身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫 ル 6-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (680ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480094308

感想・レビュー・書評

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  • (01)
    身ぶりと言葉は、身体的には手と口に対応し、それは脳の中でも互いに近所となる領域で処理されている活動でもある。また人間が形成する社会の方において、身ぶりは技術に拡張し、言葉は記憶や情報技術に対応する。
    著者は、この二者がそれぞれに発達してきたのではなく、互いにその特質を補い合いながら人間と社会を進化させてきたことを本書で明らかに(*02)している。また、人間という種の始まりから、その二者によって猿などの動物との距離を隔てていたことを脳(頭蓋骨)の断面から推測している。

    (02)
    過去に遡るほど人間が残した痕跡は少ない。1万年から3万年ほど前になると、人間自らの骨や打製石器(*03)、洞窟壁画、集落遺構といった物を今に遺している。著者は、これらの遺物を丁寧に分析し、それらの道具や図像を用いていた旧人たちは既に現代人とそれほど変わらない脳を持って世界に対応していたことを示す。また、技術や言語の外化(*04)はまだ発達段階にあったものの、それらの遺物の観察と比較によって、思考する力も現代とそれほど変わっていなかったことを推し量っている。

    (03)
    石器から尖った点を打ち出すために、数度にわたり手と石によって、角度を変えながら打撃を与えている。その形にはリズムが宿っており、象形の羅列化が進んだ絵文字にもリズムを見て、言語の端緒を探っている。また、そうした絵や書字は、口語による音声を伴ってようやく意味や象徴を解することができると考えている。
    農業の発達とその蓄積は、都市化と並行しており、都市の形(遺構)の平面にも絵のような象徴作用を見ている。都市にある方位やミクロコスモスの図像の引き写しがそれである。

    (04)
    記憶装置の応用として、現代の図書カードやパンチカードを扱っている。1960年代の最新のデジタル技術の成果を取り込んでいるが、半世紀後の今日ではその記憶技術は飛躍的に拡張しており、著者の文脈に従えば、人類の危機的な情況はより深刻な局面にあるといえる。ほかにも、核、オートメーション、映像といった現代的な技術にも目を向け、警告を発しているように感じる。また、人間が人間である以上は、身ぶりや言葉から離れることができないことに可能性を嗅ぎ取っているようでもある。

  • 圧倒的な情報量で迫ってくるので、その内容の多くを噛み砕けていないけれども、人間と動物の境界線を「直立歩行」に見出したり、技術と人間の関係性については、極めてマクルーハン的な発想(いや、マクルーハンがルロワ=グーランの議論を参考にしているのか?)でとてもとてもメディア論的で面白かった。いつかもっと熟読して、マクルーハンの議論と並走させながらメディア論に沿って読んでいきたい。

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