動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480090973

作品紹介・あらすじ

ある日、大きな画用紙に簡単な猫の絵を描いて飼い猫に見せた。するとすぐに絵に寄ってクンクンと匂いを嗅ぎだした。二次元の絵に本物と同じ反応を示す猫の不思議な認識。しかしそれは決して不思議なことではなく、動物が知覚している世界がその動物にとっての現実である。本書では、それら生物の世界観を紹介しつつ人間の認識論にも踏み込む。「全生物の上に君臨する客観的環境など存在しない。我々は認識できたものを積み上げて、それぞれに世界を構築しているだけだ」。著者はその認識を「イリュージョン」と名づけた。動物行動学の権威が著した、目からウロコが落ちる一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 人にも動物にも昆虫にも、それぞれ主体的な環世界があるというのは、目から鱗でした。
    その世界をイリュージョンと呼び、物理的真理とは別に、そのイリュージョン無しでは生きていけない。また、ヒトはとりわけイリュージョンによる世界観が変わる事を喜ぶ生き物だとしたら、この本もまた、私のささやかなイリュージョンを変えてくれる本でした。

  • ★どのような本★
    動物と人間の環境における認識の違いを述べた本。イリュージョンという言葉で、そのニュアンスを理解し易く説明されている。

    ★感想★
    分かりやすい言葉で読み易く、理解ができた。中高生くらいでこの本に出会っていれば、「生物」に対してより興味を持って学べたのではと感じた。
    自分が見えている世界が全てでは無いし、自分が見えない世界もあると感じた。
    意味の与え方次第で、それぞれの捉え方が変わってくること。本の内容からは逸れるが、これが人間として認識できていれば、宗教や思想の違いによる争いは、少しは減るのではという事を思った。

  • 日高敏隆 著「動物と人間の世界認識」、2007.9発行(文庫)。少し難しいですが、なかなか興味深い内容でした。一端を紹介しますと:①動物にとって意味のあるものは「食べ物」と「敵」。芋虫にとって食べられる葉以外の植物は意味がない。また、ハチが来ると地面に落ちて逃げる。②アゲハの飛ぶ道は決まっている。日が当たっている木の梢に沿って飛ぶ。日陰になっている所は絶対に飛ばない。アゲハはミカン科の木(日のあたる所に生える木)の葉に卵を産み、幼虫はその葉を食べて育ち、その木でサナギになり羽化する。アゲハに意味のある木は、ミカン、カラタチ、ユズなどミカン科の木。

  • 面白いしわかりやすいし考えさせられるし万人にお勧め。何回でも読み返したい。

  • 個人的にはごくごく当たり前のことが書いてあるなと思うのだけれども、村上陽一郎氏のあとがきを読むとどうやらそうでもないらしい。

    筆者の使うキーワードが副題にもある「イリュージョン」なんだけれど、「イリュージョン」と言われると引田天功しか出てこなくて弱った(笑)。

  • 認識というものが生じている時点でそれはすでに客観的ではあり得ない。我々の認知している世界は科学的であろうが論理的であろうがすべて主観なのである。最終的に言っていることはそういう身も蓋もないことだけど、結論に至る途中で動物行動学的研究による知見をいろいろと知ることができて面白かった。特に新鮮な驚きがあったのはチョウの世界認識と遺伝子の利己性だろうか。動物行動学からのアプローチで人間の認識論に迫る内容はとても興味深かった。人と動物の認識の違いに興味が湧いていたのでちょうどいい本だった。
    ただ一つ言うと、本書の最重要キーワードである「イリュージョン」という言葉の意味がいまいち分かりずらい。文脈によって意味がふらついているようにも思える。最終的には「主観的視点」と置き換えて読んでいたが……。「そうとしか思えない世界認識」とかの方が適当だろうか。いずれにせよもう少しはっきりと定義してほしかった。
    本書を読んで分かったことは、動物は本能(遺伝的プログラム)に基づく世界認識しか持たないこと。一方、人間は本能を超えた世界認識を持つこと。この違いは大変興味深い。しかし、遺伝子の規定通りにしか認識できないと言われると、それは本当の意味で生きていると言えるのだろうかという疑念がよぎってしまうのは人間の性だろうか。生きているという認識がないのに生きているというのはどういう状態なのだろう。反対に、生きていることを認識できる人間という存在はいったい何なのだろう。ここにくると、やはり最も不可思議な動物は人間だと私には思える。

  • 日高先生の生物の本は大好きです。

  •  客観的環境というようなものは、存在しないことになる。それぞれの動物が、主体として、周りの事物に意味を与え、それによって自分たちの環世界であり、彼らにとって意味のあるのはその世界なのであるから、一般的な、客観的環境というものは、存在しない。つまり、いわゆる環境というのは、主体の動物が違えばみな違った世界になるのだというのである。(pp.39-40)

     同じカブトムシでも、オスとメスは時期によって、まったく違うイリュージョンの中で生きることになるのである。オスは、食物である樹液と子孫を残すためのメスの匂いと姿、メスは、食物である樹液と産卵のための腐葉土の匂いという、まったく違うものに意味を見出す。同じ種の動物においても、オス、メスによって、また、その時の状況にとって、世界はさまざまに異なるのである。
    人間についても、同じようなことがあるのは当然である。早い話がオスとメス、つまり男と女によって世界は相当に異なる。しかも年齢によっても異なるし、状態によっても異なる。(p.109)

    世界がどんなふうにできていて、誰のおかげで世界があるのかというようなことをイリュージョンによって構築しなければ、その時代の人びとはきっと生きていけなかったであろう。そのようなことは他の文化・文明についてもみな言えることである。(p.149)

  • [ 内容 ]
    ある日、大きな画用紙に簡単な猫の絵を描いて飼い猫に見せた。
    するとすぐに絵に寄ってクンクンと匂いを嗅ぎだした。
    二次元の絵に本物と同じ反応を示す猫の不思議な認識。
    しかしそれは決して不思議なことではなく、動物が知覚している世界がその動物にとっての現実である。
    本書では、それら生物の世界観を紹介しつつ人間の認識論にも踏み込む。
    「全生物の上に君臨する客観的環境など存在しない。
    我々は認識できたものを積み上げて、それぞれに世界を構築しているだけだ」。
    著者はその認識を「イリュージョン」と名づけた。
    動物行動学の権威が著した、目からウロコが落ちる一冊。

    [ 目次 ]
    イリュージョンとは何か
    ネコたちの認識する世界
    ユクスキュルの環世界
    木の葉と光
    音と動きがつくる世界
    人間の古典におけるイリュージョン
    状況によるイリュージョンのちがい
    科学に裏づけられたイリュージョン
    知覚の枠と世界
    人間の概念的イリュージョン
    輪廻の「思想」
    イリュージョンなしに世界は認識できない
    われわれは何をしているのか

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 動物によって感覚器の違いがあり、認識している世界も異なります。
    それぞれが認識している世界のことを環世界といいます。
    興味深い例があげられていました。
    イタチはトリにとって天敵です。
    イタチがヒナを狙って巣に入り込もうとすると親ドリは勇気をふるって立ち向かいます。
    イタチのお腹にヒナの泣き声がでる小さなスピーカーをつけておきました。
    そして耳が聞こえる普通の親ドリの巣に入れました。
    親ドリは、恐ろしい敵であるイタチを巣に招きいれ、あたかもヒナをあたためるように翼を開き、羽の下に這いこませようとしたそうです。
    トリの世界では、視覚よりも聴覚が重視されていることがわかります。

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著者プロフィール

【訳者】 日高敏隆 (ひだか・としたか)
1930年生まれ。京都大学名誉教授。2009年歿。

「2018年 『利己的な遺伝子 40周年記念版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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