ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 1415
レビュー : 88
  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420428

作品紹介・あらすじ

ピアスや刺青をすることの意味とは?コムデギャルソンやヨウジヤマモト等のファッションが問いかけているものは?そもそも人は何のために服で体を隠すのか?隠すべきものの実体は?若い人々に哲学の教授が身体論をわかりやすく説いた名著、ついに文庫化!「制服を着崩すところからファッションは始まる」。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学者が書いたファッション論。
    グランジくらいの頃に書かれたものなので、結構前の本だが、今読んでも十分面白い。

    この本はファッションを通して、自分とは何か、自他の境目とは何か、という哲学的な問いを、軽くさらさらと問いかける。とても重い、難しいテーマのはずなんだけど、すーっと入ってくる。

    筆者が哲学、ファッションともに堅苦しく考えなく、"生きているもの=生もの”として、捉えているからだと思う。

    自分ってなんなんだろう、自分は他者があって初めて認識できるもの。ファッションは本来の自分を加工するもの。

    皮膚の上を覆った、社会、他者と対峙すべきモノ。
    自分を再定義するもの。着飾り、虚飾するもの。

    あったかいから、寒いから、着心地がいいから。
    だけではなく、自分とは、他者とは、社会とは、
    に確かに関係するもんだなーと。

    意外と普段気付かないことに気付かされました。


    ただの頭でっかちな産物ではなく、きちんと実用的でなければならなく、なおかつ哲学、アート的でもあり得る。(芸術でいうところの民藝のようなものでしょうか。)

    奥が深いですね。

  • 著者は、この本を10代向けシリーズの一冊として書いている、とあとがきにあったが、当時、この本を読んでも理解できなかったであろうことだけは間違いない...。この年になって、自身のファッションの変遷を思い浮かべながら、ああ成程、そういうことなのね、と納得の一冊。<像(イメージ)>が形作るもの。その時々にイメージしていたことが懐かしい。その時々の状況に応じてイメージを捉え直し、着せ替えることがいかに楽だったかを再認識。

  • 哲学の立場から身体論やファッション論を展開していることで知られる著者が、若い読者に向けて比較的わかりやすいことばで語りかけている本です。

    三宅一生、山本耀司、川久保玲といった日本人デザイナーの仕事の意味について論じている箇所もありますが、著者自身の身体論に基づいて「服を着ること」の意味についての哲学的な考察が中心となっています。ひとは、自分の身体を直接見ることはできず、自分の身体を把握することは必然的に他者のまなざしを媒介しなければなりません。われわれが服を着ることは、そうした自己と他者の境界をかたちづくるということであり、社会に対して自己を過剰に演出することにも、社会的な役割のなかに自己を隠してしまうことにも、ひとしく可能性が開かれているところに、著者はファッションの意味を見いだそうとしています。

    著者の哲学的ファッション論には、ほかに『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)や『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)などがありますが、本書がもっとも読みやすいのではないかと思います。

  • (ファッション感覚とは)
    「人生の『はずれ』を『はずし』へと裏返す感覚」
    (ともいえるのではないだろうか。)
    ..印象に残った言葉だ。

    ****************************************

    自分自身の身体は自分から見えない。
    把握できない。
    この前提は誰もが感覚的に分かることだと思う。

    だとすれば私たちのファッションに絡んだ行為
    (衣服を身に着ける、それに準じる行為)は
    「自分を表現する」といった外向きの活動ではなく、
    社会や自身の観念に対して自身を変容(一致?)させる内向きの活動と言える。

    ****************************************

    アパレル造形学っぽい本を探していたら行き当たった本。
    実際求めていた内容ではなかった。
    しかし軽薄なものと思われがちな「ファッション」というテーマを哲学的アプローチで捕えていて興味深かったし、感じるものが多くあった。

  • 服から身体、自己を考える。

    <像>として身体はある。
    自分の身体、独自性は不確かで移ろいやすく壊れやすい。決まりきった自分などいない。ただ、そこにあるだけだ。このイメージとしての身体を補強するため、<私>の存在の輪郭を露にするために皮膚感覚を活性化する、その手段のひとつに服がある。じかには見えない自分の輪郭を接触することによって浮き立たせてくれる"存在のベーシック・トーン”だ。そして社会的な<意味>で幾重にも包装することによって身体は強化されていく。

    ーーー

    高校生のために書かれた本書はとても読みやすい。そして何度読み返しても面白い。モードを新たな視点で見る事ができる。服を着る事が楽しくなる。服には自分と他人と時代が織り込まれて動きをつくり、イメージを与え、人をつくる。

    服は出会いだ。

  • 15年以上前に書かれた本だが、理解できる部分はおおいにある。
    っていうか、あまり進んでないのか?
    大きく変わった点は、やはりファストファッションが台頭したところ?
    ファッションが個性を際立たせるという発想がなくなったところかなあ?
    外側(=ファッション)を際立たせることで自分を浮きだたせるのではなく、
    そもそも、「自分探し」とかがあまり重要ではなくなったのかもと思う。
    内面に対する無関心。
    ハングリー精神という言葉が古くなったように、いまや中産階級で食うに困らないのは当たり前だから、わざわざファッションで自分の輪郭を際立たせなくても、アイデンティティが崩壊しない。
    むしろ、アイデンティティは崩壊しているのかもしれないが、それを支えるものがファッションという個人のセンスに依拠するもではなく、つながり(オンライン上でのコミュニティ)にあるのではないか。
    ファッションはプライオリティが下がり、とりあえず身にまとうものとして、ファストファッションに代替されるものになった、ということ。
    いま、一番大切(と思われている)のは、人とつながっているという意識。人に承認さえているという意識。
    高校生が、制服を着崩すことで反体制を体現しているというストーリーも、今では成立しないと思う。
    規制するものに対する反抗心なのかもしれないが、それをモードが取り込むほどの気骨もなくなっているのではないかなあ。
    モードがモードを否定することによって確信するというアウト・オブ・モードが成立するとかいう議論は、世間の主流ではなくなった。
    以前以上にファッションに対する情熱が冷めている。
    ファッションで哲学するのは難しい時代に感じる。

  • あつこさんっ!貸して頂き、ありがとうございまっすっ!
    すごい勉強になる本だと思った
    身体の見方が少し変われた気がする
    でも、やっぱり、書いた方の意見ばかりだから、
    読んでて、共感できるところもあれば、全然できないところもあった
    でも、やっぱり読んでて、comme des garconsがいっぱい出てきて、
    COMME des GARCONSが生んだ影響ってすごいもんなんだって思った

    印象に残ったことば
    山本耀司さんは、時代の制服をちゃんと知ってて、
    しかもそれをぎりぎりのところまで崩していくことを、先端で続けてきた人

    『用意をしない服』という変な言い方になるが、
    長い袖というのはどうも、未来に備えていま何かを準備しておく
    という態度と相容れない服であるようだ。

    『人間が浄化され、すべてが浄化され、社会的感染や殺菌の感染に
    終止符が打たれたとき、死ぬほど清潔で、洗練された宇宙には、
    悲しみのウイルスしか残らないだろう』

    化粧のことをフランス語で『コスメティック』というが、
    この語は『コスミック』(宇宙的)とともに、
    ギリシャ語の『コスモス』という言葉からきてる。
    化粧も刺青も、ともに身体の表面のペインティングとしてあるが、
    それらはぼくらの内部環境としての『魂』と外部環境としての
    宇宙とをいきいきと交流させるメディアであった。

    『口紅を唇につけらければならない理由なんてない』という
    メッセージを送り続けてきた川久保玲さん
    『にこにこしないで、踊らないで、たたふつうに道を歩くように歩く』ことを
    モデルに要求するその彼女の言葉
    アイロンがかかってなうていい、サイズが合っていなくていい、
    しわくちゃでもいい・・・・。
    それはまるで『生き方』のことを言ってるかのよう
    『男らしく』なくていい、胸をはって生きなくていい、
    もっとふてくされても、もっと跳ねてもいい

    ファッションというろ、まず着飾るというイメージがあるが、
    ファッションとはほんとうは社会を組み立てている
    規範や価値観という距離感覚であり、ひいては自分との距離感覚である
    それは『一貫した歪形(わけい){デフォルマシオン}』であり、
    デフォルマシオンの自由さのことなのだ。

  • ファッションについて考える時間が多い私にとって目から鱗の言葉が沢山あった、なるほどなぁと思いながらまだ噛み締められていないので気になったところを自分なりに解釈したいと考えている。

  • p.2020/5/30

  • 大事な人が最期に残してくれた本

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著者プロフィール

1949年京都生まれ。お寺と花街の近くに生まれ、丸刈りの修行僧たちと、艶やかな身なりをした舞妓さんたちとに身近に接し、華麗と質素が反転する様を感じながら育つ。大学に入り、哲学の《二重性》や《両義性》に引き込まれ、哲学の道へ。医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探求する、二枚腰で考える哲学者。2007~2011年大阪大学総長。2015~2019年京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。朝日新聞「折々のことば」執筆者。
おもな著書に、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫、桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』
(ちくま学芸文庫)、『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)。

「2020年 『二枚腰のすすめ 鷲田清一の人生案内』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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