- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480092014
作品紹介・あらすじ
三井財閥と久能木一族が争った一等地・日本橋室町、薄幸の皇女の影をひきずる林野庁宿舎跡地、天海僧正が京都を模した上野の山…。どのような土地にも、時を経ても消えることのない歴史・記憶の堆積、「地霊(=ゲニウス・ロキ)」がある。それは、土地に結びついた連想性と可能性を生み、その可能性の軌跡が都市をつくり出していく。江戸から平成まで、近代の東京の歴史は、そうした土地の歴史の集積として見ることができるだろう。数奇な変転を重ねた都内13カ所の土地を、新しい視点から考察し、広く話題を呼んだサントリー学芸賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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東京の地霊
東京都のあらゆる土地の明治時代からの歴史が描かれている。
どの土地も、もとは江戸時代の藩主の屋敷が起源となっており、東大の赤門も加賀藩の名残である。興味深かったのは上野。
天海の構想により、江戸には様々な京の街の写しが存在している。寛永寺は増上寺とならんで江戸の鬼門に鎮座すると共に、比叡山延暦寺の江戸の写しという意味も相まって江戸城の東北に建立される。そして、比叡山のふもとの琵琶湖に模して見立てられたのが、上野の不忍池である。天海の徹底ぶりはすさまじく、不忍池には、琵琶湖にも存在する小島とお堂が作られたのである。天海は上野という場所に京都の写しを作ったことにより、江戸の鬼門を守る地霊を吹き込んだのであった。歴史は下り、江戸時代が終焉する際、彰義隊は上野の山で陣を構える。明治政府の大村益次郎は、様々な攻め口があった中で、彼らを上野にて正面衝突して討ち死にさせることを決める。大村益次郎は、江戸を攻めるということのイデオロギー的な意味を理解していたと言える。鬼門に鎮座する上野にて、幕府軍を撃破することこそが、江戸という都市を霊的に破壊することであったのである。一方、明治政府としてもその後の上野の開発には最大限の敬意を払ったのであり、美術館や博物館、動物園などの施設を構える場として、今では生まれかわりながらも、東京の鬼門を守護しているのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
地霊と言っても心霊写真の類ではない。ラテン語の「ゲニウス・ロキ Genius loci」の著者による訳語で、定義は難しいが「その土地のもともとの地形、そこに起こった歴史や出来事が気配として残っていること」というようなもののようだ。土地柄、とか地歴、とかいうと陳腐になってしまうが、「地霊」は時を経てもその地の建物や雰囲気を規定し続けている、という。
建築家である著者は、独自の視点で特徴ある地形を徹底的に調べ上げ、実際に足を運び、土地そのものの息遣いを読み取ろうとする。まさに「お堅いブラタモリ」。
目次からいくつか拾い上げると「港区六本木:時代に翻弄された皇女の影を引きずる林野庁宿舎跡地」、「千代田区紀尾井町:怨霊鎮魂のため袋地となった司法研修所跡地の変遷」、「文京区椿山荘:権力者・山形有朋の土地と庭園に対する眼力」・・・。
というわけで興味は尽きないわけだが、エピソードの多くはつまるところ幕末から明治維新において立ち上がってきた、あるいは破壊された地霊を論じている。ゲニウス・ロキは一体いつから宿り始めるのか、という疑問は気になる。早い話、東京が舞台ならさほど違和感がないが「京都のゲニウス・ロキ」がもしあるなら、幕末なんて「ついこの間」である。平安時代の地霊によって鳥羽伏見の戦いが規定されてもおかしくない。
と思っていたら、続編の「日本の地霊」も刊行されていた。というわけでもこちらもぜひ読みたい。 -
藤森さんが解説で喝破しておられるが、この本、「地霊」という概念を認めるか認めないか、或いはどう捉えるかで評価が変わってきそう。
個人的には、面白く読んだが、よくよく考えると、本書で追っかけている江戸末期から現在ではたかだが二百年くらい。その短い期間でその場所の変遷に何かを見出そうとしても、やっぱりこじつけになるかな。
日本でも京都に行けば、千年を超える「地霊」がある。それくらいになると霊と呼んでもいい何かがありそうな気がする。 -
面白かったです。
自分が知らなかった事を知る事ができるのが
本の面白さのひとつだと想います。 -
18世紀イギリス発の「地霊(ゲニウス・ロキ)」という概念を軸にしつつ東京の土地の歴史を叙述した1冊。江戸時代から昭和までの東京のあゆみ、その東京がいかに江戸時代以来の伝統に根ざした都市になっているかということを明快に指摘した画期的都市論である。
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歴史とからめた話がおもしろい。
上野寛永寺の話 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738219 -
2021/09/01