選択本願念仏集 (ちくま学芸文庫 ホ 14-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093226

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  • 悟りのための修行は、読経・密教修行・座禅・念仏など、いろいろあるが、念仏こそが極楽へ往き生まれる(往生する)ための最善の方法だ。ひたすら「阿弥陀如来に帰依します」と念ずれば、極楽浄土に生まれ変わることができる。極楽浄土に生まれた後、かならず悟りを開く(成仏する)こともできる。無知で愚鈍のまま念仏を唱えよ。専修せんじゅ念仏。法然『選択せんちゃく本願念仏集』1198
    ※一神教の祈りを初めて仏教に取り入れる。
    ※比叡山で修業(13歳)。浄土開宗(43歳)。選択本願念仏集を執筆(66歳)。親鸞が弟子になる(法然69歳)。延暦寺・興福寺の衆徒が専修念仏の停止を訴える(法然72-73歳)。弟子が後鳥羽上皇の寵愛を受けた女官と密通した疑いで、法然は高知へ流罪に(74歳)。香川や大阪(勝尾寺)を経て、老齢になってから京都に戻ることが許される。

    念仏は呪文ではなく、光明への感謝のことば。霊魂を否定。浄土真宗。親鸞『教行信証』1224
    ※呪術性を排除し、偶像を否定した点で、プロテスタンティズムに似ている。

    (親鸞は説く)自力で善行を積める人は阿弥陀如来への信心が弱い。一方、煩悩にまみれて他力にすがるしかない人は阿弥陀如来への信心が強い。信心が弱い自力で善行を積める人でも、阿弥陀如来は極楽浄土に導いてくれるのだから、信心が強い煩悩まみれの他力の人は当然、阿弥陀如来は極楽浄土に導いてくれる。唯円ゆいえん『歎異抄たんにしょう』

    「阿弥陀様に帰依します」と唱えれば、信心さえ不要である。▼六道輪廻の間には、ともなう人もなかりけり。独り生まれて独り死す。生死の道こそ悲しけれ。『一遍上人語録』
    ※一遍(1234-1289)。時宗。各地を旅する。遊行。鎌倉時代。空也(平安時代)からの影響。踊念仏。清浄光寺しょう・じょうこう・じ、神奈川県藤沢市。

    人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。...一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。...野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々疎かなり(言い尽くせない)。人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。蓮如『御文章・白骨の章』
    ※蓮如(1415-1499)。浄土真宗本願寺派第8世宗主。中興の祖。室町時代

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