恋愛論 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 112
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480092922

作品紹介・あらすじ

恋愛-だれもが人生で一度は心を奪われ、突如として世界を輝かせたり、理性的な人をも狂わせたりする、このあらがいがたく、不思議な力はいったいなんなのか?他方で、恋の激情が過ぎ去ったあとに、あたかも夢から醒めるかのようにそのリアリティが失われるのはなぜなのか?こうした生の二重性をもっとも露わにする「恋愛」がもつ意味とは?プラトン、ゲーテ、ドストエフスキーをはじめとする哲学者たち、文人たちの格闘の軌跡を辿り、永遠不滅のテーマ「恋愛」を哲学する。エロティシズム、「美」や「死」の問題にまで迫り、人間の「実存」に新たな光をあたえた名著。

感想・レビュー・書評

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  • 過去の文学名作品の批評的考察から恋愛についての本質に迫っていこうと試みられた作品。恋愛が元になっているので、フィクションが元になっているということで、それで人間の本質にというのは、なんとなくしっくりこないところではあるが、小説もまた人が作り出すものということから考えれば、これも人の諸相を示す一つの出発点としても問題なかろうというところからきているのだろうと納得させながら読みました。恋愛が語られる名作をダイジェストで味わうこともできるので、よい面もありますね。

  • 2017.6.1
     ロマン性に関する著者の議論は他の本でも何度か読んだことがあるんだが、どうもピンとこない。自分が惚れた相手に対して、ある種の理想が現実において再現される可能性を見ている、というが、恋した時のあの感覚を、ドキドキを、そういう風に説明できるのよく分からない。しかし、じゃなんと説明すればいいのかというと中々難しい。
     ある人に、惚れる。あの時のあの心の感じを、どう説明すればいいのか。説明不可能さに対して感情はあまりにも強く、故にこそこれは文学のテーマにもなってきたのだろう。
     忘れられたものの由来というものは、私自身を内省しても出てこないものであり、故に説得力にかけるのかもしれない。幼少期の挫折の蓄積から生まれるロマン性、しかし確かに子供の時は、何かヒーローというか、ロマン的な世界観を生きていた。少女にとっては白馬の王子様的な話である。だから、ロマン性の存在は確かに納得する。それは中二病と言われるものの正体とも思える。問題は、恋愛もまたそれなのだろうか、ということであり、またロマン性というがそのロマン性の存在ではなく、そのあり方が問題である。
     惚れるとは、あのロマン性、ワクワクやドキドキを、最も抽象化された形で、相手に対して見ている、ということなのだろうか。子供の頃のロマン世界ならわかる。しかしそれと、いまになっての恋愛とが、繋がるようには思えない。何より、じゃあ恋愛しているときは子供の時に感じていたあの世界の感覚だろうかと言われるとそうでもない気がする。
     挫折し修正されながら心の奥底にしまわれてきた生涯におけるロマン性の一切が、一気に放出するとでもいうのだろうか。うーんなんとも分からん。
     ただ、恋愛というものを私はあまり考えてこなかったし、しかし恋愛とは人間のなんたるかを示す大きな手がかりだし、なので、この本に限らず、いろんな本を読んで、人間の欲望論的なあり方を考えてみたい。考えたところで出てきはしないだろう。しかし本を読まずに私が自分で考えたところでどうして出てこないのだろうか。また考えても出てこないから読むというのは、まず考えてからこそ言えることであり、考えてもいないことを読んでも、その読んだものを判断するなんの基準もない。まず自分で一から考える。その上で人の言葉を聞く。これだろう。

  • 相手のことを想って胸を焦がすような「恋愛」という体験の意味を、実存的な観点から解き明かそうとする試みです。

    われわれは恋から醒めた時点から振り返って、プラトニックな愛にのぼせ上がって「現実」が見えていない状態だったと考えたり、あるいは恋愛の本質は単なる肉の欲望であり、それを「恋愛」を呼ぶ人は事実を覆い隠す美しい虚構に酔っているにすぎないと考えたりします。しかし恋愛のただなかにある者たちは、相反するはずのプラトニズムとエロティシズムをまったきひとつのものとして生きています。本書がめざすのは、こうした特権的な時間と、それが醒めた後の日常的な時間との間にある大きな齟齬のもつ意味を解明し、「恋愛」の実存的な本質を取り出すことです。

    人間社会は、他者とのかかわりのなかで自己の「アイデンティティ」を勝ちとるゲームにほかなりません。社会のなかで「自由」を実現しようとする自己は、何らかの「自我理想」を掲げ、他者からそうしたアイデンティティを承認されることで、自己の「自由」を獲得することになります。ところが、かけがえのない欲望の対象である恋人の心を得るということは、「自分が自分である」という理由だけで愛される、純粋な可能性を意味していると著者はいいます。それは、自己が掲げるロマン的な理想が、いっきょに自分の生として現実化される可能性を与えるのです。また著者は、こうした愛し合う恋人どうしの間でのみ許される「美」を侵犯することにエロティシズムの本質があるという主張を展開します。

    このほか、著者はコンスタンの『アドルフ』やスタンダールの『赤と黒』、さらにトルストイやドストエフスキーの文学作品を手がかりに、「美への希求」と「情欲」が一つになる恋愛が、実存にとってどのような意味をもつのかということを追求しています。とくにドストエフスキーの作品は、このような実存のありようそのものに対する問いかけが認められると著者はいい、その重要性を明らかにしています。

  • メモ

    現実とはむしろ自分が自分に付け加えようとしたロマン的幻想が他人との関係の中で剥ぎ取られる不断のプロセスでありそこで人間が思い知っていく可能でないことの動かしがたい秩序のことなのだ
    だから生活感情のリアリズムとはいわば無数の心の傷の記憶の累積だと言える
    22

    ある欲望の視線において取り換えのきかない対象として見出されること。このことが事物の「この」性を作り出す源泉なのだ。
    同51ページ

    もしも思慮が何かの美の場合と同じような視覚に訴える自己自身の鮮明な映像をわれわれにに提供したとしたら恐ろしいほどの恋心を駆り立てた事ことであろう。その他魂の愛をよぶべきさまざまなの徳性についても同様である。しかしながら実際には美のみがただひとり美のみが最も明らかにその姿を顕わし、最も強く恋ごころをひくという、このさだめを分けあたえられたのである。
    同68 引用パイドロス


    美徳にしても、恋にしても、どちらがより多くの苦難を堪え忍ばせる力を持っているかが問題なのである。
    マノン・レスコー

    恋愛とは、一瞬を本質とするエロス的快楽を通じて永遠につながろうとする欲望となる。と言うより、一瞬の中に永遠を直感するような欲望となる。だからそれは本来パラドキシカルな欲望なのである。167ページ

    「愛すること」、その優れたモデルは信仰による隣人愛にではなく、あの情熱恋愛にある。そこでは、他を愛することが自分を愛することと「一致」し、そのことで愛の自己中心性を不思議な仕方で抜き取るからである。
    268ページ

  • 恋愛を哲学の様々な視点から分析した、哲学初心者に向ける良本。

  • 面白かったけど、難しかった。

    十年前に読んでいたら、ちんぷんかんぷんだったと 思うわ。

  • 読みやすいと思えた本。
    きっかけは8割フィーリングでしたが読んでみるとこれが面白いことにすらすら進んでいきました。

    所々やはり難解な部分も残ってはいますが哲学書=殆ど初体験の私でも理解出来るような内容です。
    とにかく、恋愛とは良くも悪くも特殊な経験であることに間違いはなさそうです。経験すべきなのでしょう笑

  • 「エロティシズムとは、禁止線を踏み越え、美を穢すことにある。」

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者、文芸評論家。著書に『「自分」を生きるための思想入門』(ちくま文庫)、『人間的自由の条件ーヘーゲルとポストモダン思想』(講談社)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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