間主観性の現象学II: その展開 (ちくま学芸文庫 フ 21-3)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (606ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480095749

感想・レビュー・書評

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  •  とにかくウルトラ級に難解なフッサール哲学だが、この本ではテーマが他者からさらに、「我々」、共同体(「愛の共同体」なんていう箇所もある!)へと視野を拡大していくのが興味深い。
     フッサールの現象学は、私たちの目から見ると認知心理学(心理学唯一の科学的部門)と密接に関連してくるはずだが、フッサールは心理学を一切排除している。けれども、その哲学は古典心理学と同様の限界を持っているように見える。それは、思索が「内省」から始まり、ついに「内省」の内側で完結してしまうという点だ。
     内省だけを出発点とするために、フッサール哲学はのちのハイデッガー、サルトルと同様に、「主観」の世界を第一とし、そのあとで他者と出会うという形をとるため、独我論から脱出するために四苦八苦せざるを得ない。
     ここでは他者はあくまでも「他我」としか認められないのである。
     しかし、現在我々はミラーニューロンなるものを既に知った。他者は、瞬時に近くされゲシュタルト化されると同時に、その行動や情動が生化学的作用として「私」に伝達されるのである。
     つまりフッサールやハイデッガーが必死になって取り組んだ「意識」などよりもはるか先の段階で、生化学的に、他者の存在は把握されてしまっている。
     主観から出発したフッサールは「間主観性」などという珍妙な概念を弄せざるをえなかったが、むしろ主体=私が現出する以前に、他者ははるか昔から存在しており、他者の現出によって初めて、「私」は存在を始めるのではないだろうか。
     フッサールは心理学を排除したから、乳幼児期の知覚発達についてこの本ではほんの一カ所で触れているに過ぎないが、主体という現象を見つめるとき、やはり発達心理学も援用するべきではないのかという気もする。

     では、脳科学の進んだ現在、フッサールを読む意味はないのかというと、そんなこともないだろう。この緻密な思考は、追いかける価値がある。このすこぶる難解な文章は、フッサールが「最高に厳密なドイツ語表現」を目指したからだろうし、翻訳によって日本語として読むのはかなりしんどい。
     それでも、ハイデッガー以降の頑なな自我論理に比べればずっと柔軟で多義的なフッサール哲学は、やはり容易にくみつくし切れない多彩な魅惑をはらんでいる。

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著者プロフィール

1859-1938。1859年4月8日、当時のオーストリア領に生れる。1876年ライプチヒ、ベルリン、ウィーンの各大学に学び、1883年学位を得る。1884年ウィーン大学のブレンターノの門下に入り、専攻していた数学から哲学への道を歩む。1906年ゲッチンゲン大学教授となり1916年まで在職。その後1928年までフライブルク大学教授。著書に、『算術の哲学、心理学的・論理学的研究』(1891)『論理学研究』(1900-01、みすず書房、1968-76)『厳密な学としての哲学』(1911、岩波書店、1969)『純粋現象学及現象学的哲学考案(イデーン)』(1913、1952、みすず書房、1979-2010)『内的時間意識の現象学』(1928、みすず書房、1967)『形式論理学と超越論的論理学』(1929、みすず書房、2015)『デカルト的省察』(1931、創文社、1954、岩波文庫、2001)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936、中央公論社、1974、中公文庫、1995)『経験と判断』(1939、河出書房新社、1975)などがある。

「2017年 『形式論理学と超越論的論理学 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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