- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480090133
作品紹介・あらすじ
父・千葉桃三から算法の手ほどきを受けていた町娘あきは、ある日、観音さまに奉納された算額に誤りを見つけ声をあげた…。その出来事を聞き及んだ久留米藩主・有馬侯は、あきを姫君の算法指南役にしようとするが、騒動がもちあがる。上方算法に対抗心を燃やす関流の実力者・藤田貞資が、あきと同じ年頃の、関流を学ぶ娘と競わせることを画策。はたしてその結果は…。安永4(1775)年に刊行された和算書『算法少女』の成立をめぐる史実をていねいに拾いながら、豊かに色づけた少年少女むけ歴史小説の名作。江戸時代、いかに和算が庶民の間に広まっていたか、それを学ぶことがいかに歓びであったかを、いきいきと描き出す。
感想・レビュー・書評
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『算法少女』は江戸時代に出版された算法(数学)の本である。千葉桃三という医師が娘のあき(章子)の手助けを得て書かれたものではないか、といわれている。
「たらちを 過ぎにしころ ものがたりしたまひけるは―」
あきが書いたという前書きを著者が何度も読み返し、想像を膨らませて、算法が好きなあきの活躍と算法をめぐる派閥争いの物語としてドラマチックに描いたのが本書である。
町医者の娘であるあきは、上方出身の父親の手ほどきを受け、上方算法を学んでいる。
ある日、観音堂にお参りに来たあきは、奉納された算額(自分の考えた算法の問題と解答を絵馬に記したもの)の回答が間違っていると思わず指摘してしまい、聞きとがめた奉納者、水野三之介という若者に目をつけられてしまう。三之介は武家の出で、江戸算法の有力流派である関流の総統、藤田貞資の直弟子であった。
三之介とのことがあってからしばらくして、そのことを聞き及んだ久留米藩主、有馬候から、あきを姫の算法の指南役に召し上げたい、という話が舞い込む。ところが、上方算法に対抗心を燃やす藤田貞資が、あきと同じ年頃の娘をあきと競わせ、勝者を指南役としてはどうか、いったものだから大変である。あきは、算法家の流派争いにいやおうなく巻き込まれていく。
「はじめに」の中で記されているのだが、『算法少女』が出版された安永年間は、「数学を学ぶ少女」という題名の本が町の人の手で出版されるほど、武士だけではなく、町人たちの学習意欲が高まった時代であったそうだ。一方、本書で描かれる通り、日本古来の数学である「和算」は、当時極めて高い水準にありながら、派閥のせまい考えの中で発展せず、西洋数学に後れを取ってしまったのだという。
本書ではまた、当時の村人の厳しい生活と、その中でも抑えきれない学問への欲求についても丁寧に描かれる。
自分が欲すればいくらでも勉強することができて、たいていの本は無料、または安価で手に入れて読むことができる、現代の私たちはなんとぜいたくなのだろう。そのありがたさを改めて気づかせてくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代に幸運な偶然と、本人の熱意で和算を習った女の子の話。
丁寧な解説もついており、江戸時代の和算流行の様子を窺い知ることが出来る。
『きりしたん算用記』とともに読むととても味わい深い。 -
冲方丁さんの『天地明察』を読んで以来、なんとなく和算に関する本に目がいくようになりました。
本書も以前から読んでみたくて購入していたのですが、しばらく積読本の山に埋もれていました。
江戸時代の和算書『算法少女』に影響を受けた著者が、当時の史実をもとに創作した児童文学です。
1973年に岩崎書店から刊行され、一度は増刷が打ち切られたものの、多くの人からの声によってちくま学芸文庫から復刊されています。
初めて刊行されてから約40年が経過しているにも関わらず、とてもみずみずしく楽しい物語でした。
主人公のあきは、町医者の父から算法を教わっており、かなりの実力を持った少女です。
観音様のお祭りの日、奉納された算額絵馬の間違いを指摘したことから、その実力が周りで評価されはじめ、ついにはお屋敷からもお声がかかり…。
江戸時代、武士や町人といった身分に関わらず、算法が広まっていたことがよくわかります。
また関孝和からはじまる関流の算法と、他流の算法とのあいだにある優劣の競い合いなど、当時の日本の学問の状況が垣間見えるのもおもしろかったです。
自流のやり方に固執する人もいれば、海外にまで視野を広げて学問の現状を変えたいと願う人もいる。
時代は違えど、同じような状況は現代でもありますよね。
あきがまだ若いのにしっかりしていて、読んでいて気持ちがよかったです。
周囲の大人の声に流されず、自分で考え、自分の思ったように行動する。
あきの行動力と度胸に、力をもらった人も多いはず。 -
江戸神田の町人、木賃宿で暮らす人々、お武家様、お大名、そして算法学者、といった登場人物たちの暮らしや関係性が描かれ、読み物として楽しい。司馬遼太郎などがよく言う、江戸時代町人の持つ合理主義を尊ぶ精神、その一方で流派の面目争いにとらわれて視野狭窄に陥る人々の姿、先進的で西洋の数学もどん欲に研究する人、などなどエッセンスはじゅうぶん。もともと少年少女向けの物語ということもあり平易な文章でさくっと読める。
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江戸時代のリケジョの話なのだが、非常に面白い。同名の元ネタの本は、安永4年(1775)に刊行された和算書。本書は、最初に岩崎書店から1973年に出版されている。児童向けではあるが、大人が読んでも楽しめる、数学が苦手でも大丈夫。漢字にふりがながふってあるし。あと、挿絵が秀逸。
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『算法少女』というのは、実際に存在する和算の本である。安政4(1775)年に出版され、著者は壺中隠者・平章子とされている。現存するのは数冊という稀覯本であるが、国立国会図書館のデジタルコレクションなどで見ることができる。いかつい漢文と仮名混じりの柔らかな和文が代わる代わる出てくる。ところどころに和算の幾何問題の図が挿入されている。
この著者については、長らく謎とされてきたが、昭和の初めに数学史家の研究により、千葉桃三という医師とその娘のあきであることが判明した。漢文部分は父、和文部分は娘の書いたものと思われる。
明治維新前の和算の本としては、女性が著者に名を連ねているのはこの本のみである。
本書は、この江戸時代に出た和算の本を元に、著者・遠藤寛子が空想をふくらませ、あきがどんな風に算法に親しみ、本を書いたのかを物語仕立てにしたものである。
千葉桃三やあきについては知られていることが多くはないため、大部分は著者の想像ということになる。だが、なるほどこんな算法好きの女の子がいたのかもしれないと思わせる、生き生きとした少女の姿がそこにある。
あきは父の手ほどきで算法に慣れ親しみ、時には母が眉を顰めるほど、夢中になって問題に取り組む日々である。当時、和算の学習者は、難問を考え出し、それが解けると、問題を絵馬にして神社仏閣に納める習慣があった。算額と呼ばれるものである。あるとき、あきは友達とお寺参りに行った際、算額の解答の中に誤りを見つけてしまう。それはあるお侍が奉納したものだった。年端も行かない娘に間違いを指摘された侍はいきり立つが、確かにあきの方が正しかった。しかし、これをきっかけにあきは騒動に巻き込まれてしまう。
関孝和の流れをくむ関流と上方流の学閥の対立。江戸の出版事情。数学好きのお殿様。無学な町の子たち。
さまざまな困難と闘いながら、あきは好きなことを極めつつ、自分の進むべき道を凛と決めていく。しゅっと背筋の伸びた少女の姿が清々しい。
著者・遠藤が和算書『算法少女』を知ったのは、在野で幕末から明治の理化学書を収集していた自身の父からであったという。幼い頃に漏れ聞いたこの話を、長じて愛すべき作品に結実させた。
元々は1973年に別の版元から出版され、一度は増刷が打ち切られた。だが数学関係者らの尽力により、2006年にちくま学芸文庫として復刊が果たされた。このあたりの経緯にも著者あとがきで触れられているが、なかなか興味深い。 -
壺中の天。お酒を飲む楽しみという意味だけではなく、この世とは別世界のような楽しみを持つことを現す。和算が江戸の庶民に親しまれていたことがよくわかる。今でいうクイズのような感覚かもしれない。アハ体験を楽しんでいたのだろう。算数とか数学に目を向けてみたくなった。
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江戸時代の数学(算法)のありようがイキイキと描かれている。
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一度絶版になるも復刊ドットコムの投票を得て2006年ちくま学芸文庫から復刊された本です。
私も早速、書店で買い求めて読みました。
感想。
面白かった!!!
です。
実に素直に伸び伸びと書かれているのですね、全体が。
算数好きの少女の物語と言えば、そうなのですが、
それ以上に人への思いやりとか、学問への真摯な情熱が描かれている本です。
読み終えた後の爽やかな読後感、たまりません。
まだ読まれたいない方は、是非読んでみては、とお奨めです。
すぐに読めます。 -
この本を読んで、昔学んだ鶴亀算を思い出した。
方程式で解くのとは違い、解答に至る考え方が独特な面白さで興味深かった思い出がある。
考え方を学ぶという意味では、非効率な方法であっても今の小学生にもぜひ教えてもらいたいと思う。
さて本書だが、実在の和算本を題材としているらしい。出てくる主要な登場人物も実在の人物のようだ。
ストーリーはテンポの良い展開と多少のミステリ的要素を加えた物語で、和算に興味がなくても楽しめる小説。