ちくま日本文学全集 31 永井荷風

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (477ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480102317

感想・レビュー・書評

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  • ちくま日本文学全集031

    昔読んだときは、なんだかよくわからない話だったけど、今読むと、墨東綺譚はたしかに名品です。
    (タイトルの墨の字は本来「さんずい」が必要ですが、表示できないのでそのまま使っています)。

    急に降り出した雨の中、傘に飛び込んできたお雪との出会いから情を交わすに至るまでの流れるような場面展開は実に見事です。映画監督なら、こういうの映像化したいだろうなあ。
    この場面の最後の方、

    女は衣紋を直しながらわたくしの側に座り、ちゃぶ台の上からバットを取り、
    「縁起だからご祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。
     わたくしはこの土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、
    「五十銭だね、おぶ代は。」
    「ええ。それはおきまりのご規則通りだわ。」と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸している。
    「じゃ一時間ときめよう。」
    「すみませんね。ほんとうに。」
    「その代り。」と差出した手を取って引き寄せ、耳元に囁くと、
    「知らないわよ。」と女は目を見張って睨返し、「馬鹿。」と言いさまわたくし肩を撲った。
    (p319-320)

    ううむ。いい場面です。
    私としては、作者自身と思われる人物がここでお雪の耳元に囁いた言葉が気になる。
    かなり大人の、艶っぽい(あるいは非常に下劣な)言葉だったんだろうけど、お雪みたいな女性からこういう反応を引き出せる、そういう言葉を男としては言ってみたいものです。

    物語が終わってしまい、その後、作者自らによる舞台の背景に関する説明文が続きます。
    「作者贅言」と名付けられたとおり、作品としては余計なものなのかもしれないけれど、私には、この作者がお雪の物語を語り尽くしてしまって本当は終わらなければならないけれど、立ち去りがたく綿々と名残を惜しんでいるように映って、これはこれでなかなかいいものです。この部分にはお雪の名前は一言も出てこないけれども。

    ただ、私はどうもこの作者が気に入らない。
    なんでだかか理由がわからないけど。

    理由の一端は、荷風が死んだときに石川淳が書いた猛烈な「敗荷落日」の影響であることは間違いないでしょう。
    この「敗荷落日」はともかく凄くて、これだけ有名な作家が死んだとき、こちらも著名な作家がこれほど激越な弾劾文を書くとはとても信じ難いものがあります。
    とにかくタイトルからして凄い。敗れる荷風、それに落日ですからね。原稿用紙にして約15枚。読むと実に楽しい。こんな見事な悪口はなかなかお目にかかれません。

     一箇の老人が死んだ。通念上の詩人らしくもなく、小説家らしくもなく、一般に芸術家らしいと錯覚されるようなすべての雰囲気を絶ちきったところに、老人はただひとり、身辺に書きちらしの反故もとどめず、そういっても貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて、深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいたという…

     おもえば、葛飾土産までの荷風散人であった。戦後はただこの一篇、さすがに風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし。しかしそれ以降は…何といおう、どうもいけない。荷風に生活の実情については、わたしはうわさばなしのほかにはなにも知らないが、その書くものはときに目にふれる。いや、そのまれに書くところの文章はわたしの目をそむけさせた。小説と称する愚劣な断片、座談速記なんぞにあらわれる無意味な饒舌、すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった。

    …ひとはこれを奇人という。しかし、この謂うところの奇人が晩年に書いた断片には、何の奇なるものも見ない。ただ愚なるものを見るのみである。怠惰な小市民がそこに居すわって、うごくけはいが無い。…怠惰な文学というものがあるだろうか。当人の身柄よりも早く、なげくべし、荷風文学は死滅したようである。また、うごかない精神というものがあるだろうか。当人の死体よりもさきに、あわれむべし、精神は硬直したようである。

    …日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの、一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一燈をささげるゆかりも無い。
    (ちくま日本文学全集 石川淳 p421-432)

    うひゃー。

    まあ、そういう予断を持って読んでいたんですが、それでも永井荷風、最初の「あめりか物語」とか「ふらんす物語」の頃から、やっぱり名文家だなあと思います。
    日和下駄の森鴎外を訪ねたときの文章なんか、印象に残ります。

    で、なぜ嫌なのか、しばらく気にかかっていたんですが、この全集の次の島尾敏雄を読んでいて、ハタと気がつきました。
    気がつけば単純なことですが、傍観者的な態度。これがどうも自分には気にくわないらしい。

    石川啄木の苦闘、島尾敏雄の凝視、それが彼には欠けている。
    これらの人々が何に苦闘し、なにを凝視していたかというと、それは人間の生きるということでしょう。
    そういう「真摯さ」が彼には欠けている。

    もちろん荷風散人と自署したように、そういうのを振りはらったところに彼のスタンスがあり、戯作者としての彼の文学があるんでしょうが、なんだかそういうところが気にくわない。

    だから、この解説文をかいている「小沢信男」も私は嫌い。なんだそのへんな余裕は。

    まあこれはそれぞれの好みの問題で、だからどうだということもない。作品の評価とは別の話なんでしょうが。

    でも永井荷風。彼の作品はもう読まないでいいや。

  • 濹東綺譚
    すみだ川
    ローン河のほとり
    断腸亭日乗
    日和下駄
    林間
    秋のちまた
    花火
    落葉
    西遊日誌抄

  • 文庫サイズの日本文学全集です。
    多分、購入していたのは、大学時代ぐらいでは……。42巻まで購入して30巻ぐらいまで読んでいたのですが、中断していました。

    で、この永井荷風が、31巻目です。

    そして、思い出しました。なんで、これ、30巻から後が読めていないのかが……。

    この31巻が、おもしろくなかったんですね。
    まあ、それなら、別に続き物でもなんでもないんだから、飛ばして読めばいいのだけど、なんか、そのままなんとなく読まなくなっていた。

    えーと、今読んでも、おもしろくないです。
    特に、日記とエッセイ。

    まあ、小説は、読めなくはないですが、日記はもう、なんか、苦痛で苦痛で(笑)とばし読みしました。

    なんか、ウンチクを語るんですが、そのウンチクの語り口が、うさんくさい。
    その時、その時の流行に合わせて、もてたいからウンチクを考えている人っているじゃないですか。そういう人間が語っているウンチクにわたしは聞こえてしまいます。

    うーん。
    32巻は、島尾 敏雄。荷風以上に、名前も聞いたことないな。その次は、柳田 國男なので、ちょっと癒やされるかも。

    といいつつ、ちょっとショックで、またこのあと眠ってしまいそうなシリーズであった。
    今は、もう続きも、売ってなさそうだしねぇ。

  • 町歩きエッセイの元祖。川本三郎さんの影響で読みました。何だか荷風先生ずいぶんたくさん歩きますね。日和下駄(歯の低い下駄)でどんどん歩きます。句読点の少ない独特の文章ながら読みやすいです。東京は実は散策するのにいい街なのですね。お散歩したくなる。かなり前に読んだのでまた読み返したいです。

  • 2008/11/19購入

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著者プロフィール

東京生れ。高商付属外国語学校清語科中退。広津柳浪・福地源一郎に弟子入りし、ゾラに心酔して『地獄の花』などを著す。1903年より08年まで外遊。帰国して『あめりか物語』『ふらんす物語』(発禁)を発表し、文名を高める。1910年、慶應義塾文学科教授となり「三田文学」を創刊。その一方、花柳界に通いつめ、『腕くらべ』『つゆのあとさき』『濹東綺譚』などを著す。1952年、文化勲章受章。1917年から没年までの日記『断腸亭日乗』がある。

「2020年 『美しい日本語 荷風 Ⅲ 心の自由をまもる言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

永井荷風の作品

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