増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

  • 筑摩書房
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感想 : 27
  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480099204

作品紹介・あらすじ

ごく平凡な市民が無抵抗なユダヤ人を並べ立たせ、ひたすら銃殺する――なぜ彼らは八万人もの大虐殺に荷担したのか。その実態と心理に迫る戦慄の書。

感想・レビュー・書評

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  • ナチスドイツ配下でのユダヤ人の虐殺は、アウシュビッツなどの強制収容所だけではなかった。東欧やソ連、南欧などで、警察予備隊がユダヤ人の強制移送とともに大量の銃殺を行っていたことが知られている。

    本書は、そういった警察予備隊のひとつである第101警察予備大隊に関する起訴状の中に書かれている約125名の司法尋問書を分析したものである。著者はホロコーストに関する公文書や裁判記録を長年にわたり研究を続けていたが、この起訴状ほど心をかき乱される衝撃を受けたものはなかったという。司法尋問という性格上、その証言には虚偽も混ざっていることだろう。また、終戦から時間が経った後の尋問であったことから記憶の混乱や抑圧もあったはずだ。しかしながら、これだけ多くの人の証言であるならば整合性を丁寧に確認して総合することで多くの真実が浮かび上がってくることが期待できる。それが、本書の著者がやったことだ。

    対象となった第101警察予備大隊の特徴のひとつは、彼らが決してナチスのエリートでも心酔者でもなく、また反ユダヤの信念を持っていたのでもなく、さらにナチが政権を取った後の極端な教育だけを受けたわけでもないドイツの普通の30代~40代の男性を中心とした部隊であったことだ。そのことが本書のタイトルが『普通の人びと』となった理由でもあり、またこの本の論考が貴重なものである理由のひとつになっている。どのようにしてそういった普通の人びとの集団が殺戮を日常として受け入れ、実行していったのか、について複合的な理由が分析されている。

    まず鍵となるのは、最初にユダヤ人に対する大量殺戮が行われたユゼフフの町での実行命令を下すための集合において、大隊長のトラップ自身がその命令に対して躊躇を覚えて苦悩していたということだ。そして、そのことを周りに隠すこともなく、さらに任務が実行できないと思うものは実行前に自ら申し出ることを促し、それを避けられるようにしたのだ。その機会に対して、12人のものが実際に任務の実行忌避を申し出た。
    それは12人しかいなかったというべきなのかもしれないが、一方でその行為が軍の命令に背くこと、また仲間に対して裏切り者であり臆病者であると思われたくなかったこと、そして、自分が手を下さなかったからといってユダヤ人たちの運命に変わりはないだろうと思えるであろうこと、またもしかしたらまだ無抵抗なユダヤ人を銃殺していくということがうまく想像できなかったこと、などを考えると限られた数であったことはある意味では想定された反応であるとも思える。

    一方、さらに重要なことは、そのことにより、もしどうしてもできない、するべきではないと思ったのであれば、少なくとも自らは手を下さなくても懲罰に掛けられることはないということが認識されたことである。これは重要なことであった。絶対的な強制を伴わずして、その殺戮は行われたということであるからだ。この選択肢があったことは何人かのものにとっては重荷となったし、何人かのものはアルコールによって心を麻痺させる必要を感じていた。さらにそれが本当のことかわからないが、誰も見ていないところでは見逃したし、子どもにはあえて弾を当てないようにしていたともいう。
    しかしそれでも、そういったユダヤ人への集団殺戮は継続し、そして常態化するにつれて、最初にあった抵抗感が薄れていき、部隊は多くの町で銃殺を繰り返していったのである。

    「大量殺戮と日常生活は一体となっていた。正常な生活それ自体が、きわめて異常なものになっていたのである」

    司法尋問調書の分析からは、殺人に対する繊細な感覚が最初の殺戮以降急速に鈍化していったことが見て取れる。銃殺の実行を志願する兵の数は常に必要とするものの数よりも多かったという。したがって、いつでも強く拒否すれば避けることができたにも関わらず、そして実際に忌避した人はいたにも関わらず、第101警察予備隊の普通の人びとの多くはある意味では進んで射殺を続けていったのである。人は多くのものに慣れていく。そして、「殺人も人が慣れることのできるものであった」のである。

    あとがきに書かれた次の言葉がそこで起きたことと、起きうることを正確に記述しているかもしれない ― 「人びとは、自分の行動と矛盾しない新しい価値観を選ぶことによって、価値観を変えることができるのである。かくして殺戮が日常業務となるにつれて、信念の殺戮者が出現してくるのである。権威と信念と行動の関係はたんに複雑なだけではなく、不安定であり、時の経過につれて変わりやすいものなのである」

    そして最終的に大隊の約500人が直接手を下した犠牲者の数は約38,000人、さらにトレブリンカ強制収容所に移送したものは約45,000人に上ることとなった。

    ここで、社会集団における規範がどのように強化され、受け入れられるのかという問題が見て取れる。普通の人びとが、実際にユダヤ人を迫害するにあたっては、その行為の正当化が必要である。しかし、その正当化は容易になされていった。ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』を引きながら、戦争においては人種差別的ステレオタイプに基づくプロパガンダによってその残虐性を簡単に引き出すことができることが示される。ユダヤ人を戦時において敵と見なすことによる正当化、人種的観点から下等であると見なすことによる優越感、搾取や略奪・財産没収による経済的な利益、などがその残虐性の発露を容易にしていた。

    「彼らはたいてい、自分が悪いことないし非道なことをしているとは考えていなかった。なぜなら殺戮は正当な権威によって認可されていたからである。たいてい彼らは考えようとさえしなかった。それがすべてである」ー このように書かれるとき、まったく同じ論理がアイヒマンにも当てはまることが理解できる。

    日常の集団における行動においても、外からの順応への強い圧力とともに、積極的に集団への順応を優先しようとする内からの動きがあることはほとんどの人に認識されるところであると思われる。日本でも「空気を読む」という言葉によって、順応する理屈さえ差し出されたのであれば、一定の範囲で道徳的規範に集団論理を優先させることはあるだろう。それが無抵抗な人の大量殺人であってでさえもである、ということがこの本に書かれたことの恐ろしさである。

    「ほとんどすべての社会集団において、仲間集団は人びとの行動に恐るべき圧力を行使し、道徳的規範を制定する。第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか」

    実際に第101警察予備大隊の隊員による調書からはそのことが強く読み取れるのである。順応の拒否は、拒否するものからですら正当化されていなかった。逆に順応を拒絶することも、集団の順応を正当化し強めることもあるほどであえる。

    「多数のドイツ人は大量殺戮に参加し、非順応であると取られることを避けるために、彼らの感情を隠蔽したのであった。参加しなかったドイツ人は、臆病で女々しいという汚名を甘受したが、それによって逆に戦友たちの強靭な論理を正しいと承認することになったのである」

    なお、第101警察予備大隊の同じ調書をもとにしながらも、そういった一般にも通ずる人間心理ではなく、戦前のドイツ人のヒトラーへの心酔を含む反ユダヤ主義の深層における浸透に見たゴールドハーゲンの著書『普通のドイツ人とホロコースト』への反論に多くの紙幅が取られている。当時「ゴールドハーゲン論争」とも言われたこの議論は、訳者あとがきでの内容でも書かれているように、もはや論争としては決着したものと考えてもよいものだと思う。ホロコーストは、特殊な環境においてのみ起こりえた事件であると捉えるのはおそらく正しくない。一度起きたことは、もう一度起きる可能性はそれが起きる以前よりも高い。それが社会において集団として実行されたのは「普通の人びと」によってであったということについて怖れを抱く必要がある。実際にそれを体験した人がこの世からいなくなったときにこそ、ここに書かれた論考とそれぞれの事実に対して謙虚に正当な怖れをもって受け止めることから始めないといけないはずだ。イアン・カーショウは「アウシュビッツへの道は憎悪によって建設されたが、それを舗装したのは無関心であった」と言ったが、その無関心の先に「普通の人びと」が順応して行った無抵抗な人びとへの殺戮行為があることは忘れてはいけない。

    人間の生命の侵し難い尊さや、人類の平等に基づくヒューマニズムといったものは、決してどのような時代でも当てはまるような真実ではなかったし、何の前提もなく成り立つような公理でもない。少なくともたった75年前の当時の先進国ではそうではなかった。それは、むしろ不断の努力と共同幻想によって獲得された不安定なものと考えるべきものなのかもしれない。「普通の人びと」が語った言葉が著者の心をかき乱したのはそのためであったのだ。

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    『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別 』(ジョン・ダワー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4582764193
    『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(ハンナ・アーレント)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4622020092

  • ナチス政権下でのホロコーストの実態を理解する上で、1992年に出版された本書は2つのことを教えてくれる。一つはホロコーストに関して、我々はアウシュビッツやビルケナウ等の強制収容所ばかりをイメージするが、実際には被虐殺者の20-25%は、ユダヤ人が暮らしていたゲットーやゲットー近辺の森林での”射殺”によるものであるということ。そしてもう一つは、そうした”射殺”に関与したのが、民族浄化や反ユダヤ思想に特段染まっていたわけではない市井の人々によって構成された警察予備大隊であったということ。

    ある暴力についてそれが特殊な事情(政治思想、宗教、貧困等)の影響によって、限定的に持たされるものであるという言説は、一般的に我々を安心させる。そうした状況に陥らなければ、我々が暴力に駆り立てられはしないという安心感を与えてくれるが故に。一方、本書は全く真逆の事実を提示する。中年層の職人や商人などの一般人であり、かつ年齢も比較的高い故に、若年層のようにナチスドイツの思想に耽溺したわけではない人々により構成された警察予備大隊が、なぜ3.8万人のユダヤ人らを射殺し、4.5万人のユダヤ人らを強制収容所送りにしたのか。

    本書は、歴史学者とである著者が極めてオーソドックスな歴史学のメソドロジーに基づき、市井の人々が血生臭い暴力の執行者になり果ててしまうのかというメカニズムを明らかにしようとした労作であり、ホロコースト研究、ひいてはそれは暴力という行為そのものに迫る心理社会学的な側面すら明らかにしようとする。決して心地良い書物ではないが、得てして本当の事実とは人を不快にさせる。そうした優れた歴史学の一冊として、永遠に語り継がれるべき研究所である。

  • 521ページの内、305ページからあとがきが始まるというある意味スゴい構成の本。そのあとがきが同じ史料から真逆の結論を導き出した同業者の研究への批判で埋め尽くされてるといてかなりおもしろい。
    本自体の中身としては、タイトルの「普通の人びと」が如何にしてユダヤ人虐殺に手を染めたのか、それを拒否したのかというところを証言に基づいて検証。嫌がる人、嬉々として協力する人、出世のために協力する人、兵役さえ終われば日常生活に基盤があって軍隊内部での出世なんか気にせず拒絶する人、きっちり計画された虐殺、行き当たりばったりの乱射、教科書の「ユダヤ人に対する虐殺行為が行われた」の一文の裏側の個別事情が言葉は悪いけどいちいちおもしろい。

  • 『増補 普通の人びと』訳者あとがき|ちくま学芸文庫|谷喬夫|webちくま
    http://www.webchikuma.jp/articles/-/1718

    筑摩書房 増補 普通の人びと ─ホロコーストと第101警察予備大隊 / クリストファー・R・ブラウニング 著, 谷喬夫 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480099204/

  •  原著初版1992年、あとがきを加えた第2版が1998年、更に「25年の後で」という文章が2017年追加された。
     ナチスのユダヤ人大虐殺を扱った著書として非常に有名で、いろんなところで言及されており、とりわけ社会心理学系の本にはあの有名なミルグラム実験と共に、よく引用される。
     普通に善良なドイツ市民が無残な虐殺を行ったというテーマで、それはハンナ・アーレントの「凡庸な悪」というテーマにも隣接しそうだが、本書を通じアーレントへの言及は全く無い。
     歴史上の限定的なプロセスについてのルポルタージュになっており、中心的に記述されるのは、30代から40代の至極普通のドイツ男性の寄せ集め500名ほどで編成された「第101警察予備大隊」が、ポーランドにおけるユダヤ人虐殺を遂行する経緯である。歴史上の事実をたどりながら、考察は当然心理学的な部門にもまたがってゆくだろう。
     ポーランド内の様々な街をたどってユダヤ人たちを銃殺していく。労働力になりそうな男性の一部は労務のほうに送り込まれるが、病人・老人・女性・子どもたちは即刻射殺される。隊員たちは当初殺人行為にかなりの抵抗感を持つが、作戦が重ねられるにつれ次第に麻痺してゆくようだ。より効率的に・殺戮者の心理的負担も減らすべく、ガスで一気に殺す絶滅収容所に送り込むようになるが、それでも、大量射殺行為は延々と続く。何百人、何千人と一気に殺され、その数字を見ていく内に読んでいるこちらも麻痺していく。
     この大隊の司令官はヒューマニスティックな人物で、殺戮に当たって涙を流したりする。隊員の1割ほどは「こんな仕事は私には耐えられません」と申し出てそれが意外にも許され、別の任務に回されることがあったようだ。変に真面目な日本軍なら決して許されなかったろう。
     大量殺戮の行われた日の夜は隊員に酒がふるまわれ、みんな大いに飲んで思考を麻痺させた。考えこむ隙を与えず、機械的な作業を続行させるのである。
     著者の解釈によるとこの大隊に属するドイツ人たちはもともと、反ユダヤ思想に染め上がった人々ではないのだが、命令に従う組織集団として、黙々と虐殺を実行していったのだった。先述のように良心の責めに我慢できず作戦から外してもらうことも可能だったのだけれども、状況的に、自分が殺人に参加しなかったとしてもそれでユダヤ人の命が幾らか救われるわけではなく、単に自分の担当する殺人行為を他の仲間に押しつけるだけになるので、いろいろ計算してみて結局多くの者は粛々と虐殺をこなしていったらしい。ちなみにユダヤ人だけでなく、丸腰の一般のポーランド人も相当数射殺されている。
     殺戮に嬉々として・快楽を感じつつ参加したのは、本書中ではたった一人の士官だけであり、こういう心性の方が例外である。だが、ほとんどの隊員が膨大な射殺を行ったことに変わりはない。
     著者の考察によると、当時の一般的なドイツ人の多くは、反ユダヤ思想に洗脳されていたわけではなかった。ナチスによる障害者や老人、そしてユダヤ人の殺戮が始まった時、そのことに気づきながらも、多くのドイツ市民はユダヤ人たちの運命に「無関心」を決め込んだ、というのが著者の分析だ。この冷淡な「無関心」こそが、ナチスの傍若無人な悪行を支えたのである。日本人も国政選挙に当たって無関心による沈黙を守ったり、なんだかんだ言い訳をしながら敢えて投票を棄権したりするような人間が多く、それは特徴ある日本の「あきらめ」の文化傾向の現れでもあるが、このような層こそが、政治の悪を支えているのだと気づく者は少ない。「朝鮮人皆殺し」などと書いたプラカードを掲げてデモが行われても、それを全然取り締まらないのが日本である。どこかで一歩すすめば、虐殺が繰り返されるだろう。日本の近年の中央官僚たちが文書の改ざんや隠蔽を大々的に行って悔いず、一方良心が咎めて自殺した同僚に対しても平然として鉄面皮を決め込む状態も、ある意味、野蛮な時代の到来を証明している。
     本編の最後に、著者はこう書いている。

    「すべての現代社会において、生活の複雑さ、それによってもたらされる専門化と官僚制化、これらのものによって、公的政策を遂行する際の個人的責任感覚は希薄になってゆくのである。ほとんどすべての社会集団において、仲間集団は人びとの行動に恐るべき圧力を行使し、道徳的規範を制定する。第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか。」(P.304)

     史実を具体的に記述しつつ、人間性についての極めて重大な疑惑を思索させる、やはりこれは優れた書物であった。

  • 2021/01/02 17:30
    「半径5mの信用できる人の意見に流されないために、本は必要だ。」

  • 「Ordinary MEN」の翻訳(2019/05/10発行、1728E)。

    知られざるドイツ秩序警察・警察予備大隊の衝撃の実態を明らかにした名著の単行本を増補した文庫版。

  • 何百万人ものユダヤ人を虐殺したのだから処刑に関与した人間は極悪人ばかりだと思いたいが、この本を読むとそうではないというのが良くわかる。
    組織の歯車に収まってしまうとおぞましい程の蛮行も気にならなくなり、しまいには効率的で淡々とした殺戮者となってしまう。そこには順応への圧力や面子を失うことの恐れなど自分にも見に覚えのあることが関係しており、けして他人事として切り捨ててはいけない問題だと思いました。

  • 2022-05-02 観測2回め

  • BRUTUS202111合本掲載 評者:田野大輔(社会学、歴史学)
    東洋経済2022430掲載 評者:田野大輔(歴史社会学)

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