「科学者の社会的責任」についての覚え書 (ちくま学芸文庫 カ 1-4)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480094346

感想・レビュー・書評

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  • この本を手にするきっかけとなっているのは、加藤尚武(ひさたけ)氏の『現代倫理学入門』の最終項--15科学の発達に限界を定めることができるか--の中で、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の一文を引用し核兵器に関する科学者の責任について語っていたのが始まりです。

     昨年の福島原発事故以来、反原発と声高々に反対運動が盛んになってきていること、そしてこの日本が抱える歴史、そしてこれからの未来への不安、これらを考えたときに、唐木氏の本に出会えたのは偶然でしょうか。私と同様にこの本を手にされた方はすくないかもしれません。原爆製造を早急に推し進めるようにルーズベルト大統領に進言したアインシュタインの心と原爆が広島に投下されたときの科学者としての葛藤、ウランに中性子を照射すると、原子核に分裂が起こり、巨大なエネルギーを発散することを発見した、オットー・ハーンの発見。この発見が原爆という発明につながってしまったが、その発明が発見へつながった時の責任はどこに在することになるのか。このような観点から唐木氏が無くなる直前まで書き続けた一冊です。絶筆となってしまい、完成はしていないのですが、哲学者唐木順三氏が生きていらっしゃったら、さて先の原発事故とこの忘れがたい原爆の日をどう考えておられるであろうかと。原発事故そのものにたいして科学者の責任を追及することはほとんどないだろうが、はて、それを扱う人間の責任は免れないことであることは自明であろう。人災といい続けられている電力会社の責任追及は尻切れトンボになっているような気がして仕方が無いが、その責任はどのような形で示されるのか、今後注目すべきことである。

     原爆被害と原発被害、同じ核利用を感情論にまかせてダメだダメだというのは簡単なことだとおもう。後世までに被害をもたらすものの担保はすべきではないというのは当たり前だ。だが、原発はなぜ作られ、なぜ利用せねばならないのかを繰り返し問い続けることが先決で、今の私には正直なところ答えがでないので反原発でも原発推進派でもない。殺戮のための原爆製造とエネルギー利用のための原発の推進とは同じ核のありようでも別問題だ。毎夏、原爆の日を忘れることはないが、今年はこの一冊の本で考え方に大きな変化があったのは事実だ。来年の夏、原発問題がどのように処理されているのか、見守りたいとおもう。

    (8/6,8/9に想う・・my blogより)

著者プロフィール

1904年長野県に生まれる。1927年京都大学文学部哲学科卒業。文芸評論家。筑摩書房顧問、明治大学文学部教授を務める。1980年没。著書に『中世の文学』『無常』『無用者の系譜』『中世から近世へ』『新版現代史への試み』『日本人の心の歴史』上・下など多数。このほか全集として『唐木順三全集』全19巻がある。

「2022年 『禅と自然』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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