規則と意味のパラドックス (ちくま学芸文庫 イ 59-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097439

作品紹介・あらすじ

言葉が意味をもつにはどういう条件が必要か?この難題に現代哲学の第一人者が挑み、切れ味抜群の議論で思考する楽しみへと誘う

感想・レビュー・書評

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  • 20世紀アメリカの哲学者・論理学者ソール・クリプキ(1940-)が『ウィトゲンシュタインのパラドックス――規則・私的言語・他人の心』(1982年)で展開した「言葉の意味の懐疑論」「規則のパラドクス」について解説している。初版2004年、改訂増補版2016年。

    アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンが帰納的推論に関して提示した「グルーのパラドクス」や、クリプキ自身が『ウィトゲンシュタインのパラドックス』の中で提示した「クワス算」を取り上げながら、以下のことが示される。われわれは、ひとつの定まった意味をもつものとして或る言葉を使用したり、ひとつの定まったルールをもつものとして或る規則に従ったりしているように見えるが、実はそうした意味や規則は、常にそれとは別の任意の意味や規則へと、それまでのものと整合性を保ちながら、ずらしてしまうことが可能であるということ。則ち、ひとつの定まった意味や規則などというものはあり得ないということ。つまり、およそ意味や規則といったものは成立不可能であるということ。このような逆説が示されてしまう。

    ここでの議論は、一見するとつかみどころのないもののように感じられる。そのため、はじめのうちは、どこが深刻なパラドクスなのか、どうしてそれが問題であるのか、分かりにくいかもしれない。しかし、ややくどい文体ながらも丁寧な説明であるため、虚心になって読み進めれば理解できる。



    パラドクスというものは、人間知性に本質的な裂け目が走っていることを暴露し、以て人間というものの在り方と世界の存立構造とを転覆してしまいかねない、その意味で絶対的であり超越的であり徹底的であり極限的であり危機的であり英雄的であり非日常的であり急迫的なものを感じさせるがゆえに、異様な魅力をもっている。それに対して、パラドクスを回避しようとする議論は、卑小であり微温的であり弥縫的であり中途半端であり小市民的であり、酷くつまらないものに感じてしまうことがしばしばある。

    同じような「落差」の感覚を、これまでも何度か感じてきた。たとえば、「厳密学」を志向した中期フッサールと「生活世界」を持ち出した後期フッサールとの対照にも、あるいは『論理哲学論考』の前期ウィトゲンシュタインと『哲学探究』の後期ウィトゲンシュタインとの対照にも。まるで哲学の使命が、人間と世界の根源的な在りようを解明することにあるのではなくて、結局はありふれた常識をより微細に分析して迂遠な技術的用語へ置き換えていくだけであるかのように感じられてしまい、期待外れの物足りなさを覚えたのだと思う。

    畢竟こうした「哲学観」は、過激思想に傾倒しがちで、病的という意味でロマン的な、そういった青年的心性が抜けずにいる、衒学的素人が陥りやすい典型なのだろうと思う。極端で、観念的で、独善的。要するに、不全的な生であるということの症候。

  • パラドックスというワーディングに惹かれ、読み始めたが、論理がぐるぐる空転するような消化不良で終わり、本書では何を言いたいのか、あるいは言わないのか、理解ができない。
    前半は哲学の初学者向けの説明スタイルをとったらしいが、深掘りするほど遠ざかる奇妙な感覚にとらわれる。後半は、ウィトゲンシュタインやクリプキの哲学スタイルを知っている前提で、肯定論や批判論じみた展開になっているが、文字を追うそばから内容が逃げていく、時間だけを空費している感覚になる。哲学者とは、そもそもどこに向かっているのか、向かいたいのか、その意味合いも含めて理解ができない。

  • 前提:今までそれがひまわりだと認められるのであれば、それは黄色だと観察される。
    結論:よって次に観察されるひまわりも黄色だと観察されるであろう。

    前提の句点の前後を以下のように整理する。
    前提:今まで if A then B
    結論:今後も if A then B

    これを何を言っているのか、整理しよう。
    あるAという現象を、Bというカテゴライズするものと、観察される。
    これは、Aという現象のカテゴリーが所有する属性としてのカテゴリーにBが含まれるということを語っている。
    逆に言えば、B1というカテゴリー、B2というカテゴリーの現象が観察されると期待されるAという現象の観察カテゴリーがあることを前提は期待されている。ひまわりであれば、花弁が黄色い、背が高い、などである。

    これはすなわち、ある、属性としての期待される観察カテゴリーset B=(B1,B2,B3...)を所有する別の現象のカテゴリーAがあり、ある現象がAという認識をされるカテゴリーであるということはBという集合を属性として持つことを期待する。

    ところで、ひまわりは、それが妥当するカテゴリーの属性Bがどのように生成されるのであろうか?種は花弁の中央に大量に実ること、背は1m~2m、「ひまわり」属すカテゴリーを生成するための、外れとなる属性を省きな柄、妥当するBを生成するのは「関心」である。

    関心が異なれば、妥当するAの範囲が異なり、結果、そのAを覆う属性集合のBが異なる。帰納法とは、いわば「関心」が生んだ、我々の世界への期待であろう。

    眼前のある色のものが、そうではないようなカテゴリーのものに部類されるかもしれないという懸念は、現象学的には、世界性の破れではないだろうか。

  • [出典]
    「現代思想入門」 千葉雅也
    P.15

  • ■メインテーマ
    言葉が意味を持つにはどういう条件が必要か?

    ■感想
    推論を支えるものとして、各人の技能知を身につけているという前提があることがわかる。
    もし、推論能力がなかったら、言葉の意味を正当化するための規則が存在しない。

  • 哲学
    85ページまで読んだ
    もう少し読んでみよう

  • 規則と意味のパラドックス (ちくま学芸文庫)

  • 東2法経図・6F開架 133.9A/Kr5k//K

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著者プロフィール

飯田 隆(いいだ・たかし)
1948年北海道生まれ。主に言語と論理にかかわる問題を扱ってきた哲学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。熊本大学、千葉大学、慶應義塾大学、日本大学文理学部で教え、現在は慶應義塾大学名誉教授。科学基礎論学会理事長と日本哲学会会長を務めた。著書に『言語哲学大全』(全4巻、勁草書房)、『ウィトゲンシュタイン――言語の限界』(講談社)、『新哲学対話』(筑摩書房)、『規則と意味のパラドックス』(ちくま学芸文庫)、『日本語と論理』(NHK出版新書)、『分析哲学 これからとこれまで』(勁草書房)、『虹と空の存在論』(ぷねうま舎)など、編著に『ウィトゲンシュタイン以後』(東京大学出版会)、『ウィトゲンシュタイン読本』(法政大学出版局)、『哲学の歴史11――論理・数学・言語』(中央公論新社)など多数。

「2022年 『不思議なテレポート・マシーンの話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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