- Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480102294
感想・レビュー・書評
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「銀の匙」
早熟な少年の中にやがて大人のさめたまなざしがめばえゆく、その様子をつぶさに描いた繊細な成長譚だと思った。とともに、折々の子どもたちとの遊びや学校のようす、親たち大人たちとのやりとりや隣家の女の子とのふれあいは、百年以上もまえの光景のはずなのに、まるでわたし自身も体験したことがあるかのような、ふしぎな懐かしさがあった。中勘助は、ひとのしぐさの自然な描写が上手。
「犬」
千年前のインドが舞台で最初ちょっと面食らったけど、中盤から怒涛の展開で一気読み。禍々しい呪術と醜悪な犬畜生、そして女の生理的嫌悪感。
【ノーツ】
「銀の匙」
・伯母さんとの折々のふれあいがつまびらかに語られるのにくらべ、じつの母の存在感がなんとも希薄だったのがちょっと意外。
・中勘助は、やさしい伯母や愛らしいお惠ちゃんなど女性的なものに対して親しみや恋慕を抱く一方、学校の先生への反感や兄との静かな決別など、男性的な権威とはそりが合わなかったようだ。
・自然に親しむ少年。とくに蚕のエピソード。
・幼い頃、茶箪笥のひきだしからひょっこり出てきた銀の匙。それは伯母との思い出、さらには少年時代のいろんな思い出を象徴するもの?というよりそれらの思い出を思い出すための、よすがのようなもの?
「妹の死」
・死ぬまえにひとは寂しがり、手を握ってほしくなる。
「犬」
・ほんとうの犬は穢した者か、穢された者か、それともひとの穢れを咎めておきながらみずから穢れに堕した者か。
・ただし醜さはそれが生来であるゆえに、不憫ではある。
「漱石先生と私」
・散文よりも詩歌を重んじた中勘助は、漱石の文章は「耳を無視する」、すなわち語彙は豊富だけど詩的な音韻を軽んじる点が不満だと評した。
・中は漢字よりもかなを好んで多用した。
・中はみずから人を遠ざける性格ゆえ、漱石とあまり親しむことができず、むしろ疎遠でさえあったと回想した。それでも人間嫌いな中にとって、漱石は、最も好きな部類に属する人間の一人だった。
【引用】
「妹の死」
死ぬ二日ばかりまえのことであった。……私にすぐきてほしいというのでいってみたら、誰もいないでひとりっきりぽつねんとねていた。
「どうした」
といってそばへよったら
「寂しいから手を握って」
といって手をだした。その前日であったか、入院してからはじめて頭がはっきりしてなんでもよくわかるといって非常に喜んでいたが、この日も気分がいいといっていつになく話などした。ぼんやりすると死にたがるのがはっきりすればやっぱりよくなりたがるのを自分でもおかしいといって笑った。妹は……ぐちをこぼした。それから もうすこしうえへ体をあげて というのでそうっと抱えてずれた枕のほうへ押しあげようとしたら、すこし強くゆれたためにせっかく冴えていた頭がまた朦朧としてしまった。けれども彼女はちょっと笑顔をみせて、はじめて私にそんな世話をしてもらうのが嬉しいようなきまりが悪いような様子をした。それがあとにも先にも私が手をくだして世話をしてやったたった一度である。枕もとには見舞にもらった西洋水仙の鉢植えがおいてあったが、あれほど花が好きだった妹ももうそれをみようともしなかった。私が買ってきて壁にとめた版画にもただ きれいだこと と気のないひと言をくわえただけであった。窓のまえにはポプラーと夾竹桃の若木があって幾羽の鳩がよく餌をひろっていた。天神様からきたのであろう。
(247-8頁)
【目次】
*
銀の匙
妹の死
*
犬
*
鳥の物語 より
鶴の話
白鳥の話
*
漱石先生と私
*
詩・短歌
飛鳥(ひてう) より
*
読者が演奏者となる時 ― 串田孫一
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漱石の「行人」連載の中断の、穴埋め作品として世に出た「銀の匙」。言わずと知れた傑作なのですが、江藤淳が「漱石とその時代 第五部」で詳述しているのを読んで、もう一度感動。
そのあたりブログに書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201909130000/ -
灘高(だっけ?)の授業とかで話題になっているなと思いつつも一度も読んだことがなかったので,これを機会にと思って読んだ。
千夜千冊で紹介されていたのとは少し違う版だけれども,まぁこれはこれで。というかむしろ,他の話も入っているおかげで納得がいったような部分もあったので,この版を読むことができてよかったなと思う。
個人的には鳥の話をもう少し読みたいなと思ったので,今度それはそれで読んでみようかしら。 -
銀の匙、年老いた伯母を訪ねる話が切なくどうしようもなく哀しく胸に迫る。
妹の死、死にゆく妹を見守る眼は驚くほど冷静で、それにもかかわらず愛情に満ちている。
犬、こういうものも書く人だったのか。登場人物たちの味わう不条理な苦しみは、生きていくことに不器用な著者が日常の中で感じていたものを映し出しているのかも知れない。 -
ちくま日本文学全集029
中勘助といえば、幼い頃の思い出を綴った「銀の匙」が有名ですが、あんまり面白くなかったです。
というか、関心のあるところがまったく異なるため、面白い面白くないとかいう以前の問題で、ただ文字を読んだだけに終わりました。
子供時代の状況が作者とわれわれとでは違いすぎて、懐かしいと感じるとっかかりさえ無くなってしまったということが大きいんだろうと思います。
解説の串田孫一氏は作者より30年後の大正生まれで、それでも懐かしいと思うことができたのは自分の特別な環境によるものだと書いていますが、われわれではもう無理なのではないかと思います。
ただし中勘助には別の一面があって、この作者はストーリーテーラーとしては一級品です。
作者の性欲の強さを想像させる「犬」とか、波乱万丈で先の展開がまったく読めない「白鳥の話」ー中国の古代に題をとったオールスターキャストの映画みたいーはすごく面白かった。
「鶴の話」「白鳥の話」は近所の子供達のための童話として書いたものだそうですが、作者は自分の物語作家としての尋常ではない才能に気がついていたのでしょうか。
寡作な物語作家といえば、現在ならさしずめ「羊たちの沈黙」のトマス・ハリスを連想しますが、中勘助のような人物が今の社会で生きていけるとも思えないなあと思っていたら、亡くなったのは昭和40年(1965)。80歳。長生きしてるんですね。
「漱石先生と私」は、漱石がたいへんオシャレだったということぐらいしか印象に残りませんでした。
次は石川啄木。「一握の砂」だ…。 -
「銀の匙」目当てで読んで満足でしたが、
併収の「犬」にやられました。
醜悪で残酷、恐ろしくて不快。
なのに読み進めずにはいられない不思議な作品。
最後の一文が今も頭から離れません。 -
よかった。読みづらくなくて心にすっぽり収まる。
男性で、こんなに静謐な文章を書けるのか、と思った。
男性版清少納言のよう。
個人的には「漱石先生と私」が最高によかった。 -
美しい光景が情感溢れる文章で浮かび上がる。ことさら難しい言葉やきらびやかな表現を用いなくても、ただそこにある美しさというものがある。
中勘助は気むずかしい・人間嫌いの人間だったというが、はかない美をないがしろにする人間に耐えられなかったのだろう。 -
ノスタルジックに浸るなら『銀の匙』。グロテスクなら『犬』お勧め。『漱石先生と私』はもちろんお勧め。