眼の隠喩: 視線の現象学 (ちくま学芸文庫 タ 29-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (399ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480091888

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  • 新書文庫

  • 自由の女神とインディアン・クイーン、人形の家、家具カタログ、写真、ベッド、椅子、そして現代の都市における摩天楼といったさまざまな「もの」を取り上げて、それらの「もの」に注がれる私たちの視線がどのような精神史的背景の中で形成されてきたのかを考察している。

    視線やまなざしの政治学という本書の主題はフーコーの仕事を思い起こさせるが、「解説」で内田隆三が指摘するように、著者の手法は、言説を分析の対象にしたフーコーよりも、「もの」に込められた歴史の稜線をたどってゆくベンヤミンの仕事に近い。

    とはいえ、本書の主題となっているのは、「もの」そのものというよりはむしろ「もの」を取り巻く「視線」である。ここで言う「視線」とは、「世界を織っている集合的な経験」を意味している。これに対して「もの」そのものは、それが有する固有の屈折率によってそこに集まる視線をたわませることで、それについての集合的な経験を構造化している当のものだと言うことができるだろう。こうした「もの」そのものに即した歴史的経験の分析は、本書よりもむしろ著者の『「もの」の詩学』(岩波現代文庫)において顕著に見られる。

    著者が「文庫版あとがき」の中で、「いかにも若書きであり、方法が剥き出し」だと述べているのは、こうした本書の考察の仕方に不満を覚えたためではないかと思われる。本書は、「もの」そのものではなく「もの」に注がれる私たちの「視線」を分析の対象にしているために、精神史的考察という方法論的な視座があたかも確固とした足場として確保されているかのような外観をまとってしまっている。だが、じっさいに「もの」にまなざしを注ぐという振舞いを離れて、私たちの視線の歴史的形成を客観的に記述することなど不可能だ。本書の孕んでいるこうした問題が、より「もの」そのものに即した分析へと著者を動かしていったのではないだろうか。

  • たいそうおもしろうございました。だがしかし、おもしろいわりにはうまく感想が紡げないという感じ。扱っている個々の物が非常にユニークでありまして(ex,自由の女神、人形の家、カタログ、パノプティコン、写真、肖像、寝台、椅子、都市)、それに付随する形象の変遷(社会状況の変遷)もきれいさっぱり。…どう考えてもこれくらいしか思いつかないから、とりあえず個々の物の歴史は無視して、全体への基調だけでも記そうと思う。

    この本は物の形象に刻み込まれた「(集合的な)まなざし」に注目し、物とまなざしからその当時の社会状況、あるいは社会の雰囲気を読んでいる。

    以上…。趣味的読み物としてよかったです。

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著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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