠との対話のなかでも浮かび上がっていましたが、著者はみずからの実践体験にもとづいて、たとえば「常民」という概念の抽象性を批判しており、たしかに民俗学にとって重要な問題提起になりえていると思います。もちろんそれは、民俗学に実践的な裏打ちがなければならないということではなく、民俗学という学問そのものの性格について正しい自己認識をもつためのきっかけになるという意味ですが。

    こうした習俗があったという体験者の語りをみずから記録したものであり、かぎりなく一次資料に近い性格の本として、いまでもその意義はうしなわれていないと思います。

  • 夜這いを一般的に論じたとするには、やはり調査範囲の狭さが難点でしょう。
    どうしても、作者の性自慢みたいな感じの内容に見えちゃいますね。
    オヤジの猥談を聞いてみるくらいの気持ちで読めば面白いかも。
    ちょっと、内容に重複が多いのが残念でした。

  • 民俗学の専門家が、夜這いをはじめとする戦前の性風俗について、実体験を基に書いたもの。長年にわたり関西を中心に体験したことが基になっており、ある一面と言えるかもしれないが、当時の実態をうかがい知ることができた。性に関しては、今では考えられないほどおおらかで、あけっぴろげだったことがわかった。一夫一妻制や、結婚まで貞操を保つといった風習は、明治以降の教育によって植えつけられ、広がっていったもので、戦前には地方を中心に夜這いは普通に行われていたと主張する著者の意見には説得力がある。性風俗を語らず民俗学の権威とされる柳田國男を強く批判している。参考になった。
    「婚姻の調査についても、柳田らがわかっていないのは、明治から大正、昭和初期にかけて生きた女性の大半は、マチなら幕末、ムラなら村落共同体の思考、感覚でしか生きていなかったということである。教育勅語によってそれほど汚染されていないということだ。尋常小もロクに出ていないような人間に、家父長制とか一夫一婦制といった思考方法がなじまないのは当たり前で、夜這いについても淫風陋習(いんぷうろうしゅう)などと感じておらず、お互いに性の解放があって当然だと考えている」p34
    「村外婚が普及し仲介人や仲介業者が一般に活動するようになったのは大正に入ってからのことで、三々九度の盃を上げてという小笠原式の婚姻が普及するようになったのはさらに後のことであった。(こうしたことを柳田派の人たちは率直に記述しようとしていない)」p35
    「僕が民族調査に興味を持ったのは14、15歳の頃、大正12年頃からであるが、郷里の播磨や、奉公先の大阪などで生活してみると、小学校の修身で教えられた純潔教育、一夫一婦制結婚生活などは全く虚構であることがわかった。実社会に出てみると、その差があまりにも甚だしいので驚いた」p38
    「(教育勅語的(夜這い)指弾ムードをムラの人たちが無意識に感じ取りはじめていた)夜這い民俗がまだ残っているのを笑われないために隠そうという心理のあらわれである。夜這いは、戦後しばらくまで続いていたりしたが、教育勅語的指弾ムードと戦争中の弾圧的な風潮、そして、戦後のお澄まし顔民主主義の風潮の中で、次第次第に消えていったのである」p40
    「性交をさせない性教育など、教えない方が、まだよい」p54
    「ムラの夜這いでも、若衆が連夜出撃できるわけはないので、作業や家庭の都合もあるし、雨の晩は中止、行ってみると先客があったなどと故障も多く、数人と交渉があったとしても、平均して1週間に1度なら成績の良い方であろう」p212
    「(ムラ)同棲したからといって必ずしも双方が、相手を性的に独占したわけでも、できたわけでもなかった」p215
    「いま夜這い、雑魚寝、オコモリなど、かつてのムラでは普通であった習俗が、教育勅語的政策で徹底的に弾圧、淫風陋習として排撃されたが、その手先となって働いたのが柳田派民俗学で、彼らによって民俗資料として採取を拒否されたのは、まだ良い方で、故意に古い宗教思想の残存などとして歪められ、正確な資料としての価値を奪われてしまった。われわれ日本人は神代の昔から一夫一婦制と、処女・童貞を崇拝する純潔、純粋な民族であった、などとありましないことを真実のように教え始めていたのだが、そんな嘘を真実と信ずるバカモノはおらず、昔のままの自由な社会がまだ展開していた」p216

  • 確かにそういった話はなかなか聞けるものではないからこそ貴重な話だというのは分かるが、あの頃はよかったといった論調で柳田国男を始め多くの人物をdisっているのはいただけないし、読んでいて不愉快。
    これではただの上から目線の老害。

    ただ一つ分かったのは、昔の日本の村がよく言えば性に寛容、悪く言えば権利も人権もへったくれもない状態だったということ。
    筆者からすれば現代の私たちも教育勅語に汚染された人々(作中の表現より)と大して変わらないつまらない人物のように思うのかもしれないが、それでも襲われた襲ったのような話を楽しげに語るのを当然と思っている人と同じ時代に生まれなくてよかったと思った。

    男尊女卑的な考え方に基づいて考えているような気がするし、万年発情期というか生涯発情期ということが当たり前という考え方が気持ち悪い。
    それに、「保健の授業で習うばかりで実践しないなんてかわいそう(本文より意訳)」だなんて余計なお世話。

    貴重な経験談だとは思うが、文化として調べる対象としてはあまりにも下品すぎて遠慮したい。
    わざわざ民族“学”として調べるようなものでもないし、独断と偏見に基づいたものが多すぎる。
    これほどにも読むのが苦痛だった作品は中々ないと思う。
    二冊を一冊にした都合とはいえ、同じ部分を何度も読まされるのにはイラついた。

    個人的にそういった知識に乏しいために、四分の三くらい何言ってるかよく分からなかった。

    ただ、自分の地元の祭も祖母曰く乱交状態の祭りだったものが現代では普通の祭となったものもあり、資料をあさって調べても出てこないことを鑑みると、筆者の言い分も分からなくはない。

    作中の主題とは逸れるが、奉公人が本名ではなく仮名?のようなものを名乗っていたというのは千と千尋の神隠しのようで興味深かった。

    個人的には解説者も散々作中でdisられていたのが面白かった。

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著者プロフィール

1909-2000。民俗学者。主著に『夜這いの民俗学』『差別の民俗学』など。

「2017年 『性・差別・民俗』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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