敗戦後論 (ちくま学芸文庫 カ 38-1)

著者 :
  • 筑摩書房
4.00
  • (14)
  • (20)
  • (11)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 369
感想 : 16
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480096821

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 靖国神社に初めて行ったとき、どのような感情を抱けばいいかわからず、混乱した。戦争で無意味に亡くなった日本人を無意味なままに悼むことは可能か。改憲論がちょくちょく出てくるようになったが、9条を含めた憲法を日本人が選び直すことができるか。

  • 『アメリカの影』

    『敗戦後論』
    は、出版された当時どちらも読んでいるはずだか、正直なところその勘所が掴めていなかった。
    今回、四半世紀の時を隔てて改めて通読してみると、あまりにも分かりやすいのに驚く。
    驚愕する、といってもいいかもしれない。
    なるほど当時から中野重治の『五杓の酒』や『俘虜記』大岡昇平の作品の手応えは感じていたが、こんな風に屈曲したというか、加藤の言葉で言えば「ねじれた」感覚を理解してはいなかったと思う。
    もちろん、アレントの読解や岸田秀の援用など、むしろ今になると手応えを感じない部分もある。
    だが、高橋哲哉の峻厳さについていけないものを感じる内田樹の解説などを含めて、敗戦国が抱えざるを得ないほとんど宿命的なともいいたくなるような「荷」をどうしていくのかという課題は少しも意義を失っていない。
    戦後生まれが圧倒的多数になった2020年であっても、むしろ加藤典洋の指差した「荷」というか「課題」は、クリアになりこそすれ、消え去ってはいないと感じる。
    戦争とは私にとって父親の満州体験であり現地召集の後の軍役の話である。引き揚げ者として帰国してからの病気や家族との死別の話の先に、私の人生が始まっている。
    「死んだら靖国で会おう」
    と互いに言い交わした戦友のことを父はあまり語らなかったけれど、生きているうちに、と当時の朋友に会いに九州まで手かけていったこともあったはずだ。
    その父は震災のどさくさの中でなくなっている。
    私にとって、この「荷」は、原発事故以後のこの時空において、むしろリアリティを増してかんじられる。
    「福島フィフティ」のことではない、なんて軽口を叩いてはいけないのかな。
    私にとっては意外なほど読みやすくなっていた本でした。
    誰にでも、とオススメはできないけれど。

    memo代わりの蛇足

    あのころ(20世紀末)、私的な部分と共同性の部分と、それとは異なる公共的な側面と、それから神の前に立つ絶対的というか普遍的な側面と、その多様なレイヤー(層)の言説が飛び交っていたんだなあ、という感じを改めて自覚させられたとでもいえばいいのか。
    今見ても加藤典洋はやはりカギカッコ付きの「文学」の語り口であって、あの時点でアレントを「そこ(語り口)」から見ようとしたというのは着眼点としてはなかなか、という感じもするんだけれど(当時私はアレントなんて知らないし、読む気全くもなかった)、今になってアレントを「ジャーナリスティックな語り口」という視点でここまで論を進めるのは「うーむ」となる。
    『記憶のエチカ』という峻烈な著書で、高橋哲哉はアレントでさえ、記憶の倫理(公共的に記憶されねばならないことが失われてしまう危惧に対する倫理的な姿勢)の観点から「まだ甘い」
    と批判するわけだからね。哲学的な批判ってのはそういうことなんだろうけれど、その哲学的には真っ当な批判である哲学のコトバを、一般市民が様々な言説のレイヤーのなかで生きているところにガツンと提示して憚らない高橋哲哉は、ちょっとみんな扱いかねるって感じがあるのも伝わってきた。
    哲学者はその言葉によって、ある種の「社会性」に亀裂をもたらす、ということでもあるのだろうね。
    あ、だがしかし、ここで「分かりやすさ」に触れたのはそういう難しいレベルの話ではない。
    私自身が少々違う種類ではあるけれど加藤の指摘する「ねじれ」を生き始めてしまっている、それゆえの「理解の深まり」というもう少し体験的な側面のお話でした。
    私は、どちらかというと、心情というか感情については、そこに「ある」のは分かるけれどもそれを生きる基盤とはしてこなかった種類の人間だと自覚している。
    むしろ多動的かつ双極的な行動と感情の振幅と、その二つの動きそのものを基盤として生きてきた。
    だからむしろ、その感情の足場に立って「ねじれ」とかいわれても、心底から理解することは(かつて)できなかったのです。
    加藤は、死者に対する鎮魂を大きな課題としていて、単純にそれがぴんと来ていなかったのですね。
    でも、今ならそこが分かる、という程度のことでした。
    なぜ(以前よりは)分かるようになのか、といえば、
    ①自分が年を取った、
    ②身近な人間の死を幾つか経験した、
    ③そしてもう一つは東日本大震災と原発事故を(比較的)身近に経験したこと、
    それらが大きく関わっています。
    それからまた、加藤典洋の言説が持つ「日本的」
    という点は、それが虚構化されていることが21世紀になってあきらかになってきたからこそ理解できるようになった、という側面もありましょうか。
    レヴィナスの言う他者についての議論は私にはわかりません。なぜならというか、よく分からないけれど、自分の身体から出てくる信号や動きこそが私にとっての第一の「他者」だから(まあ、それもここでは主要な論点ではありませんね)。
    ただ、加藤の指摘している「ねじれ」は、例えば福島県の双葉郡にできた「伝承館」について語ろうとするときに、自分と無縁の課題ではない、と感じられるのです。
    これはたぶん生き方の姿勢の問題とは違う。
    生き方なんぞは自分でえらべばよいのです。っていうか、体や感情は自然とへんてこりんに動くから、そいつと付き合いながら生きていくしかない。私にとって生き方とはずっと、一義的にこの乗りにくい身体=精神を乗りこなす方法、でしたから。
    しかし、というかだからこそ、他者と何かをコトバを共有しようとするとき、沈黙の闇を経由しないコトバは信用できない、という気がするのです。
    沈黙するのは頭が悪いということではありません、きっと。
    記憶し伝えるためには行動が、コトバが不可欠です。そんなことは分かっている。
    でも、言葉にならない泡(あぶく)ばかりが口から溢れてくるもどかしさのなかで、人はなおどう語ろうとするのか。
    「ねじれ」のことも考慮に入れないわけにはいかないな、今はそう考えるようになった、ということでもありましょうか。
    じゃあどうすりゃいいのか?
    正直よく分かりません。戦争は止めておいた方がいいと思うし、被害を受けた人には謝った方がいい。
    そして、被害ってなんだろう、と考え込んでしまうんですがね。

  • 出版された80年代より、今現在のほうが本書の主張を冷静に受け止められる時代になっているのではないでしょうか。
    昭和天皇の戦争責任追及、武力で押し付けられた憲法の選び直しなど、戦後に筋を通してこなかったことを挙げるなかで、自国の死者追悼の必要性に大分のページがさかれています。
    戦後の日本はジキルとハイドのように、対外的に謝罪とその否定を繰り返しました。鏡合わせのイデオロギーがそうさせてきたのです。
    本書はトップダウン的なイデオロギー論争に終止符を打つべく、ボトムアップ的な手法を提案します。それが、戦後社会にうまく位置づけられなかった自国の死者の正しい追悼です。無意味に亡くなったことを直視しながら。
    イデオロギー的な意見に比べて地に足のついた意見ですし、今の時代に合った論理的な意見ですが、冷静に考えれば実践するには難しいことです。
    例えるならこのようなことでしょうか。
    自分中心で視野が狭かった若い女性が、立派なフィアンセがいるにも関わらず、親の反対を押し切って恋に落ちた男性と駆け落ちしました。その男性は追っ手から女性を守り戦うも、ついに力尽きて捕まり処刑されました。そして男性は死の間際まで女性の幸せを願っていました。
    時はたち、後ろ指をさされるこもありますが、その後の女性は全てを許し愛してくれたフィアンセと結婚し、何不自由のない心から幸せな日々を送ることができました。過去を思えば今の自分の身分が夢のようです。
    トルストイの「戦争と平和」ではありませんが、そのようなとき、女性はどのように亡くなった男性を追悼すればいいのでしょうか。仮に無意味なままに追悼できたとしても、その無意味さをも意味を持ってしまうのではないでしょうか。
    戦後70年を生きる我々は、もはや亡くなった男性の身内や協力者ではありません。守られた女性側に位置しているという確信を持っています。
    安直なことは言えません。不道徳の誹りを免れませんが、追悼の仕方に統一的な答えを出すことを急かしたり、執着することにどれだけ意味があるのでしょうか。もしかしたら個人個人が答えを探す時代なのかもしれません。

  • ・敗戦後論
    戦後の日本に欠けているのは「ねじれ」の感覚であって、それは侵略と敗戦と占領の事実を受け入れること。護憲も改憲も国家の一つの人格であって、過去を消すことでも過去に縋ることでもない。侵略の被害者も戦死者も被曝者も同様に弔うことで、戦争責任を引き受けることができる。歴史的仮名遣いが戦前の死者の暗喩として、現代仮名遣いを敗戦の十字架として背負う大岡昇平。名もなき英霊として美化するのではなく、名のある戦死者として弔う。そしてそれは被侵略国の死者への謝罪に繋がる。
    "大岡にとって、この戦後の世界で汚れていないものがあれば、それは、それこそが汚辱にみちた存在なのである。"
    ・戦後後論
    記憶は記憶する者が死ねば消えていく。これが戦後のノンモラル。武力否定を武力で強要された矛盾と欺瞞を引き受けず、速やかに忘れることである。必要なのは、侵略者である謝罪主体の構築。直接関係のないノンモラルには権利がある。ノンモラルの声がある、そこに救いがある。自己=文学、他者=ポストモダン。
    太宰治は、文学の反戦性に対する視線への嫌悪があった。正義を振り翳すその視線は、戦前の軍部と変わらない。どのような観点からの正しさにも抵抗するのが文学の本質。正しさの思想は、プロレタリア文学政治優位、芸術的抵抗、構造主義、ポスト構造主義、ポストコロニアリズムと文学批判を繰り返している。太宰治は、マルクス主義の他者の思想と対峙し、自己の文学を貫いた。『人間失格』の「世間」についての箇所で、世間=他者とは、正しさに着地しない、名指されないものを示している。自由思想は、束縛と圧制のリアクションとしての闘争であり、それらが取り除かれた所に芽生えるものではない。
    "誤りうる、だからかけがえのない思想なのだ"
    自己と他者、主観と客観の対立を乗り換えるために、フッサール現象学の超越(疑う)と内在(感じる)を引く。自己は、確信するために他者を必要とする。文学は、他者の思想によって文学の疑えなさを選り出す。思想は、誤りうることの中におかれることで、自由になる。
    "誤りうることがないとしたら、そういう場所に人が立つことがないとしたら、〝正しさ〟は何によって験され、確かめられるのか"
    戦後を生き延びた者が、死者とどう対峙し、戦後を生きるか。太宰治「トカトントン」サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」のテーマの共通性。
    "未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。"
    しかし、卑小な生は探究を凍結することだ。
    "真理が誤りうることの中から無謬の器に移されることに抵抗している。"
    人が自分を信じる自由、誤るかもしれないが自分を見出すこと。
    "文学は、誤りうることの中に無限を見る。誤りうるかぎり、そこには自由があり、無限があるのだ。"
    文学の言葉は、サリンジャー「最後の休暇の最後の1日」にあるセリフにたどり着く。
    "戦死者は無駄死にさせなければならない"
    ・語り口の問題
    『敗戦後論』に対する高橋哲哉の批判に応答する。ハンナ・アーレントのゲルショム・ショーレムあての書簡を巡って、「同胞の裁き」を読み取り「今の、無限の恥入り」を主張する高橋に対し、同書簡の「共同性ではない公共性・個人性移行するための私性」を読み取り、「世界に奪われた私privé 私の語り口」を分析する。
    アーレントは共同性による愛を「世界からの私的な領域への撤退」と捉え、公共性による敬愛「他の人間と世界を分つ」をより好んだ。しかし、当事者ではない第三者の裁き(公共性)や同胞ではない私的な友(個人性)を述べるのでは、「心なさ」で嘆かれるだけなので、「同胞である私」がその共同性を批判することができる。
    "共同性に代わるものは、個人性であり、公共性だとしても、それらの対置、代置には、まず、共同性と同じ世界の住人である私性による、その殺害が、必要とされる、ということなのである。"
    あとがきで著者は、政治と文学、他者と自己は、文学・自己に徹する時にのみ解除されるとしている。国民=ナショナルな戦前思想と捉える旧護憲派的な思考が、国家主体を前提にできず、空論と化している。

  • それぞれ執筆時期の異なる敗戦後論、戦後後論、語り口の問題、の3部構成となっている。
    敗戦後論が一番理解しやすく、興味深い内容。
    戦後50年を迎えるタイミングで描かれたもので、戦後、日本が敗戦に対してきちんと向き合ってきていない、と指摘している。アジア2000万人の犠牲者と300万人の日本のために死んだ兵士たち。これらの人々に対する考え方を未だ整理できていない。だからこそ、他国に対してきちんと謝ることができないのだ、という主張。
    書かれてから25年経った今でも全く変わらず通用する内容で、考えさせられる。

  • 日本の保守と革新の対峙を、アメリカの共和党、民主党、イギリスの保守党、労働党の関係と同じと見ることは出来ない。後者は異なる人格間の対立なのに対し、前者は一つの人格の分裂だ52

    日本の戦後政治は「現実にあわせて憲法9条を変えるか、憲法の条文に適合するように現実を変えるか」のジキルとハイドの一人の統合失調症55

    改憲派は、自主憲法制定して「普通の国家」設立を主張するが、それならば在日米軍を撤退させるべきなのに、それにはダンマリ。
    護憲派は、戦争放棄、平和主義を高らかに謳うのに、その原則を自分で勝ち取り、国に認めさせた訳ではない(敗戦でマッカーサーに従っただけ)ことを過小評価している56

    「リベラルで新しい私たち」を作ろうとする場合、その対立する国家とか国民が無ければならない。だが、その相手のナショナルなわれわれ(国粋主義や国体など)が分裂症だから、そもそも対峙できない。
    そのような別種の「われわれ」との対峙無しに、従来のナショナルな共同体が解体を経て、それよりも開かれたものになるということは、ありえない(まずその「相手を治癒して一人の人格」にしなければ、そんなもの実現できない)58

    たとえ原爆で死んだ広島市民でも、「無辜(むこ)の死」ではない。身から出た錆だ63

    「現代仮名づかい」は敗戦によって背負わされた十字架だ。日本はこれを未来永劫荷ってゆく74

    「きみは悪から善を作るべきだ。それ以外に方法がないのだから」78

    「清く潔白なもの」が何か物足りないと感じる。「清く潔白なもの」とは、戦争の前に戦争と関わりなくあったもの。←だけどそれは戦争を通過していない84

    現代は「汚れた世界」。そこから「悪から善を」しなければならないが、それが世界に最初に現れたのは「正義」に打ち負かされた敗戦国、ドイツ、イタリア、日本だ85

    復員船に取り付けられた海水でショボショボになった日の丸。私が愛するのはこの汚れた日の丸だ:大岡昇平87

    戦後の日本人社会の原点にひそむ「汚れ」は、20世紀後半(この文章が書かれていたとき)の日本人を世界につなぐ、世界に開かれた一つの窓である。私達の可能性は、この「汚れ」「ねじれ」を生きぬいて、一つの世界性へと駆け抜けていくこと89

    戦後の日本は「負けた、と声を発する」べきところを「喧嘩は良くない」と言って始めてしまった98

    きっと、「ねじれ」からの回復とは、「ねじれ」を最後までもちこたえる、ということである103

    「戦争に行った人間はみんな、地獄だった、と言う。だけどその語りはいつも自慢げだ」「戦死者は無駄死させなければならない」サリンジャー〈最後の休暇の最後の一日〉239 

    日本とドイツでは平和主義が戦争の罪悪感を和らげる「高潔かつ好都合な方法」イアン・ブルマ247

    占領政策の余波で天皇が免責されて、日本は誰もが道義を問われにくい特異な国になった。これは日本への受難だ イアン・ブルマ247

    この論は「正しさは正しいか?」だ370 内田樹

    加藤典洋は著作後20年たって「錆びて」しまった。「文学」の直感や抵抗よりも、頭や理屈が勝ってしまっている。そういう意味でも1995年の「敗戦後論」は珠玉だ380 伊東祐吏

  • 文芸評論家、加藤典洋さん逝去
    多様なジャンルを、またにかけ活躍。
    ご冥福をお祈りします。代表作の一つ、『敗戦後論』をご紹介。

  • 難しかった… 作者がいう敗戦の「ねじれ」はこれが書かれてから20年以上経っても全然変わってないのはわかったけど。寝かせて読み直し。その間にこの本にあった太宰時系列読み(当時の日本の状況と照合しつつ)、戦争文学としてのサリンジャー読み、アーレントも。迂回して戻ってきたらわかるだろうか。

  • 唯物論者に慰霊は可能か。

全16件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

文芸評論家・早稲田大学名誉教授

「2021年 『9条の戦後史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

加藤典洋の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジャレド・ダイア...
遠藤 周作
ヴィクトール・E...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×