カニバリズム論 (ちくま学芸文庫 ナ 3-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480098023

感想・レビュー・書評

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  • 概ね食人を介して考える文明論というか中国文明論だった。
    食人のタブーというものが虚飾であり「糞リアリズム」の前にはなんの意味もないという話はなんとなく分かる。
    こういった、つきつめると意味の分からないタブーは人間社会の中に多いものだなともう分けです。カニバリズムを文学的テーマとしている作品は多い。
    ただ、書かれた時代が1970年~1980年代なので、事実の誤謬も多いのは仕方ない。一例として欧州の魔女裁判は拷問の流血を嫌ったし、実際の最盛期は中世ではなくそれ以降の近世なのです。

  • 以下4点がキッカケで読む事になった『カニバリズム論 』(中野美代子)

    ❶『フォギーフット2』(紗与)読んでて出てきたワード【カニバリズム(人が人の肉を食べる事)】が気になり、

    ❷⑴『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)で、主人公が無人島生活をしている時に、カニバリズムな野蛮人が描かれていたシーンを、

    ⑵ 『文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの』(ジャレド・ダイアモンド)でアメリカ南西部・アナサジ遺跡から出土したものから【人肉食】の痕跡があった事を知り、

    ⑶ 『トマトの歴史』(クラリッサ・ハイマン)で「スペイン人がベラクルスからテノチティトランまでメキシコ内陸に進んでいた時、先住民がトウガラシ、トマト、塩を入れた鍋を手に彼らを食べようとした」という文を読み、

    「昔からこの発想はあっただろうし、実際にあったのかもしれない。これまでにどんな事があったんだろう。」と、

    過去のカニバリズム事例が気になりました。

    ※(ちなみ戦争で生き延びるために、自分の腕を切り落として食べる他なかった例は何かで読んだ事はあります)


    本書では以下4点からカニバリズムについての考察が行われていました。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    ❶出土した原始人の骨の形跡から推測されるカニバリズム

    ❷海難事故における飢餓原因のカニバリズム

    ❸史書に記されたカニバリズム

    ❹物語設定としてのカニバリズム

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


    カニバリズム原因としては、

    ①人肉食糧視(人が牛を食べるのと同じという感じだそう)

    ②飢餓(やむなし)

    ③宗教儀式(よくわかんない)

    というものがあり、

    以前私が読んだ戦時中のお話は②にあたります。

    これが自分の体ではなく、亡くなった仲間を食した場合、これは罪になるのかならないのかというお話は深かった。

    本書曰く、日本の国の刑法第37条には、

    「事故又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ巳ムコトヲ得サルニ出テタル行為ハ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス」とあるとの事。

    「カニバリズムの行為は、ふつうならば、たとえばわが国ならば、刑法第190条死体損壊罪で罰せられる。しかし、危難共同体においてのカニバリズムが「巳ムコトヲ得サルニ出テタル行為」と判定されれば、「其行為ヨリ生シタル害」すなわちカニバリズムによる死体の損壊は、「其避ケントシタル害」すなわち生ける者の生命の危難を超えないことは明らかであるから、カニバリズムは犯罪を構成しない。」

    と書かれているのを読んだ時は何とも言えなかったなぁ。

    まぁ、①に関しちゃ共食いのイメージが強いのですが、知人曰く「カマキリの共食いはコレには当てはまらない。あれは子供を産むための栄養摂取」とのこと。

    人と虫の比較って意味あんのかって話だけどさ……女だけど女怖い。

    変わってフィクションとしてのカニバリズムとなると描写がエグくて、
     
    「豚なんぞ、味からいっても立派さの点でも、よく育った肥えた一歳の赤ん坊にはとても較べものにならない。」っていうセリフを読んだ時にゃ「ヒィッッ」ってなった。

    『注文の多い料理店』(宮沢賢治)と『東京喰種』(石田スイ)が浮かんでくる。


    …………といろいろ忙しい本でした。

    本書初版の単行本刊行が1972年と、文体がちょっと古めな所があって読むのに時間かかりました。

    読み終えた後に思うのは、

    「複雑」の一言に尽きます。

  • 何について語っていても反権力反現代の主張が入ってくる。カニバリズムについての記述よりそっちの方が単純明快で印象に残り、これなんの本だっけ…状態。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738215

  • 40歳頃のエッセー集。
    中野先生は『西遊記』の注でも「蹴鞠の技の訳が分かる方は連絡ください」みたいに書いてたけど、この本でも『「良識」よりもカニバリズムに感応する』のように述べていて、正直で素晴らしいと思った。

  • 澁澤龍彦の序がまずよい。残虐や攻撃=動物性、友愛や連帯=人間性と一般的にイメージされてるが、むしろ逆なのでは?という定義。道具の発明は力の均衡を壊し、バランサーであった動物的本能が働かなくなり、同類殺害が生まれた。だから、カニバリズムは人間的な行為なのだという完璧な導入。

    本文で好きなところの要約、引用
    ・「思えば、肉欲の至高の表現は、愛する者を滅ぼし、これを食いつくすことにありはしないだろうか。性が形而下の目的として生殖すなわち有を一方の極におくならば、一方の極には、完全な無があるはずだ」
    ・ジョルジュ・バタイユの「エロティシズムとは、死にまでいたる生の称揚である」。戦争もカニバリズムも人類が禁忌としながら避けられなかったエロティックな欲望。永遠に未知なものに対して渇望と想像力の交流が発生するエロスの原理。達成したい、しかし達成すれば終わり......
    ・高価な珍奇な中国料理の価値は一元的であり、飢えに苦しむ人の誘惑の対象にはなりえない。食物として、こんなにも二元的な倒錯的な価値があるのは、人肉だけ。
    ・西洋人は血を噴出するものとして捉えたが、古代中国人は体内を平和に巡るものと捉えた。だから残虐な処刑絵にも血は登場しない。つまり、血のイメージ化は一切なかったといえる。流れ出る血はもはや、その人のものではない。
    ・サディズムの思想は、人と人が対等であるという前提によって成立する。
    ・日本の武士道は死という幻想、虚構の目標に向かう無私の苦行であり、マゾヒズム。一方、中国の科挙試は富や美女という現実的な目標に向かう「有私」の苦痛。しかし、この「有私」の苦痛は体制に奉仕する目的を帯びると無私の自己修養へと転換する。「体制化されたマゾヒズム」と言ってよい。


  • 最初の方はタイトル通りで、その周辺のエッセイのまとめ本。
    何度も再版されてる。
    色んな本の元ネタがまとめられてる感じがあって興味深い。
    半分以上のメインは中国関係のカニバルとか宦官とか纏足とか。

  • 社会学・哲学の本ではなく、文学に属する評論的エッセイ集である。
    「カニバリズム」つまり人肉嗜食に惹かれる著者は澁澤龍彦などと通じる傾向が見られるが、澁澤なんかよりもずっと学識豊かで、冷静なまなざしを持っている。
    中国の文学と歴史に詳しい著者の記述は、中国について非常に疎い私から見ると魅力的で、なかなか興味深い。
    中国人は現実的で、即物的なリアリストだという指摘も面白い。いったん死んだものについてはさほど気にかけない点、日本的文化と逆である。
    本書は学術的とまでは言えないが、じゅうぶんな学識をもった文学者の書であるので、面白く読み通すことができた。

  • カニバリズムよりエロティシズムに重点を置いているような気もしますが面白かったです。
    中国文学を専門とされるだけあり、中国文学における『喫人』や纏足のエロティシズム等の中国関連は特に読み応えがありました。

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著者プロフィール

1933年生まれ.
1956年,北海道大学文学部中国文学科卒業.
北海道大学文学部助教授.
主 著:
砂漠に埋もれた文字—パスパ文字のはなし (塙書房,1971)
海燕(長編小説) (潮出版社,1973)
中国人の思考様式—小説の世界から (講談社,1974)
カニバリズム論 (潮出版社,1975)
悪魔のいない文学—中国の小説と絵画 (朝日新聞社,1977)


「1979年 『辺境の風景 日本と中国の国境意識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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