S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ (ちくま学芸文庫 コ 12-2)
- 筑摩書房 (2015年5月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480096678
感想・レビュー・書評
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【まだ、これはメモ】
P39 直観的にわかるように採用したのだろうけど、1994年の文章で「出会い系サイト」は違和感ある。精一杯「無料風俗案内所」とかじゃね?原典では"dating agency"(P1264) 学内で英語でネットはやや使ってたけど、普及は1995以降で、出会い系とかさらにもーちょっとあとだろう。
なんかぺらくないか?
(私の読解力と知識不足によると信じたいけど、そもそも、どーも合わなさそうになってきてて参る。このうげー感は、あの『資本主義が嫌いな人のための…』に感じたのに通ず。)
ポストモダンぽい用語は織り交ぜてあるだけの、メチャクチャ90年代サブカルぽい。
つーか、「ジェネレーションX」とか「なんとなくクリスタル」とかそんな感じだ。まあ、これは小説らしいので。
読みかけのボードリヤールに戻ろうか。このままぺらいと挫折しそう。分厚い洋書のほうはどーしたらいいんだよ。クソつまらなくないことを祈る。
英語で読んでると、カン違いしたまま読み進めそうだったのと、訳注があることと、要は若干面倒になって、日本語版に手を出した。
ジェネリックシティ、洋書のXLの部分だけど、なんで冒頭なのかな?
・ポストモダンがむかしのものになり、消費フェーズの今だから、当時と違って無責任に読み散らかせる。
・20世紀末、バブル日本や近未来はアジアに白人オーダーの世界が消費されていくのを黄渦のように怯え唾を吐く白人のきもち。(しかし、311後日本は盛大にぶっこけて、ネバー保守なネット右翼やサブカル消費になめつくされ、絶賛胃瘻中であり、なやみ無用だったのだ。2020オリンピックがその墓標で、ロゴは忌いのサイン。)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2023.06.16 社内読書部で紹介を受ける。建築家の本。北京CCTVを建築。原著は写真付きで1300ページ。街に個性がなくなっている。経済合理性、建築基準、空調性など。
ジェネリック・シティ:特許切れの薬みたいなもの。
ジャンク・スペース
アトランタ、シンガポール。 -
(01)
1990年代から2010年代までの著者の論考の一部が収録されている。この約20年間のスパンのなかで、都市はどのような情況にあったのか。
暴論まがいの筆致で、レトリカル、ポエティック、シンボリック、スキャンダラス、さまざまな言葉を巧みに用いて、都市の非人間性と猥雑性を暴き立てている。
中盤で、個別の都市への批評が挿入されている。ベルリン、ロッテルダム、アトランタ、ニューヨーク、シンガポール、そして東京、序にあたるパートに「ジェネリック・シティ」、締めに「ジャンクスペース」(*02)をもってくる構成は、日本語文庫版だけの構成なのだろうか、しびれる。
(02)
小タイトルとしても取り上げられたジェネリックやジャンク、ビッグネスなどのキーワード以外にも、インフラやサブシステムという都市機能や、特殊機能としてのランドスケープが現代で演じてる役についても多く言及されており、一筋縄ではいかないカオスな都市論となっている。
必ず失敗する都市計画に対し、このような「仮説を立てまくる」批評というプロジェクトの有効性は、今後評価されてもよいだろう。 -
S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ (ちくま学芸文庫)
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180603 中央図書館
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建築は何も喋らない から建築家は饒舌なの?と思ってしまうくらい溢れ出す言葉。都市と建築についてのエッセイ集ですが現代文明についての批評集であり建築家についての短編小説集にも感じる本でした。その真ん中でコルビジェとミースが重しのように存在感を出しているのも印象的でした。一方でその次の世代の著者の時代のグローバルな建築の煩悶も伝わってきて「ビッグネス」という独自の概念にたどり着いたこもなんとなくわかります。個人的には終章の空間を成立させるのは建物ではなくてエアコンである、という指摘にグッときました。
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米在住の建築家による、副題どおり「現代都市をめぐるエッセイ」。本書は1995年刊行、著者は1944年生まれ。文章を読めば歴然とするように、いわゆるフランス現代思想をも含めた知の現代に通暁しており、その文体は軽やかで、ポストモダンのポスト・ポスト・ポスト・・・というような先端的な鋭利な視点を保っている。
建築のことはよくわからないが、都市論としてはなかなか鋭くて面白い。
日本に関する記述も、けっこう妥当に日本人の一般心理や社会慣習を突いていると思われた。
「日本のスケジュール——自由を奪う、書かれた牢獄。・・・日本では何もない自由時間に仕事が組み込まれているのではなく、仕事という基本体制から掘り出された例外的な状態を自由時間と言う。」(P137)
「『われわれ』は、日本人の『私』一人ひとりの陰に控えるゴーストライターだ。」(P140)
あくまでもエッセイであって、主題を厳密に追究する書物ではない。コールハース的軽やかさを味わいながら、楽しんで読んだ。 -
何について言いたいのか、実はよくわかんなかった。