ドストエーフスキー覚書 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.67
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本棚登録 : 52
感想 : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480094506

作品紹介・あらすじ

ドストエフスキーの文学は、いまなお私たちの魂を揺さぶってやまない。長大な作品の最初のページを開いた瞬間から我知らず引き込まれてゆくのはなぜか。「この本を出したのは、思想的な牽引力が私をドストエーフスキーに引き付けたからであった。思想的とは、人間の現実に直入して、その中核を把握する力強さについてのことである」。著者は『罪と罰』に罪悪感を、『悪霊』に絶望と死を、『カラマーゾフの兄弟』に自由と愛を、『白痴』に善を考察し、『死の家の記録』に「人間」を発見する。深い洞察に導かれた「読み」は、その作品世界を味わうための最良のガイドとなっている。

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738367

  • 森有正 「ドストエフスキー覚書」

    ドストエフスキー 論。著者は 邂逅(めぐり合い)という言葉から、ドストエフスキー作品を解明〜ドストエフスキーは、死と苦悩と絶望にある人間を直視してはいるが、邂逅により、罪悪を愛に、不合理を信仰に 転換させることで、愛を実現させている



    ドストエフスキーの人間像から 罪や信仰との関係性、ヨブ記、大審問官を通した教会批判などへ展開し、ドストエフスキー論を体系づけしている。ドストエフスキー作品とヨブ記の関係性はとても面白い



    ドストエフスキーの人間観
    *ドストエフスキーは、人間を現実的相関者とみ、動かすことのできない現実、社会と自己と神と相触れることにより、そのあり方を転換する
    *自己に閉鎖することが近代的人間の宿命(相手の存在を亡して自己の要求を貫徹する)
    *人間は 倫理的責任のある主体でありながら、人間にはその責任を負うことのできない主体と規定し、救いが必要
    *人間は自己の内面に深まりとともに、それが現実的に発展するには、外から人間に働きかける機縁が必要
    *ただ生きてさえいけばいい〜存在そのものの根源性、価値はそのうえの付属品にすぎない

    ドストエフスキーの罪悪観
    *罪の本質は愛の欠乏であり、かれの自己不信に根ざす
    *罪は現実としてあるもの〜重要なのは、それを回復すること
    *貧困から起こる悪は罪ではない
    *罪は愛と相関関係にたっている〜罪から愛への転換にこそ、人間の真の自由がある〜束縛のなかにありつつ、そのままで束縛を超える


    罪と罰
    *ラスコーリニコフの犯罪論が、ニヒリズムを克服せず、キリスト教的罪悪観を肯定することを暗示
    *犯罪論を犯罪に発展させることにより、ラスコーリニコフの人間現実の中に、観念を実証的に検討
    *無神論的な合理主義は、ニヒリズムの一形態であることを明示
    *対立構造〜他人を犠牲にして、自己の要求を達成するラスコーリニコフと、自己を犠牲にして人を救おうとするソーニャ

    信仰
    *キリスト教の中心問題は、人間の罪を明らかにし、その罪からの救いを与えること
    *キリスト教における罪は、神の意志に対して初めて成立する
    *生命の統一であり調和ある高揚であって、美こそ最高の姿〜生命を感動させ、霊感により充たされるもの、そこに人生の最高の目的がある

    大審問官
    *大審問官はカトリック教会の化身
    *大審問官のいう自由は、人間の生命への欲求、幸福になりたいという欲求〜キリストのいう自由とは異なる
    *キリストは、人間を救うために、パンと奇蹟と権力を徹底的に斥けた
    *自由とは、自己が自己から自由になること、他の人間を人間としてそのまま生かすこと

    スタヴローギン=苦痛の人
    自己のニヒリズムを超える十字架の教えと対決し、この対決に自己が耐えうるか試みている

    ヨブ記〜人生における不合理、不公正の問題
    *ヨブが苦難と疑惑を通って、神のへの信仰を全うしたことの意味は、人生の意義は自己を中心に計ることができないということ
    *苦難そのもののなかに、人生の姿を直下に捉えるところに信仰が成立する〜信仰は自己の判断と意志から自由になること


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著者プロフィール

1911年東京に生れる。1938年東京大学仏文科卒業、卒業論文はパスカル。その後同大助教授をへて、1950年8月、戦後初のフランス政府給費留学生として渡仏。この時以降、一時的な帰国をのぞき、日本に戻ることはなかった。パリでは国立東洋語学校およぴソルポンヌで日本語、日本文学を講じ、1972年からはパリ大学都市日本館の館長をつとめた。『バピロンの流れのほとりにて』をはじめとする一連の著作は、経験と思索を独自の言語表現にまで高めたものである。1976年10月18日、パリで逝去。著書は『森有正全集』(全14巻・別巻1、筑摩書房、1978-82)にほぼ収められている。訳書にはデカルト『真理の探究』、バスカル『幾何学的精神』(ともに創元社、1947)、アラン『わが思索のあと』(思索社、1949)ほかがある。

「2019年 『定義集 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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