人間はどういう動物か (ちくま学芸文庫 ヒ 11-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480095534

感想・レビュー・書評

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  • たくさんの本を出されているのに、日髙先生の本はなぜかこの1冊しか読んでいません。そしてこれがとても印象的でした。それほど古い本ではないのですが、すでに先生が他界されているということもあってマイ古典ベストに入れました。そして再読しました。タイトルはとても大きなテーマなのですが、中身は小さなエッセイの集まりです。いろいろな雑誌などに書かれたものを1冊にまとめたのだと思います。
    いきなりですが、とても興味深いデズモンド・モリスの説を紹介しましょう。「人間もほ乳類の仲間であるから、赤ん坊を産んで、乳で育てる。おっぱいは、赤ん坊に乳を与えるための、まさに授乳の器官である。ところが、人間の女のおっぱいは美しいものだということになっている。これはなんなのだろう。じつは、ほかの動物のおっぱいはみんな細長い形をしている。・・・ところがなぜか人間のおっぱいは非常に丸く、乳首が短い。・・・赤ん坊に母乳を与えようとするとき、・・・鼻が押さえつけられて息が出来ずに泣くことになる。・・・人間のおっぱいは変な形で、母乳を与える器官としては具合が悪くなってしまっている。・・・どうしてこういう形になってしまったのか。それは人間が直立したことと関係があるのだと、モリスは言っている。・・・類人猿のメスが、自分が優れたメスだということを示す信号はお尻である。・・・赤い尻はメスであることをあらわしている。・・・四つんばいで歩くと、お尻が後ろから見える。オスはそのお尻を見て「あ、いいメスだ」と思って追いかけていく。人間の場合、直立して互いに向き合って話をするようになると、後ろ向きの性的信号は、思ったほど効果を生まない。・・・それで前にあるおっぱいをなるべくお尻に近いものに変えてしまったのである。」なるほど、おもしろい。いや、でもそれって本当かなあ。まあ、いろいろな考え方ができるわけで、他にも擬態の例はいろいろあるので読んでみてください。
    次はハヤブサの話題を。猛禽類であるところのハヤブサは断崖絶壁に巣をつくるのだそうです。ところが最近(今現在がどうか不明ですが)アメリカの大都会ニューヨークに住み着いて数を増やしているのだそうです。一体どこに住んでいるのでしょう。それは、ちょっと古い高層ビルの壁。ちょっとした張り出しの下などに巣をつくるのだそうです。そんなところまで天敵のキツネなどは上ってこられないから。
    今度はアオムシの実験を紹介しましょう。モンシロチョウの幼虫であるところのアオムシはアブラナ科の植物だけを食べます。これはきちんと遺伝的に決まっている。ホウレンソウやレタスはぜったいに食べない。キャベツとかダイコンはアブラナ科の植物でカラシと同じ成分を含んでいる。そこで、ただの紙切れにカラシをぬって与えてみると、食べても何の栄養にもならないのに平気で食べてしまうのだそうです。かわいいね。
    人間の子どもは小さいころは何でも口に入れます。それが辛かったり、口に入れて痛かったりしたら、それは口に入れてはいけないものだと学習するのでしょう。
    鳥のひなは親鳥が食べるものをよく見て同じものを食べるようにします。「親の背中を見て育つ」ということですね。
    ウグイスの「ホーホケキョ」という鳴き方は、以前は遺伝的にそなわったものであるという説があったそうですが、実験するうちにそうではないことが判明しました。ウグイスのひなを親と離して、音の聞こえないカゴの中で育てる。そうすると、「チャッチャッチャ」という地鳴きはするが、「ホーホケキョ」とは鳴けなくなるのだそうです。ちゃんと鳴けるようにするには、テープでもいいので、「ホーホケキョ」という鳴き声を聞かせて覚えさせるといいのだそうです。
    しかしいろいろな実験をする人がいるものですね。これはどうしてだろう、もしこうしたらどうなるのだろう、と何でも不思議に感じる好奇心が必要なのですね。人間の教育については、日髙先生はこんなふうに書いています。「子どもは、自分でおもしろいと思ったことは、どんどん取り込んで育っていくものだ。好奇心があれば身につける必要のあるものを自分で選んで、取り込んで、勝手に育っていく。教育とは、結局、そういう「場」をつくることなのである。」皆が夢中になって学ぶ環境をつくるのが私たちの仕事であると、あらためて考えさせられました。
    あとがきで先生は次のようなことを言っています。「今われわれにとって重要なのは、昔からたえず問われてきた「人間はどう生きるべきか?」を問うより、「人間はどういう動物なのか?」を知ることであると思うようになった。」そして、それを知るために、動物行動学と呼ばれる学問と付き合ってこられた。動物行動学は、「それぞれの動物がなぜそのような行動をしているのか?」を知ろうとする学問です。その研究が、人間がどういう動物なのか、ひいてはどう生きればいいのかを知るヒントになっていくのでしょう。
    最後に、解説として作家の絲山秋子さんがいいことを書いているので紹介しましょう。「むずかしいことをむずかしく書く」のは誰でもできる。「むずかしいことをやさしく書く」のが大切。しかしそれは「わからないことを都合よく理解する」こととは全く違う。利己的遺伝子で有名なリチャード・ドーキンスは「利己的なのは遺伝子であって、個体ではない」と発言している。それは、動物行動学が恣意的に誤った方向で利用されることに危機感を感じたからではないか。日髙先生もモリスもドーキンスもそれから動物行動学を確立したコンラート・ローレンツも皆「むずかしいことをやさしく書く」のが上手だったようです。このあたり、ほとんど手付かずです。まだまだ読んでいない本がいっぱいあります。興味をもたれた方は、本書を入り口として、いろいろと読み進んでいってみてくださいね。(2016年5月再読)

    光合成の授業をするときはいつも、「雑草(なんていう名の草はないけれど)だってちゃんと光合成をして、二酸化炭素を吸収して酸素を作ってくれている。地球温暖化の防止に役立つ。だから、今度、草むしりのときには、そういう理由で、先生に草は抜いちゃいけないと言えば良いよ。」などと冗談で言っている。子どもたちは喜んでくれる。しかし、日高先生の本を読んでいると、あながち間違っているわけでもなさそうだ。我が家の前は芝生にしているが、すぐに雑草(そんな植物はないが)が生える。抜こうかどうするか迷うが、抜いてもすぐ生えてくるから、すぐ抜いてしまう。(・・・から、放っておく。どちらにしても論理的に成り立つ。)これは、見た目の問題。芝生があると、緑があって、自然があって良いよねとなる。けれど、草むしりをせずに放っておいた方がやはり自然なのか。自然という言葉自体をどうとらえるのか。ニューヨークのビルの壁面にハヤブサが巣を作るという。これは、人工の断崖絶壁に作られた自然。生命力というのはすさまじい。ローレンツとか、モリスとか、ドーキンスとかも読んでみたいと思うけれど、とりあえず日高先生の本で、読んだつもりになっておこうか。しかし、亡くなられてからの方が、次々に本が出てくるというこの不思議。

  •  日本の動物行動学の先駆者のお一人である故:日髙先生のエッセイ的な本。(2008年) 文章が知的でユーモアがあり面白いです。

    3章から成り、表題作(人間とはどういう...)は、第1章だけですが、読み終えると、やはりタイトルをもう一度考え直してしまうから凄いです。

    ドーキンスの「利己的遺伝子」説や、科学(学問)とは「ものの見方が変わる」もの、「共生」とはせめぎ合い…etc.動物から自然、教育や宗教、幽霊、頭の良さなんかにも少しずつ触れています。

    言語がますます新しい概念をつくり、先生のいうイリュージョンや「美学」を生み出し、戦争をする、アンチ•エイジングに狂奔するー「人間」という動物は、果たして賢いのかー サラリと考えるきっかけをくれる本でした。



    おまけ 以下、第1章より
     “頭についてはこれでよいとしよう”(p.20「直立二足歩行」より)

     “ぼくはそれをコム・デ・ギャルソン戦略と呼んでいる”(p.44)

     “「コスト・ベネフィット」計算のことだ”(p.45「少子化の論理」より)

    “遺伝子は残さなくてもよいから、ミームは残したい、と思う人もいる。(p.50)

    “学習と遺伝は対立するものではなく、学習は遺伝的プログラムの一環であるということになる。なにを、いつ、どういう形で学習するかということも、遺伝的に決まっているらしい。しかし、それは種によってちがっている”(p.68)

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/737602

  • 表題の通り、人間が一つの動物であるところに立脚点を置いて論を進めている。しかし、表題に対する明快な答は得られない。
    トリビアとなりえる様々な事象を紹介してくれた点では非常に興味深い内容だった。しかし表題の答えを知りたいと思う読者にとっては、すこし回り道が過ぎるかもしれない。特に第二章「論理と共生」では都市計画に関する記述に終始している部分もあり、本題との関連性の低さを思わせた。
    雑誌等に掲載された著者の短編を集めているので、内容の重複も多々ある。特に「利己的な遺伝子」に関しては何度も出て来て、しつこいようにも感じた。
    ドーキンスをはじめ、様々な動物行動学の学説を概観できるという点では、お手頃な本だと思う。読んでいて退屈な本ではなかった。

  • 「人間はどう生きるべきか」ではなく、「人間とはどういう動物か」という視点で自然科学、動物行動学、哲学を描いた本。詳細を端折って丸めてしまっているところは読んでいてもやもやしたけど、ローレンツからドーキンスへの変遷はコンパクトにまとまっており、さらっと読むのにちょうどよかった。

  • 利己的な遺伝子、ホトトギスはどうやってホーホケキョ と鳴くのか。他のホトトギスから話して育てた鳥に、カラスの鳴き声を聞かせても興味を示さないが、ホトトギスの声には耳を傾け、学習する。環境か、遺伝か、というが学ぶべき内容が遺伝で決まっているのだ。

    その他、textureや倫理の話が印象的。
    視覚から触覚を感じる、texture. それを彼は冬から春の山に見出す。なんとも言えない、ふっくらとした春の色。

    青砂浜辺の美しさは、偶然により創り出されたもの。自然の倫理、人間の倫理、建築の倫理様々のものがあるが、どれかを通すのではなく、そのやりとりの中、共生の中で新しい美しさが生まれるのではないだろうか。

  • 「人間は動物とは異なる、崇高な生き物である」

    果たして本当にそうだろうか? だとすれば、なぜいまだに戦争はなくならないのか? 私たちの思考や決断は、すべて遺伝子に組み込まれているのだとしたら、それは動物に過ぎないのではないか? 動物/人間の定義を問う本。

    24歳誕生日紹介本の1冊。堀より。
    飲み会で話したい小ネタがたくさんできた。意外にも、自分がいまやっている少子高齢化問題的な部分のヒントもあった。

    以下memo

    ・後ろ足でまっすぐ立つ。そうすると、頭はどうしても上を向いてしまう。手はどうしたらよいかというと、どうしようもない。

    ・人間のおっぱいはなぜ丸いのか。他の動物は細長い。あくまで授乳のためのものだから。子孫繁栄のための器官は、サルはお尻。人間は二足歩行で直立し対面するようになった。お尻に変わるものとしておっぱいが丸くなった。おっぱいは2つの役割を持つようになった。

    ・選ぶのはいつもメス。カエルは鳴き声で選んでもらう。生き抜いてきた丈夫でかしこいカエルの太くしてしっかりした鳴き声のオスが選ばれる。アメリカにはカエル専門のコウモリがいる。コウモリは目が見えないので、カエルの鳴き声で見つける。それを怖れて鳴かないでいるとメスから選んでもらえないし、かといってがんばって鳴いてもコウモリに食べられてしまう。アメリカのカエルもなかなか大変である。

    ・魚には、オスにも関わらずメスのフリをしてカップルに近づいていくものがいる。オスはメスだと思っているから嬉しいだけで、メスは自分より小さなメスなので大したことない、と思い、放っておく。そこでメスが卵を産んだ時に、メスのフリをしていたオスが自分の精子をかけて自分の子孫にしてしまう。これを「コム・デ・ギャルソン戦略」と呼んでいる。性別が逆にはなるが、コム・デ・ギャルソンの服はあまり女性らしさを強調しないので、同性の攻撃性を掻き立てない。安心させて近づき、あるところでぱっと本来の女を見せるやり方。

    ・結婚して子ども、つまり遺伝子を残すより、おもしろい仕事をして、仕事という自分の中ミーム(利己的遺伝子)を残したいという女は、結婚しないことになる。また、結婚しても、子どもを産んで子どもの育児に追われるより、夫と2人でもっと優雅な生活をしたい、そのほうがよっぽど私らしい、という選択もある。けれど一方では、女として子どもを産みたいという願望もある。これは遺伝子の願望である。仕事を捨てて遺伝子の願望にしたがう人もいれば、願望に打ち勝ち仕事に打ち込む人もいる。

    ・途上国で子どもがたくさん生まれるのは、小さいうちから貴重な働き頭で一家にとって大きなベネフィットをもたらすから。先進国で子どもが生まれないのは、莫大なコストと時間がかかるのに確実なベネフィットがもたらされるとは限らないから。

  • 人間が体毛を失った理由として、水生哺乳類説は化石の証拠が出てこないし、ノミ・シラミ説はゴリラやチンパンジーに付かないため考えにくい。体毛を失って発汗することにより長距離を走ることができることが狩りを有利にしたという説が有力だが、狩りをしない女性も体毛を失ったことが説明できていない。

    先進国で少子化が進んでいるのは、子どもに高等教育を受けさせることが結婚や孫ができる可能性を高めるが、その経費が大きいというコスト・ベネフィットで説明できる。

    言葉は概念を整理するためにできたのではないか。それがコミュニケーションにも使われるようになったのではないか。

    ローレンツは動物の攻撃性について、なわばりを設けること、食物の枯渇やすみかの汚染・伝染病を避けることによって、種の維持に有利になると考えた。現在は利己的遺伝子の考え方から個体自身の遺伝子を残すことに有利であると考えられている。

  • 人間は動物の中でも特別な存在である、と人間は思っているが、本当にそうなのか?ということを追及する一冊。僕個人としては、人間も動物である、そして動物でいいではないか、という意見をもっている。

  • 動物行動学(エソロジー)故 日高敏隆氏のエッセイ。
    「、、、今われわれにとって重要なのは、「人間はどう生きるべきか?」を問うより「人間はどういう動物なのか?」を知ることであると思うようになった。」という後書きにある著者の想いにそった啓蒙書?
    コンラート・ローレンツもあわせて読むべし。

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著者プロフィール

総合地球環境学研究所 所長

「2007年 『アフリカ昆虫学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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