稲垣足穂コレクション 5 (ちくま文庫 い 53-5)

著者 :
制作 : 萩原幸子 
  • 筑摩書房
3.30
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本棚登録 : 159
感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (436ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420305

感想・レビュー・書評

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  • やおい女子の嗜みとして。

    少年愛に対するこだわりというか八割方尻に話でした。これが、耽美…。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「これが、耽美…。 」
      何にも知らない時に読んだので、A感覚って、、、(エ~な感覚に陥りました)
      「これが、耽美…。 」
      何にも知らない時に読んだので、A感覚って、、、(エ~な感覚に陥りました)
      2013/05/21
  • 新装版を本屋で見かけ、慌てて積読から引っ張り出しました。
    あの、幼少期に感じたむず痒い感覚にA感覚なる名前を付けて、助平にならずに論じてしまうところが凄いです。
    意味は理解できない所もあったけど、かなり直接的なんだけど露骨にならない文章に惹かれます。

  • 奇しくもフレディ・マーキュリーの誕生日(9月5日)に読了。

    第1章中の「大名旗本の屋敷専門の、月極めの“渡り小姓”というのもあった」というフレーズが忘れられない。
    月極め・・・デリバリー的な?

  • フェティシズムの洪水。あるときは仏典をひもとき、またあるときはローマ皇帝ネロを引き合いに出し古今の美少年愛について描きつくす怒涛の一冊。
    A感覚、V感覚、P感覚と独自に器官の果たす快楽を分類し勝手に理論だてている。
    美少年愛フィルターを通して描いた世界。かなりインパクトがあった。

  • あらゆるものをA感覚から論じた書。
    読んでて笑ってしまうところもあるが、稲垣足穂は大真面目。

    PV感覚はまだしも、A感覚についてここまで思いを馳せることも、考えることもこれまでなかったので、なかなか新鮮だった。
    こじつけっぽい部分も、ここまで論じられると天晴という感じ。

  • 稲垣足穂による、少年愛についての美学的考察書。
    あくまでも彼の言う「少年愛」とは、美少年を成人男性が愛玩することにあり、単なる同性愛ではない。
    思えば、「美少年」というのは実在していそうでなかなかその存在を確認しづらいものであろう。
    今まで多数見てきた少年たちの中で、これぞ「美少年」と呼べる者はどれくらいいるだろう。むろん整形した偽物の美少年など論外である。

    そして「美少年」の存在が貴重である一因には、その賞味期間が大変短いということにもある。
    12,3歳に始まり15,6歳で絶頂、その後は花の散るように色香も失せてしまう。
    まことに美しくも儚い運命である。

    それを愛の対象とする様々な事例を、歴史を紐解きつつ紹介し、考察を加えていく。
    西洋のそれが余りに血生臭い事例が多いのに対し、日本のものは雅に美しい。
    男色が禁じられていなかったことがその文化性を高める要因であっただろう。
    そしてあらゆるものに「道」を求める日本人の精神性の表れともいえよう。

    美しいもののひとつは、武士の間にあった主従を伴う関係である。
    著者の紹介する逸話のひとつ、豊臣秀次とその小姓たちの切腹の場面など、甚だ劇的だ。

     左のようにも伝えられている―
     秀次は別れの盃がまず介錯人に差されることになって、山田三十郎が「お盃はわたしに」と言うと、篠部淡路が、「ご介錯人はこのわたしへ」秀次は「そうだ、年長者の淡路にゆずるがよいぞ」と決めた。不和万作は「殿、わたしがお肴になります」と云うなり、両肌ぬいで白州へ走り出て、左の乳上から右の細腰まで切り下げた。秀次が「天晴れ」と云いざま介錯の刀を振り上げた時に、万作は十文字に切って腸をつかみ出した。秀次は二太刀で万作の首を打ち落とした。次は三十郎、山本主殿であった。(P244)


    この不和万作は、武功は何も伝えられていないが、その美少年ぶりで今も名を残す人物である。殉死した小姓三人の肖像が瑞泉寺に残っているが、ふっくらとした顔つきの美少年として描かれている。ただし、三人とも非常に顔が似かよっているのは秀次の趣味によるものなのか、類型的に描かれただけなのか、どちらであろうか。

    また『葉隠』にあるこの言葉も至言と云えよう。


    命を捨つるが衆道の至極なり。(P206)


    そして、なんといっても仏教における少年愛―稚児の世界―が美しい。
    紹介されている稚児灌頂の官能美は西洋には見られぬものだろう。
    この稚児制度は、このように高らかに謳われる。


    稚児は聖の為なり。稚児なくんば聖あるべからず。聖なくして稚児あるべからず。(P364)


    そこに現代取りざたされる児童虐待の色は微塵もない(ただし実際にはどうであったか。稚児にするために誘拐や人身売買があったとも云う)。

    なお、稚児制度については本書よりも今東光著『稚児』に依るべきだろう。

    最後にひとつ、「A感覚とV感覚」より。


     「―おしりとは人体の中で最も美術的な部分だと僕が主張したのにたいして、M子さんは、でも縞馬の臀部は棄てがたいと抗議されたんです。しかし縞馬のおしりの恰好がよいとは、それが人間のおしりに似かよっているからに他なりません。(P408)


    縞パンなるものが常に横縞であるのはこれがためか、と妙に感心した一節である。

  •  まだ子供のころ、本屋で「耽美」という案内を見てどんな本だろうと思ったらBLでがっかりしたという経験がある。「美に耽る」と書いて耽美、どれだけ美しいことなんだろうか……と想像したものらしい。(そして私にとってBLは耽美に含まれなかったらしい)。今になってもそのがっかり感は記憶に残っている。

     少年愛と聞いて、同性愛? BLなの?と思ったけれど、ぜんぜん違っていた。
     コレを読むと一瞬のはかない美少年に対する愛情と、同性愛は別物な気がしてくる。そして女性は、現代に進むにつれて少年美を目指しつつあるような気がしてくる。美少年ってすばらしい! なんてすごいんだ! おおおお! とだんだんと盛り上がる。その気もないのになんでだろう。そういう力のある本である。

     知らない発想を知ってしまった。
     なんというか「古典」である訳だ。

     長文を読むのが苦でなければオススメ。

  • あいかわらず

  • 2009/07/28 読了。

  • 2008/5/16購入

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著者プロフィール

稲垣足穂(1900・12・26~1977・10・25) 小説家。大阪市船場生まれ。幼少期に兵庫・明石に移り、神戸で育つ。関西学院中学部卒業後、上京。飛行家、画家を志すが、佐藤春夫の知己を得て小説作品を発表。1923年、『一千一秒物語』を著す。新感覚派の一人として迎えらたが、30年代以降は不遇を託つ。戦後、『弥勒』『ヰタ・マキニカリス』『A感覚とV感覚』などを発表し、注目を集める。50年に結婚、京都に移り、同人誌『作家』を主戦場に自作の改稿とエッセイを中心に旺盛に活動し始める。69年、『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞受賞、『稲垣足穂大全』全6巻が刊行されるなど「タルホ・ブーム」が起こる。

「2020年 『稲垣足穂詩文集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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