- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480095756
感想・レビュー・書評
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科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった.
多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるまでの永遠の仮説で,絶対に正しい神話などではないという,周囲の科学者との交流で得ている認識と一致する.ただ,ポパーの中でも自然淘汰と関連付けるのはあまり同意できなかった.
しかしながら,その後の議論の展開には同意できない点が多い.次のクワインテーゼだが,すでに公理主義になった数学についての議論の過程で,経験的な観測についての例が挙げられており,それでは論理展開がおかしくなるのも当然に思えた.この議論を展開する上で,すでに命題論理・述語論理の意味論を認めているはずだが,この当時すでにあったはずのペアノの自然数の公理はこれから逸脱しないはずなので,そもそも定義できないという主張が分からない.とりあえず,こうした議論を始めるにあたって,何を仮定しているのか説明してくれていない部分が幾つもあるように読めた.この点で,★を一つ差し引いて4個にした.
その後のパラダイム論も同意できなかった.通約不可能性の例としてピタゴラスの定理が挙げられている.だが,こうした議論の混乱が起きないように,公理主義後の数学はどの公理系を仮定したかを明示することで,これを回避するのが公理主義だし,必要があれば統一的に扱えるようにする公理系自体を設計する自由がある.ここでの議論も,公理主義前の議論をベースにしているようで,やはり仮定を始めに明示してくれない点が気になった.
あとは,ウィーン学団のところであったが,哲学の議論を読むと,定量的な観点がほとんどないことが気になった.仮説がエビデンスで徐々に強化される考えを示したラプラスや,現代科学の屋台骨を支える統計のフィッシャーやピアソンといった人が科学史に登場しないのはだいぶ残念な気がした.
科学史全般については,自由学芸が教会などを中心に徒弟制のようなものだったのと同様に,科学の知識もギルドなどで制度的に教育・発展が行われたはずだが,そういった部分は無視して厳密に近代の形になってからに絞り混まれていて,歴史が短くなっているのは残念だった.国家が科学に資金提供するようになったのは20世紀初頭とされているが,バベッジの階差期間に英国政府の出資があったのはもっと前だし,その前に,マイセン磁器のように王侯のパトロンとしての出資とかは含められず,やはり短い歴史にされてしまっているように思う.自由学芸に対してmechanicalには侮蔑的な意味合いがあったと本書にはあったが,科学哲学の人たちは科学が嫌いなんだろうなという認識を新たにした.
マット・リドレーとかスティーブン・ピンカーとか親科学的な人は出てこず,反科学的な史観に私には思えたが,科学哲学のコミュニティはそういう考えではないのだということが分かった. -
科学者≒哲学者、技術者≒職人というある種の身分差が欧州にはあるが、明治期以降に「ただ乗り」した日本においては「科学技術」という独自の単語を生み出す事により、両者の区別が曖昧である事が幸運でもあり、歪みでもあるとの事。結果、理学系より工学系が大学教育で強いのは日本独特らしい。
科学をテーマとして歴史、哲学、社会学の3つのアプローチをしていくわけだが、「科学とは何か?」という探求のみならず、この3つの学問的アプローチの違いを学べるという点においても有益である。 -
サイエンスはもともと自然哲学
日本では明治に取り入れた時に科学技術のニュアンスになった
アリストテレスできない自然観
古代の天文学理論
1 天上と地上の区別
2 天体の動力としての天球の存在
3 一様な円運動
惑星などを説明するのが複雑になりすぎる
1543年にコペルニクスが天球回転論により地動説を提示。2と3に忠実にあろうとして、1を否定する仮説を出した。
1600年にケプラーが楕円軌道を提唱
ガリレオは地動説は信じるが楕円軌道は懐疑的
1についてはニュートンのプリンキピア1687年の万有引力の法則で統一される。
万有引力は遠隔作用なので、魔術的伝統への回帰とも受け止められた
科学の方法
演繹法、普遍的命題から個別命題を論理的に導く。数学の論証。結論は前提に暗示的に含まれていたものを明示的に取り出すだけ。
帰納法、個々の事例から一般的な法則を導くが、帰納的飛躍が必要で蓋然的な結論しかもたらさない。
近代科学は仮説演繹法
1 観察に基づく問題の発見
2 問題を解決する仮説の提起
3 仮説からのテスト命題の演繹
4 テスト命題の実験的検証又は反証
5 結果に基づく仮説の受容、修正、棄却
決定論的自然観 1814
ラプラスのデーモンには初期状態と運動式が分かっており過去も未来も同じに現存する
自由意志は存在しない
数学の危機
1899ヒルベルトがユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学が同等であると主張。公理主義と呼ばれ、幾何学は空間的性質から切り離され抽象数学に変化。形式主義。
ラッセルの集合論のパラドックス。
物理学の危機
力学的自然観についての難問、1900年
1 光の速度に差がないこと
1905年の相対性理論で説明
2 エネルギー均等分配
1900年にプランクの量子仮説、エネルギーの最小単位の整数倍の離散的になる。自然は連続的だという説の否定。
1927年 ハイゼンベルクの不確定性原理、アインシュタインは懐疑的
ポパー
反証可能性が高いほど科学的
排中律のように必ず正しい仮説は経験的に無内容
反例が示されても理論の誤りを認めないものは非科学的
進化論的認識論
科学的仮説は常に暫定的であるが、数々の反証をかいくぐって生き延びているという点で価値がある
観察は一定の理論を背負いつつ理論の色メガネをかけて行なっている -
新書なのに科学史・科学哲学・科学社会学の三部構成で多角的に論じられている良質な入門書。放送大学の教科書がもとになっているだけあって、よくまとまっていて日本語も読みやすい。科学哲学の入門書はたくさんあるが科学史や科学社会学の入門書はあまりないので、その点でも貴重。
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2016年度昼間「科学哲学」前期後期。
科学哲学を本格的に学ぶのははじめてだったのだが、概観的であるうえに精度も高い印象のテクストで、講義でも自分ひとりでも、読めば読むほどに理解が深まっていくという非常によいテクストであった。
ウィトゲンシュタインの言葉を聞いたことがあるような、というレベルだった自分が、記号論理学の革命性に深く感動するまでに至ったのは、この教科書とこの講義がすばらしかったおかげだと思う。
科学哲学の講義はとりあえず終わったが、この本は長く手もとに置いておきたい。とくに論理学はこれを足がかりにしてもっと学んでいきたい。 -
放送大学のテキストとして刊行された『科学の哲学』に、福島原発が科学技術に対してどのような問いを投げかけているのかという問題を考察した補章を加えた本です。
全体は三部に分かれており、第一部では古代から近代に至るまでの科学史の概略が説明されています。第二部では、ウィーン学団による論理実証主義の運動から、ポパーの批判的合理主義を経て、クーンのパラダイム論がもたらしたインパクトまでの科学哲学の経緯を簡潔に説明しています。第三部では、科学知識の社会学の現代的展開から、いわゆる「ソーカル事件」によって広く知られるようになったサイエンス・ウォーズなどのテーマがとりあげられています。
著者は、村上陽一郎と並んで、クーンなどに代表される「新科学哲学」の日本における紹介者として知られており、本書でもひかえめながら自然主義的な科学哲学とは異なる潮流に対する共感が表明されています。そういう点ではやや偏りがあるともいえるので、内井惣七や戸田山和久、中山康雄らの入門書で、本書とは異なる科学哲学上の立場について補う必要があるかもしれません。 -
著者:野家啓一(のえ・けいいち)
放送大学教材を文庫化した本。
【版元】
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095756/
【目次】
目次 [003-009]
まえがき(二〇一五年一月 野家啓一) [013-016]
第1部 科学史
第1章 「科学」という言葉 018
1.1 知識から科学へ 018
1.2 「科学」という日本語 022
1.3 「科学者」の登場 028
第2章 アリストテレス的自然観 032
2.1 古代ギリシアのコスモロジー 032
2.2 古代天文学のセントラル・ドグマ 037
2.3 古代運動論のセントラル・ドグマ 042
第3章 科学革命(I) ――コスモスの崩壊 047
3.1 十二世紀ルネサンス 047
3.2 コスモロジーの転換――コペルニクス 051
3.3 「円の魔力」からの解放――ケブラー 057
第4章 科学革命(II) ――自然の数学化 062
4.1 宇宙という書物 062
4.2 ガリレオの運動論――論証と実験 067
4.3 天と地の統一 ――ニュートン 072
第5章 科学革命(III) ――機械論的自然観 078
5.1 有機体的自然観と「実体形相」 078
5.2 デカルトの「物心二元論」 082
5.3 心身問題と「心の哲学」 088
第6章 科学の制度化 093
6.1 近代科学と「大学」の成立 093
6.2 自由学芸と機械技術 098
6.3 第二次科学革命 104
第2部 科学哲学
第07章 科学の方法 112
7.1 学問の方法――演緯法と帰納法 112
7.2 近代科学の方法――仮説演鐸法 118
7.3 発見の論理 122
第8章 科学の危機 126
8.1 決定論的自然観――ラプラスのデーモン 126
8.2 数学の危機 131
8.3 物理学の危機 137
第9章 論理実証主義と統一科学 143
9.1 論理学の革命 143
9.2 意味の検証理論 149
9.3 統一科学 155
第10章 批判的合理主義と反証可能性 159
10.1 反証主義 159
10.2 「反証可能性」と境界設定 165
10.3 進化論的認識論 169
第11章 知識の全体論と決定実験 173
11.1 経験主義の二つのドグマ 173
11.2 決定実験の不可能性――デュエム=クワイン・テーゼ 177
11.3 プラグマティズムの科学論 184
第12章 パラダイム論と通約不可能性 188
12.1 クーンの問題提起 188
12.2 パラダイム論争 195
12.3 ラカトシュのリサーチ・プログラム論 201
第3部 科学社会学
第13章 科学社会学の展開 206
13.1 科学社会学の成立 206
13.2 科学知識の社会学(SSK) 210
13.3 サイエンス・ウォーズ 215
第14章 科学の変貌と科学技術革命 220
14.1 「科学技術」という言葉 220
14.2 科学技術革命 224
14.3 科学の変貌と再定義 228
第15章 科学技術の倫理 237
15.1 地球環境問題 237
15.2 科学技術の倫理と社会的責任 243
15.3 科学技術と公共性248
補章 3.11以後の科学技術と人間 254
16.1 「神話」の崩壊 254
16.2 「トランス・サイエンス」と「リスク社会」 263
16.3 未来世代への責任 270
参照文献 [279-289]
あとがき(二〇一五年一月日二十九 野家啓一) [291-294]
索引 [296-302] -
アリストテレス、プトレマイオス、コペルニクス、ガリレオにニュートン、あるいはフレーゲ、ポパー、クワインにクーンといった人達が何を主張したのか。
個別にはよく知られていると思いますが、それらを繋げて整理することができる本です。
本書は3部立てです。
第1部は科学史です。
まず、古代ギリシアにおける自然観=アリストテレス的自然観が出発点です。
このアリストテレス的自然観は、現代の知識を持っていなければ、「そうかも」と思ってしまいそうなもので、次のように整理されます。
1 古代天文学のセントラル・ドグマ
(1) 天上と地上の根本的区別
(2) 天体の動力としての天球の存在
(3) 天体の自然運動としての一様な円運動
2 古代運動論のセントラル・ドグマ
(1) 自然運動の原因としての自然的傾向の存在
(2) 強制運動の原因としての接触による近接作用
(3) 物体の速度は動力に比例し媒質の抵抗に反比例する
このアリストテレス的自然観をひっくり返したのが科学革命です。
天文学では、コペルニクスの地動説が(1)天上と地上の根本的区別を覆し、ケプラーが(2)天球の存在と(3)一様な円運動を否定する。
物理学では、ガリレオは実験によって(3)物体の速度は動力に比例を反証し、慣性の法則として(1)自然的傾向とは異なる説明を与えました。
そしてニュートンが、天上の運動と地上の運動を同じ法則によって説明し、万有引力という(2)接触による近接作用以外の原因による運動の原理を示しました。
第2部は科学哲学です。
アリストテレスが論理学をまとめた際、演繹法と帰納法という方法論が整理されていました。
19世紀、科学者達はこの2つをまとめた仮説演繹法を方法論としていました。
しかし、こうして組み立てられた科学に対して、非ユークリッド幾何学、集合論の矛盾、量子力学が疑問を投げかけます。
何が正しい科学なのか。
検証可能性のないものは科学ではないとする論理実証主義。
論理実証主義を否定して反証可能性を試金石とするポパー。
ホーリズム(全体論)を主張するクワイン。
第3部は科学社会学です。
今でこそ、科学は国家や産業と結びつき、多額の資金を投入されて推進されるというイメージですが、そうなったのはつい最近のことです。
知識人の余暇として研究される時代、大学で研究され研究者仲間だけで評価し合っていた時代がありました。
また、産業革命の担い手は科学者ではなく、技術者・起業家でした。
しかし、現代では科学と技術は結びつき、大きな影響を社会に及ぼします。
かなり多彩なトピックスを一本にまとめて、流れるように説明する本です。
すごく洗練されていると感じました。
最後、文庫版で付けられた補章は、少し説教くさいですが、それを加味しても充分名著と呼ばれてしかるべきだと思います。