- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480097477
作品紹介・あらすじ
「おかしみ」の根底には何があるのか。主要4著作に続き、多くの読者に読みつがれてきた本著作の最新訳。
感想・レビュー・書評
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『笑い』 アンリ・ベルクソン
笑いとは何か。可笑しさとは何かについて、徹底的に論じた本。
最近、お笑いをよく見ていることや、『JOKER』(2019年、トッド・フィリップス監督作品)で象徴的に描かれる笑いと、その不気味さについて解明するべく、本書を手に取った。
可笑しさとは、自動性、機械性、強張り、硬直への懲罰である。という一節が印象的であった。ある種の「反-社会性」に対する抑制効果として笑いは存在する。
ベルクソンによれば、可笑しさを人が感じる上で、必要な事項は上記の一種の「柔軟性の欠如」である。機械的な労働を強いられた結果、突起物を見るとなんでもスパナで回してしまうその自動性・機械性(『モダン・タイムズ』)。天が落ちてくるのではないかという一つの心配事に固執するその強張り、思考の硬直性。(『杞憂』)。合コンで気持ち悪いと思われないか心配するあまり、全てのことが気になってしまう心配性(ブラックマヨネーズの漫才)などなど、いわば社会に反する態度(=自動性、機械性、強張り等)に人々は可笑しさを覚える。
その前提にある、社会とは何かという考え方であるが、生活と社会はわれわれ各々に要請するのは、現在の状況の様々な輪郭を見分ける恒常的に覚醒した注意であり、また現在の状況への適合することを可能ならしめる身体と精神のある柔軟性である。この緊張と柔軟性こそが生命を駆動させる相互補完的な二つの力なのだ。生物科学の権威である福岡伸一氏の言葉を借りれば、社会は相補的でかつ相反する二つの要素の動的な均衡状態により継続している。(生物も「動的平衡」によって生命を維持している)。生命とは、社会とはそのような動的な存在であり、繰り返されることのない、唯一無二の時間である。生命の一回性、時間の不可逆性が認められるからこそ、静的な強張りや、同じ状況の繰り返し(カブセ)が「可笑しさ」の対象となりうるのである。
状況に対する可笑しさについても原則は同じである。反復、逆転、諸系列の交叉は動的平衡により維持される社会に相反するものである。生命の一回性に反する反復や、そのまま状況をひっくり返すという一種の機械性が、別々のシステムやルールを運用している人々の交叉(出会い、そして、相手に対して、自分たちのルールを適用して理解しようとするその機械的な判断に起因する誤解―アンジャッシュのコント的な面白さ―)が可笑しさを生み出す。そして、何度も言う通り、その可笑しさの原因は、動的な社会の中で異質さを発揮するその自動性・機械性・居着きなのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ベルクソンの芸術論
心打たれる文章がたくさん -
哲学者の本なのでことさらに難解に述べているが、いくつかわかったような記載があった。曰く、笑うことができるのは人間に関すること(自然現象で笑うことはできない)、笑いは社会的懲罰としてあり必ず苦みを伴うということ、対象となる人に共感すると笑うことはできない、である。全体としては笑いとは何かというよりも「可笑しい」とは何かを論じつつ最後に笑いの本質をずばっと、端的に、短く述べていた。
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彼らは本来生命が持つべき「柔軟性」を欠くからこそ可笑しなものと感じられる。この強張りが人間の感覚や知性を襲う場合、その人間は「放心」した人となり、この人物が周囲の者に笑いを呼ぶ。放心した人は、生活に必要な注意力が弛緩し、精神が強張ってしまったせいで失態を犯す。さらにこの強張りが性格へと固着いたのが、喜劇で描かれる人物である。
あとがきの(1)「笑い」要約より
上記は確かに、笑いの一つの形態だと思う。
が、本当に、強張りを、一種冷徹な知性で判断した場合にのみ、笑いがあるのか?と考えると、もっと笑いはバリエーションがあると思う。笑うことに苦みがあることはよく分かるし、笑いは悪意、攻撃性ももっているが、人の弱さを認めること、明るく前向きに肯定する面も持っていると思う。
また、あかちゃんや動物など、自分よりも弱いものを見たときの笑いなど、滑稽な中に親しみを感じているために生じるものは、知性の~というニュアンスとは違うのではないか?
またダジャレなどの言葉遊びや、風刺など、凝り固まった頭を開放して、新たな視点を示してくれた時、鬱屈した状態を切り開いてくれた時に感じるおかしみなどもあると思った。
これは、文中で「緊張の中の弛緩」と笑いの効果として説明されていたものと同質だと思うが、強張りを笑っているわけではないと思う。 -
ちょっと硬い直訳気味の訳で、かえって意味は取りやすかった。ただ、今までベルクソンは仏文学者によって訳されていたためか、流れるような語り口調と気の利いた言い回しに感心することが多かったのが、この本ではその印象が薄い。読んで楽しむというよりは、もうちょっと学術的な目的寄りな感が強い。今までの翻訳が仏文学とするならば、とても哲学的・学問的なベルクソンとも言えようか。
著者プロフィール
アンリ・ベルクソンの作品






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