- Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480094599
作品紹介・あらすじ
岡倉天心が英文で書いた主著三部作(付『東洋の目覚め』)を収録。「茶」の芸術と哲学を語り、日本文化の精髄を説く『茶の本』、日本の興隆は江戸期からの潜在力で、東洋文明の発揚とした『日本の目覚め』、「アジアは一つ」であり、孔子の中国文明もヴェーダのインド文明も日本に継承され開花したとする日本美術文化論『東洋の理想』。明治期の日本は、中国やインドともども西欧列強の圧迫に苦しんでいた。天心は西欧の力に対抗し、これらの著書で西洋思想に対する東洋思想の優位を説いて東洋の再生を宣言する。初版刊行以来各国語に翻訳され、欧米社会に大きな衝撃を与えた不朽の名著。
感想・レビュー・書評
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概してこの時期の思想暴走めのかんは否めないけど言葉選びがかっこよくて羨ましい。
特に茶の本はとても良いな~~~詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/737581 -
1900年前後の日本は、日清の後、日露の前、開国と発展と、その基になった国学と実際の矛盾とで、新渡戸稲造や内村鑑三や岡倉天心が、英語で、日本とは!と世界に発した時代。
ラフカディオハーンに任せてばかりはいられないと
誰も、今日、日本とは!とこんなに熱くなれないでしょ
そんなに知らんし -
日本美術が好きな私にとって、岡倉天心は雲の上の伝説の人。いろんなエピソードがあるけれど、どこまで本当なのか、嘘なのか、教祖様のように崇め奉られていて、とても実在の人物だったとは思えません。少しでもその肉声を聴きたいと思って手に取った本ですが、先日読んだばかりの鈴木大拙「禅と日本文化」と同じで、やはり全然理解できませんでした。これら2冊は外国人のために英語で書かれた本。和訳がこなれていないせいもあるけれど、それを差し引いても、文章が頭の中に入ってきませんでした。そして、残念ながら、いつかこれらの本を読み込める日がくるような気がしません。自分の脳みその薄さを感じた本でした。
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それは生の術に関する一種の宗教なのである。茶は純潔と優雅を崇拝するこた、即ち主客協力してその折に世俗的なものから無上の幸福を生み出す神聖な役目の口実となった。
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「茶の本」は以前別の訳で読んだことがあるが、この文庫本にはほかに三編、岡倉天心の全著作が入っているということだ。
「茶の本」は読み返してみると、日本の「茶」の美学そのものについてはあまり詳しく書かれていない。抽象的・観念的に論じているだけで、この本を読んでも茶道がどういうものなのか、あまり見えてこないだろう。
それでも、モノと、作法というか動作の全体を指す茶道を「作品」と呼ぶ岡倉天心の指摘は、やはり西洋人には衝撃だったろう。そもそも「芸術」という概念が、西洋と日本等では微妙に違っており、美学というものを絶対的に規定することは、どうしてもできないのだという気がする。
さて「茶の本」以外の文章だが、博識を生かして「東洋的な文化」の歴史を描出している。
たとえば米国のペリーが開国を要求するより先に、当時日本では転生しようという機運が高まっていた、という指摘。
それはいいけれども、「アジアは一つ」という主張はあまり感心しない。確かに、日本は朝鮮や中国と文化交流し、中国を通じてインド文化にも触れてきており、「東洋」という文化圏は交通システムとして機能してきたと思う。しかし「だから一つ」というのは言い過ぎで、「歴史精神」によって「日本/東洋が目覚める」という天心の主張は怪しい。「歴史の自覚」によりナショナリズムが生まれるというのは、20世紀初めのフィンランドと同様で、国民ロマン主義に直結している。だがそれを「東洋」全般に拡大してしまうと、西-東という素朴な二項対立の中で、やがては「大東亜共栄圏」構想にたどり着いてしまう恐ろしさがある。
天心自身は日本の武力によりアジアを統一しようなどとまでは考えていなかっただろうが、これらのテクストが書かれた時代、たしかに日本国民の意識には、そういう傾向があったに違いない。