物質と記憶 (ちくま学芸文庫 ヘ 5-2)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480090294

作品紹介・あらすじ

「純粋知覚から記憶へと移行することで、われわれは決定的な仕方で物質を離れ、精神へと向かう」-本書において著者は、観念論・実在論をともに極論としてしりぞけ、事物でもなく表象でもない、中間的なものとして「イマージュ」という概念を提唱する。そして、精神と物質との交差点として、記憶・想起の検証へと向かう。デカルト以来の近代哲学最大のテーマ「心身問題」に、失語症研究など当時最先端の科学的知見を動員しながら、緻密な論証で新しい"二元論"を展開する。今日、心脳問題への関心の中で、その重要性がいっそう、高まる主著。

感想・レビュー・書評

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  • 訳:合田正人、松本力、原書名:Matière et mémoire:ESSAI SUR LA RELATION DU CORPS À L'ESPRIT(Bergson,Henri)

  • [ 内容 ]
    「純粋知覚から記憶へと移行することで、われわれは決定的な仕方で物質を離れ、精神へと向かう」―本書において著者は、観念論・実在論をともに極論としてしりぞけ、事物でもなく表象でもない、中間的なものとして「イマージュ」という概念を提唱する。
    そして、精神と物質との交差点として、記憶・想起の検証へと向かう。
    デカルト以来の近代哲学最大のテーマ「心身問題」に、失語症研究など当時最先端の科学的知見を動員しながら、緻密な論証で新しい“二元論”を展開する。
    今日、心脳問題への関心の中で、その重要性がいっそう、高まる主著。

    [ 目次 ]
    第1章 表象に向けてのイマージュの選択について―身体の役割(現実的作用と可能的作用;表象 ほか)
    第2章 イマージュの再認について―記憶と脳(記憶の二つの形式;運動と想起 ほか)
    第3章 イマージュの残存について―記憶と精神(純粋想起;現在は何に存するか ほか)
    第4章 イマージュの境界画定と固定について―知覚と物質、魂と身体(二元論の問題;従うべき方法 ほか)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • むずかしいむずかしい。次読むときは解説から読もう。
    とりあえず心身二元論の超克や、純粋想起/知覚、イマージュ等の問題系を扱っていることは分かったが。

    ちょっと面白かったところだけ。ここらへんは面白い。
    過去と現在、記憶と知覚の関係。
    p.219
    この一致の揺るぎなさ、これら二つの相補的な記憶が互いに挿入される際の精確さに、われわれは「見事に調和のとれた」(bien équilibrés)精神、つまり、結局は完璧に生に適応した人間たちを認めるのではないだろうか。行動の人(homme d'action)を特徴づけているのは、与えられた状況を救援するために、その状況に係わるすべての想起を呼び寄せる時の迅速さである。しかし、行動の人を特徴づけているのはまた、役に立たないか重要でない想起が識閾(seuil)に現れながら、行動の人のうちで突き当たる乗り越えがたい障壁でもある。まったく純粋な現在のなかで生きること、刺激に対してそれを引き継ぐ直接的な反応によって応じることは、下等動物の特性である。そのように振る舞う人間は衝動的な人(un impulsif)である。
    しかし、過去のなかで生きることの楽しさのために過去のなかに生きる人は、行動にほとんど適応しておらず、その人において、想起は現在の状況の利益となることなく意識の光りに照らされて浮かび上がる。それはもはや衝動的な人ではなく、夢見る人(un rêveur)である。
    これら二つの極端な状態のあいだには、現在の状況の輪郭を正確に辿るのに十分な従順さと、他のすべての呼びかけに抵抗するのに十分な力強さとを兼備した、記憶の幸運な配置[構え]が存している。良識(bon sens)あるいは実践感覚(sens pratique)はおそらくこれ以外の何ものでもない。
    [この後、子どもの記憶の発達の話が続く...]

  • 苟も史学研究者を自称する者が何の疑問も抱かず「記憶とは個人の脳にアルバムのように蓄積しているもの」と信じきっていたことに違和感を覚え、本書に出会った。難解と言われる本書だが、難問に対し慎重に書かれていることがわかる。

  • 噂に違わず難しい本だ。この難しさは問題を細かい所まで検討している点にある。第一章は、物を心の知り得ない延長でもなく、また心の中にしかない幻想でもない「イマージュ」としてとらえることから出発し、実在論と觀念論が極端な発想であることを指摘する。第二章では、物と心の交差点である記憶について検討し、脳が記憶をたくわえているのではないことを指摘する。とくに脳の病理学を参照して、失語症などは結局、脳が身体の運動にアクセスできなくなることで起こると指摘し、記憶が物や運動の中にあることを結論している。第三章は、現実への探り針である身体の役割が説かれ、第四章では二元論が再検討されて、自由の問題も検討されている。ポイントは、脳を「行動の道具」であると規定していること、身体の役割を復権させているところであろう。結局、知覚は物・感覚器官・脳・行動などがつながった回路なのである。精神だけを分析してもおかしなことになるのだ。知覚が脳のなかにあるのではなく、脳が知覚のなかにあり、過去が未来へ伸びていく物の流れの中にあるのだ。結局、物はあるがままにあるし、心と物は異なるのだが、こうした身体の行動を通して、心身を合一する回路が形成されると指摘している点が、単なる二元論とは異なる。翻訳としては、テニヲハが抜けているところが三カ所(p78-13,92-12,222-14)はあった。「伸張的」という重要な概念も分かりにくい。なんか他の訳語はないのだろうか。だが、論旨を追いやすく区切ってあるし、索引や訳注が充実している点は優れていると思う。「あとがき」によると、九鬼周造が、ベルクソンと彼の一人娘に会ったことがあると書き記しているそうだ。ベルクソンの一人娘は聾唖者で、ベルクソンは九鬼に失語症のことについて語ったという。とても興味深い内容である。本書の内容は、養老氏の『唯脳論』などにも影響を与えているように思う。昨今の娯楽「脳」番組に洗脳されないためにも読まれていいと思う。

  • 物質とは何か、記憶とは何か。
    人間が認識する「現在」は実はすでに記憶である。

    脳のいわゆる知覚的諸機能と、脊髄の反射的諸機能とのあいだには程度の相違しかなく、本性の相違はない。

    とか、難しくてまとめるのが大変だが、個人的にはたいへん面白く読みました。

  • 初ベルクソン。知らない言葉や概念のオンパレードで内容理解にはまったく入れなかった。それでも次の一冊に進んでみようと思う。

  • 世界観が変わった一冊。読みづらいけど‥

  • 未読。二元論の克服のために、身体をイマージュへと一元化する。

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著者プロフィール

1859-1941。パリ生まれ。フランスの哲学者。コラージュ・ド・フランス教授(1900)。アカデミー・フランセーズ会員(1914)。ノーベル文学賞(1927)。主著に『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)、『物質と記憶』(1896)、『創造的進化』(1907)、『道徳と宗教の二源泉』(1932)など。

「2012年 『ベルクソン書簡集 Ⅰ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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