恋愛の不可能性について (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 212
感想 : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480089588

作品紹介・あらすじ

愛=社会性をめぐる謎を考えるのは、言語哲学のパズルを解くのに似ている。それは「言語」こそが、人間をまさに人間たらしめている人間の秘密をもっとも明白に示しているからだ。愛という他者との関係における神秘に言語学的なアプローチで光を当てる表題作のほか9篇。貨幣と他者、宗教と音楽、言語と理解など、現代思想を自在に駆使しつつ社会の諸相に切り込み、その形式を徹底して論理的に解明し、他者とのコミュニケーションの実像を読み解く。現代社会学の先端を疾駆する力作を揃える。

感想・レビュー・書評

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  • この人っていつもタイトルはすごい素敵なんだけどな。中身は好きになれないんだよな。

  • 難解なのに何故か筆者の論理を追い続けたくなる。愛する理由を全てくまなく挙げ連ねることができないし、<他者>と自己の距離は絶対に零にはならない。けど、難解。

  • なんか文章が小難しくて読みにくい。
    面白げなことが書かれているのだけど、理解困難。

    「恋愛」については、一章さかれているだけで、それが本書のメインテーマというわけではないようです…。
    うーん。

    これを一般人にも理解できるような文体で書きなされたものが読みたい。

  •  思考の枠組みの強度を試すには、その思考の形式がどれほどの実効性を持ちうるかを示してみればいいわけで、その実験の成果が一冊に編纂されたものが、この本だと私は思っている。
     驚くほど、本書で扱われる思考の形式は、同じだ。
     しかし同一の形式の適用可能性を問うことは、あらゆる一次情報に対するアナロジーを可能にすることでもあって、それがなされ得ると確認されることで、一様でしかない思考の形式が一つの強力な言説機能を有するものとして、思想の枠組みに回収されることになる。
     掘り下げることよりも、転回することを望む思想。外側へ外側へ、運動することを、関係することをやめず、その関係性の糸の多さで、自らの強度を示そうとする。いかに本質的であるかを、本質への接近によって示すのではなく、事実との照合によって示そうとする。ネットワーク的に拡散するそのこと自体が本質的であるように振舞う思想。
     だから一見その思想は何よりも正しげに見える。切れ味が鋭いからだ。さしあたっては、この思想を用いることで、恋愛についても、文学についても、音楽についても、宗教についても、語ることができる。そしてこの形式の上においては、それらの語り方は、決して破綻していないし、それ以上に正しい。
     それが正しさなんだよ、と言い得るかについては、少し保留にしておきたい。
     ネットワーク的に思考が可能であるということは、いくつかの鍵概念を生み出せば、後は思考を自動化することが可能である、ということでもあるからだ。だが、そのことが一つの倒錯を生む。本書において思考の枠組みの強度は常にあらゆる事象への適応可能性の中で問われる。ところがその一方で適応される個々の事象は、対象として取り上げられた時点ですでにその思考の枠組みにおいて読み替えが行われたものとして与えられている。「鶏が先か、卵が先か」という話になってくるのかもしれないが、すでに説明が可能なものとして内包されたメタ情報のみを取捨選択しているのであれば、すべての結論は先取りされており、表面上の思索の流れも、その表皮を取り払えば徹頭徹尾同語反復である、ということにもなりかねない。形式の鋭さに、わかったような気になる、そういう危険性も孕んでいる。
     ただ、こう反論することも可能だろう。
     スマートな思想、見栄えの良い思想は警戒すべきであるという考え方、それ自体がかなり形式に毒されている、ということ。また、鍵概念による説明の万能感というのは、社会学全般が持っている危険性でもあって(多分宮台さんなんかもろにそれだろう)、実際のところそれ自体は一時的に括弧で括って読まれている、前提である、ということ。
     そんなわけで、以上のことを全部ひっくるめて、改めて本書の魅力とは何か、と問うならば、私はもう、著者の文芸力みたいなものがすごいからだ、と答えるしかないかなあと思います。あらゆる記述は基本的には倫理的な着地点を必要とする、というか、そういう意志を持たずに記述の意欲はわかない、記述するという行為にその意志は内包されている、と私は思うし、記述のベクトルとはその意志に支えられてるものであると思うのだけど、文芸力というのは、その意志を明示的にであれ暗示的にであれ、あるいは直接的にであれ間接的にであれ、記述の内に表象できるかってことで(今勝手に定義した)、あえて乱暴な言葉を使えばこの一連のプロセスが非常に小説的な魅力を放っているのが、この本なわけです(この辺、かなりつっこみ待ちですが)。
     恋愛とは元来不可能なものであって、それは宇宙の中心性が決定不可能なところに追い込まれ続けることである。だけどその不可能性に向かっていかざるを得ないし、不可能なものであると認識しても尚それを意志せずにはいられない。そのどうしようもない絶望の連続に向かって、ある意味愚直なまでに思考を刻み続けていく。それ自体すでに恋愛小説的に読まれ得るものであることはもう、自明でしょう。
     つまり、どういうことかというと、あれです。きゅんきゅんした。

  • 固有名詞と恋。

  • 「他者を愛するということは、自己の行為、自己の指示を、他者の体験にとって有意味であるように、定位することにほかならない。私はあなたの喜びのために、またあなたの悲しみのために、行為する。愛する者は、その愛が真実であることを示すために、自ら行為することを強いられる。愛される者は、ただ受動的に何者かを体験していればよく、せいぜい彼/彼女の体験へと愛する者が自らを方向付けるのを期待するのみである。それに対して、愛するものは、その行為の結果が、愛される者の体験において、肯定的な価値をもつものとして、意味づけられて現れるように、行為しなくてはならない。それゆえ、愛というコミュニケーションにおいて、選択性は(他者の)体験から(自己の)行為へと移転する。ところで、他者の体験へと定位することは、結局、体験の包括的な領域としての他者の宇宙へと自己の行為を方向付けることを含意する。」
    (2009.6「第1章 恋愛の不可能性について」)

  • 論文集。
    言語論を主として、面白い視点から恋愛を分析している。

    最後のコミュニケーション(メディア)論を語る章では、オウム真理教のシャクティパット、ヘッドギアなるものから、解説ではエヴァンゲリオンまで、様々な例を引き合いに出し、現代のコミュニケーションを辛辣に語っている。

    電子メディアに染まった現代人に忘れがちなものを呼び起こさせてくれそうな気がする。

  • ヴィトゲンシュタインからクリプキへ。
    大澤真幸の初期の珠玉の論文が収録。
    こいつは凄いぞ。
    タイトルにもなっている恋愛の不可能性は必読。

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著者プロフィール

大澤真幸(おおさわ・まさち)
1958年、長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。思想誌『THINKING「O」』主宰。2007年『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞、2015年『自由という牢獄』で河合隼雄学芸賞をそれぞれ受賞。ほかの著書に『不可能性の時代』『〈自由〉の条件』『社会は絶えず夢を見ている』『夢よりも深い覚醒へ』『可能なる革命』『日本史のなぞ』など多数。共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『げんきな日本論』などがある。



「2021年 『〈世界史〉の哲学 近代篇2 資本主義の父殺し』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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