哲学入門 (ちくま学芸文庫 ラ 4-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480089045

作品紹介・あらすじ

「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」。この書き出しで始まる本書は、近代哲学が繰りかえし取り組んできた諸問題を、これ以上なく明確に論じたものである。ここでは、分析的な態度を徹底しつつ、人間が直接認識しうる知識からそれを敷衍する手段を検討し、さらには哲学の限界やその価値までが語られていく。それはまさしく、20世紀哲学の主流をなす分析哲学の出発点でもあり、かつ、その将来を予見するものであったともいえよう。今日も読みつがれる哲学入門書の最高傑作。待望の新訳。

感想・レビュー・書評

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  •  田舎から出てきて大学生を始めたのは40年以上も前のことですが、当時(今でも?)、みすず書房から出ていた、この人の「西洋哲学史(全3巻)」が、最初に買った本だったことだけ覚えています。まあ、懐かしくて・・・・。

  • 哲学者というのは、バートランド・ラッセルみたいな人のことをいうのだなと実感。というか、数学者なのだけれど。
    『哲学入門』とは言いながら、彼の思考は、論理という頼りない光だけを手に、真っ暗な海を切り開いて進む船のよう。著者自身、この論理という道具が諸刃の剣であるということをもっとも自覚しながら、それでも、少なくとも「信じることのできる」方位を手探りで進んでいく。
    何というべきか、この「誠実さ」に読み始めてすぐに心打たれた。
    哲学=理屈っぽい、と誰もが思うのかもしれない。往々にして自分もそう感じる。でもそれは、予め自分の望んでいる結論に至るために都合のよいロジックしか用いない哲学者(というかソフィスト)の著作にしか当てはまらない。
    ラッセルのような、哲学の領分を充分に弁えている哲学者の著作は、読んでいて本当に楽しいしスリリング。というのも、ラッセルは「何が真なるものであるか」という問いは差し置いて、「何がもっとも信じるに足るものか」という基準で議論を進めているからだ。これには目から鱗だった。
    問題は真偽ではない。真偽は判定できないとしても、それでも信じることができるものがあるのかどうか。それを問うことこそが哲学の役割だったのだと気づいた。真偽は科学が証明してくれる、ある程度。

  • これは有名な本らしいが、初めて読んだ。
    だいたい、「入門」と名のつく本は、巷の書店ではロクなものを見かけない。「入門者」を馬鹿にして、些細な知識を下世話に長々と述べたり、「5分でわかる」などとわかるわけもないのにハッタリで初心者をだまそうとする。そして結局、肝心な知識は得られない。
    しかしこの本は確かに良い「哲学入門」なのかもしれない。
    バートランド・ラッセルは『論理的原子論の哲学』も面白かったが、一流の数学者でもあり、科学的で冷静な物の見方をする人だと思う。レヴィナスなどとは正反対だが、知的刺激を与えてくれる点ではとても有効だ。
    本書では「このテーブルは実在するのか?」というテーマに始まり、順序を追って哲学的なトピックを取り上げてゆくが、著者は実に緻密に・真面目に論理を追っていて、読むだけで頭の柔軟体操になりそうだ。
    「関係」という項目に興味を惹かれたが、これはいささか舌足らずで終わってしまい、ちょっと残念だった。
    哲学初心者にこの本を薦めることには賛成だ。他の本よりずっといいだろう。じっくり時間をかけて読み返せば、新たな地平が開けるだろう。

  • 哲学書は非常に難解だった。

    読んだ内容が頭に入らず、各々の章で何が論じられているのかがわからなかった。おそらく哲学的なモノの疑い方がまだまだ身に付いていないからだと思う。

    ただ、哲学の本質は問う行為そのものであり、問うことによって、一定の価値観に固執することなく、広い価値観でもって物事を見れることにあるというのは理解できた。

    この本質の上にたてば、哲学的なものの考え方を身につけることで、「こんな考え方もあるのか!」と驚きを与えられるモノの見方を身につけられると思った。

    問う行為が大切であり、答えは関係ないわけだから、どんどん疑いをかけるための演習を積んでいこうと思う。

  • 今のこの世界においてすら、心に対する善は、身体に対する善と少なくとも同程度には重要である。こういう心に対するさまざまな善の中にのみ、哲学の価値は見出される。また「哲学を学ぶことは時間の無駄ではない」ということに納得できるのも、そのような善に対して関心が持てる人だけだ。
    ・・・・・・『哲学入門』187頁

    「哲学とは何か?」を知りたいと感じたなら、まずはこの本を読むべきなのかもしれない。哲学が今なお抱え続ける問題とその解釈を、歴代の哲学者を通して解説してくれている。もちろん全てではないし、ラッセル流の解釈なのだろう。難解な部分や曖昧さを感じる部分もあるが、『哲学入門』という題をつけるだけあって、哲学的知識のない人への配慮を感じる文章に思えた。

    哲学は他の自然科学に比べ、多くの不確定さを持ち合わせている。
    だが、天文学や心理学も元は、哲学が扱っていった分野であった。研究を重ね、確かさを獲得した分野が哲学から独立し新たな学問として名前を持つようになった。それゆえに、哲学が不確定さを持つという捉え方は正確ではなく。未だ科学に答えられない問題こそが哲学なのである。
    という、解説には、大きく頷かされた。

    また、十五章からなる本文だけではなく、
    「ラッセル本人による序文」、「ジョン・スコルプスキによる解説」、「訳者である高村夏輝による解説」を読むことで、より正確に本書を理解できる。

  • 1回読んだだけでは理解しえない内容です。否。哲学には「理解する」という完結・完成・完了の状態が到来しないことを知ることができただけでも十分な成果だと思いたいです。図や絵で示される部分がなく、文字情報だけからできるだけの自分の頭に落とし込もうとするには私の頭では限界がありました…。日本語にはしにくい文章を、うまく訳されているとも思いました。その反面、自分の語彙力の貧弱さが明らかになりました…。

    でも、せっかく本からすくい上げたラッセル式の解読手法を、できるだけ指のすきまからこぼさないようにするための努力はできましたし、それを通じて世界を知るための視野を広げることはできたのでは?と思いたいです。それをラッセルは「哲学」の存在意義とも認めていますが。個人的には、ラッセルが述べている面識、知識、知覚について、電子情報であるIT社会の正確や、遺伝子情報にまで解体された人間の本質という情報工学や生物学の視点から哲学をとらえなおしてみると面白いかな?なんて頭の中に描きながらも、哲学と生物学と情報工学なんて、どれも自分の得意分野にかぶってないじゃん!って自戒したのでした…。

    同じ時間を同じ場所で過ごしていても主観となる立ち位置が異なるのであれば、個々人がとらえる世界は全く違うもの。テーブルを視覚的にとらえることがどうして個々人の間で似たような知覚と理解を生み出しうるのか。それは先天的か、後天的か。そういう違いを意識する一方で、共有している私達の人間の不思議。哲学書の中では平易に書かれ、例えも身近です。面白かったです。哲学の必要性を、この本では珍しく、熱い言葉でもって最終章に記したラッセルの言葉はとても良かったです。この部分だけ立ち読みで済ませるだけも(出版社としてはNGでしょうけど)十分価値ある本だと思います。でも時間をおいて再読が必要であることに変わりはありません。以前、ヤスパースの『哲学入門』を読んだことがありましたが、これを土台にラッセルを読めたことが良かったのかもしれません…。

  • タイトルが示すほどには、一般向けではないような。

  • 最後まで読み終わった時、
    やっと「だから“入門”なんだ」と気づきました(遅い)。

    「たとえばここに、茶色の四角いテーブルがあるとします」
    といったところから
    自分の見ているもの、感じているもの、考え方、取り巻く環境、などなど
    ありとあらゆるものを丁寧に1つずつ注意深く14の視点で考察しながら
    「哲学ってこういうこと」を示してくれる紳士対応の1冊。

    最終章にあたる15章で、ラッセルはこう述べています。

     哲学の価値は主にその不確定さそのものに求めるべきなのである。
     世代や地方ごとの習慣的信念や常識から、
     そして心に浮かんだことを…鵜呑みにすることから、
     さまざまな偏見が生まれる。哲学的素養がまったくない人は、
     一生をこうした偏見にとらわれて過ごす。(略)
     それに対して、…哲学をはじめるやいなや、
     …はなはだ不十分にしか答えられないような問題へと導かれる。
     それらが引き起こした疑いに対して、哲学は
     ―正しい答えを確実に知らせられないとしても―
     多くの可能性を指摘できる。
     そうして私たちの思考を広げ、習慣の抑圧から解き放つのである。(p190)

    丁寧な口調の中に
    「これでもあなたは“哲学なんて必要ないです”って言えますか」
    と突きつけてくるような鋭さがあって
    もしかしたらラッセルは
    私たちの視野が狭くなること
    隣の人の文化を受け入れられなくなること
    未知のものへの恐れ故に攻撃してしまうこと
    そんな風に「何にも感じないし、何も考えられなくなってしまうこと」に対して
    危機感を覚えていたのではないかな、
    なんてことを想像してしまいます。

    とりあえず
    体験授業でも…と思って気軽に1ページ目を読んでしまうと
    その瞬間からラッセル先生の生徒になりますので
    受講料(=書籍代)のご用意を。

  • 難しくて入門できなかった。

  • 現象、経験、物質、観念、普遍、等、哲学の基本的な問題を、緻密に検討して、きわめて常識的な結論に導いている。そこがすごいが、面白みに欠けることは否めない。様々な思想を取り組み際に、何度も立ち戻り読み返すべき本かもしれない。「センスデータ」というあえて訳さない訳語が成功していると思う。

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著者プロフィール

1872-1970。イギリスの哲学者。17世紀以来のイギリスの貴族ラッセル家に生れる。ケンブリッジ大学で数学・哲学を学ぶ。1895年ドイツを訪れ、社会民主主義の研究に打込む。1910-13年にはホワイトヘッドと共に画期的な著作『プリンキピア・マテマティカ』(3巻)を著わし、論理学や数学基礎論に貢献した。第一次大戦が勃発するや平和運動に身を投じて母校の講師の職を追われ、1918年に4カ月半投獄される。1920年労働党代表団とともに革命後のロシアを訪問。以後社会評論や哲学の著述に専念、ヴィトゲンシュタインとの相互影響のもとに論理実証主義の形成によって大きな影響を与えた。1950年哲学者として3度目のノーベル文学賞受賞。また原水爆禁止運動の指導者のひとりとして99歳の生涯を閉じるまで活動を続けた。多数の著作のうち邦訳の主なものは『西洋哲学史』(1954-56)のほか『懐疑論集』(1963)『ラッセルは語る』(1964)『人生についての断章』(1979)『私の哲学の発展』(1979、以上みすず書房)『哲学入門』(1965、角川書店)『ラッセル自叙伝』(全3巻、1968-73、理想社)など。

「2020年 『西洋哲学史【新装合本】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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