学校って何だろう

  • 筑摩書房 (2005年12月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480421579

感想・レビュー・書評

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  • 読者に考えさせることを目的としているようでこれが正しい答えだというものを示してくれるような本ではない。ちょっとそこが残念でした。

  •  教育社会学者である著者が、「学校」という存在をどのように見たり考えたりしたらよいのかを、中学生にも分かるように語っている本です。世間一般の常識や先入観とは異なる「学校」への視点を、順番にていねいに提示しながらも、「回答」は決して押しつけずに読者(中学生)に考えさせています。教育社会学の知見に基づいた内容であるにもかかわらず、専門用語はほとんど登場せず、とても平易な語り口で予備知識なしに読めます。

  • 中学校の子どもたちに
    語りかけた一冊

    「どうして勉強するの?」
    「なぜ制服ってあるの?」
    「教科書はなぜあるの?」
    「隠れたカリキュラムって?」
    「先生の仕事はどこまで?」
    「生徒の演じ方」
    ……
    各章に立てられた「問」が
    秀逸です

    「学校」を
    社会学的に分析して、
    易しい言葉で
    ひも解いて、

    最終的には
    「自分の頭で考えよう」
    という部分に
    とても共感します

  • 「なぜ勉強するか」の話に始まり、試験、校則、教科書、隠れたカリキュラム、また先生と生徒の世界、学歴社会と学校の関係について明確な答えをあえて提示することなく、読み手に考えさせる内容で、自分自身も考えさせられた。文体もとても簡単で読もうと思えば1時間やそこらで読めるがよく噛み砕きながら読むことを薦める。
    中学生のときに出会えれば学生生活もちょっとマシになったかな。

  • 2019 山形大学(前期)地域教育文化-地域教育文化(児童教育)

  • 2章まで読んだ。

    この本を読んだのは2回目で、特別な思い入れのある本。

    あらためて少し読んでみて思ったことは、この本のタイトルである「学校って何だろう」のうち、メインは「って何だろう」にあるのだろう、ということ。あくまでも学校はそれを考えるための素材。

    なぜ学校を取り上げたのかは、この想定読者が中学生であり、中学生にとって最も身近で考えやすい素材が学校だったから、という単純な理由なように思う(もちろん、著者が教育社会学者ということは前提としてあるだろうが)。

    本書では、学校に関する様々な不思議(例えば、どうして勉強するの?、なぜ試験ではみんな同じルールに従うの?など)に対して、「どう問うか」を読み手に伝えている。本書では、その方法として、例えば、他国や自国の歴史に目を向ける比較であったり、基準や物差しに目を向けるといった方法を用いている。

    これらは教育社会学でも用いられる思考法であり、だからこそその学問の入門書として成立する。だがそれに限らず、自分自身で世の中の様々な出来事に対して問いを発し、自分なりの答えを見つけるための方法を提案しているという点で、教育社会学を学ぶもの以外にも役立つ良書と言える。

    中学生に限らず、全ての人が読んでも問題がない本。

  • 2019 山形大学(前期)地域教育文化-地域教育文化(児童教育)

  • 370/カ/

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40167913

  • 特に印象に残ったのは「校則」について。

    教師が校則を守らせたがる理由は何か?
    それによって生徒が学校の権威に服していることを示すことができるから。

    学校への忠誠度を示すリトマス紙になるのが校則である。
    だから、校則の内容自体は学校ごとに違ってよい。

    「どういう校則を守るか」より「校則に従うのかどうか」が、教員側にとっては重要なんだろう。

  • 社会学部 松澤俊二先生 推薦コメント
    『君たちが(たぶん)12年くらい通い続けた「学校」についてあらためて考えてみよう。
    教科書や校則に疑問を感じていた人にも。』

    桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPAC↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/653090

  • 中学生向けに書かれた教育社会学の本。
    自分の理解がいい線行っていたと自信を持つ。

  • 【概略】
     良い意味でも悪い意味でも常に話題に挙がる「学校」。「どうして勉強をしないといけないのか?」「なぜそんな校則を守らないといけないのか?」「先生って偉い存在なのか?」「最近の若い子はすぐキレる、なぜか?」・・・学校を軸にした疑問は枚挙にいとまがない。そんな「学校」について、自分の頭で考えて、自分なりの答えを導き出すキッカケとして著者が置いた一冊。中学校を想定しての一冊。

    2020年01月02日 読了
    【書評】
     (既に概略に書いたけど)「これは中学校・中学生を想定?」「自分だったらどうする?」を強く意識して書かれてるなぁ~と思ったら「あとがき」にそういう意図があった。この本は先生のみならず、親御さんの立場、または生徒自身も読んでみるといいかも。叶うなら、自身が生徒の時に読み、大学を卒業した時に読み、(まだいないけど 笑)親という立場になった時に読み、その時その時の自分の心境の変化を楽しみたい一冊かも。
     (このあと読む予定だけど)「フィンランドの教育システムは素晴らしい。見習え」とか目にする。多分、正しくは、「フィンランドの腹の決め方を見習え」じゃないかなと思う自分。国家として、「ウチはこの方法で教育をしていくんだ!」という旗をしっかり立てたって意味では、見習う必要、あると思うのだよねぇ。
     そういう「どんな旗を立てるか?」を考えるという意味では、国家だってそうだし、各学校だってそうだし、親としてもそうだし、自分自身としても当てはまる気がする。ごめんなさい、教育の世界については完全なる素人なので、明後日の方向を向いて書いちゃってるかも。私立の学校はまぁ、イメージできるとして、公立の学校ってのは、在任中、校長先生が国の理念に反しない範囲での方向性を打ち出すとか、できるのかな?各自の先生は?そして、親御さんは・・・?この辺り、自分が経験がないのが悔やまれるところ。
     外側にいる立場の自分が、外側から眺めるにあたり、なんとなく「その全てを学校と先生に背負わせ過ぎてる」イメージがあるなぁ、と思う。国家としての方向性を定めるには、まぁ時間もかかるだろうし、そういった上流での作業はもっとなんというか・・・あんまり「国民」(あえてここでこの言葉を使った 笑)の顔色を窺わずにやってもらって、下流での臨機応変さを求められる部分は、まさしく柔軟に対応して、学校と先生の背負ってる(余計な)荷物を減らしてもいいような気がする。部活動しかり、生徒のメンタルケアしかり。
     ちょっと話が逸れた。今回の本の中で、「おぉ~!!!これやってくれたら自分も授業参加したい!」と思ったのが、教科横断の授業。本書では「水」をキッカケにしてた。たとえば水の量や質などを学ぶには数学や理科、水道の水が各家庭にまわる仕組みや変遷などは公民、水を争って起きた紛争などは歴史、水の音を楽しんだり、水に関する音楽を学ぶのには音楽、そして水を取り扱った文学なら国語・・・というように特定の事柄(水でも土でもなんでもいい)から興味を各教科に広げるというもの。公立だと厳しいかぁ・・・大人になってからの再入学とかでやってくれないかなぁ、授業料かかってもいいから。・・・って、こういう教科横断も、やっぱり「好奇心」が根っこにないとなにも面白くないだろうから難しいだろうけどねぇ。うん、教育って難しい(そこ?
     話題が逸れるけど、色んな人達が自身のバックボーンに沿って発言する訳ですよ。英語によって人生を変えてもらった立場の方達は「もっと英語の授業を増やせ」、古典に喜びを感じる方達は「古典は大事」等々。自分の興味ある科目、恩義のある科目、そりゃ愛着がある・・・から授業を増やせってなるよね。でも皮肉(というかここでも「好奇心」・・・または必要性?)なんだよね、たまに「英語英語!」って言ってる人が英検1級やTOEFLとかの試験と立ち向かうにあたり「自然科学の知識がないとヤバい」とか言っちゃうの。批判じゃないよ、これ。ただ、ここでも、教育とはなにか?日本の教育は、どう進めたらよいか?につながってるなぁって。どの教科が役に立つ?って話で物事決めちゃあかんよなって話ですよ。
     今月にとある講演で話さないといけないってのがキッカケでこの分野の本を読ませてもらってて。講演で話す内容は全く浮かんできてなくて焦ってるのだけど、考える機会を与えてもらって本当にありがたい。

  • 中学生向け、だけど大学生や大人が読んでも面白い

  • 中高生のときに読みたかった。
    学ぶことの意味、学ぶことの楽しさを生徒には伝えていきたいし、彼ら彼女らに勧めたい1冊。

  • どうして勉強するの?からはじまり、試験、校則、先生、生徒を通じて社会のあり方まで改めて考えさせれる。特に、学校について疑問を持っている人は一読を勧める。自分が抱いている疑問について考えるヒントが得られると思う。

    <blockquote>注目点
    P.139 先生は子どもの気持ちをりかいする専門家ではありません。

    P.150 疲れた教師たちにのしかかっているのは、社会からの大きすぎる期待や要求の重さです。

    P.177 日本は「みんな仲よく」が基本
    生徒ひとりひとりに対してではなく、複数の生徒を集めた集団の力を利用して教育を行ってきました。だからこそ、外国に比べ一クラスの人数が多少多くても、何とか教育ができたのです。

    </blockquote>

  • 2005年刊行。著者は東京大学大学院教育研究科教授。

     主として中学生に向けて、授業、勉強、先生、さらには試験、教科書といった、学校生活のあれこれに関して、様々な問いかけを発していく。
     ステレオタイプ的な学校のありようとは異質な側面からの回答が多い。
     それゆえ、真摯に悩んでいる学生(高校生にも妥当)であれば、打てば響く内容だと考えられる。

     もっとも、文章はやや高度で、冗長でもある。そのため、中学生が独力で読むのは、読書好きの子は別として、難しいかもしれない。
     ナビゲーターを用意するか、少しずつ読む機会を増やしていくような配慮がいるだろう。

  • 時代とともに学校の在り方も変わってくる
    しかし、現代の人達は学校に求める事が多すぎる。
    みんな一緒でありみんな違う。
    個性は大事だが高校を卒業するまではまずみんな同じ基礎をしっかりと体に叩き込む必要がある。その後でも遅くはない。

  • 【感想文】
     書店で購入し、家に帰らず喫茶店とネカフェで読みきってしまう。いい本。

     中学生向けの媒体に掲載されただけあって、論の運びは丁寧。文も丁寧語で貫徹されている。テーマも問題も例解も一応準備されているにもかかわらず、「上から目線」っぽさは、ほとんど感じられない。というのも本書では、著者や大人が分からないこと・知らないこと・知りえないことを、本文中ではっきりと断っているのが大きい。言い換えると、まったく偉ぶらない。
     余談だが、専門書をぶつ切りにし文字数で希釈しただけのお手軽啓蒙書(がこの世には存在していて、その本)は、(「である」体だったり極端なエリート主義だったり悪文至上主義だったり無知とか露骨に書いていたり想定読者を園児と勘違いしていたりするせいで)「上から目線」が滲みだしていることが多い。ええもちろん、滲んでいること自体は(読者の気に障るだけで)本の出来ばえに直結しない要素でしょう。余談終わり。

     本書(苅谷剛彦『学校って何だろう――教育の社会学入門』)は書名の通り、学校そのものについて考えるというテーマ。換言しますと、学校社会の内にいるときには当たり前に感じている「制度や常識」に注目し、その根拠や効果を批判的に考えるという趣旨。かといって、ルールが無効だとか、勉強しなくていいとか暴論に進むこともないので親御さんも安心。社会学に進めとも言わないので自分も安心。
     前段落の補足。「常識を疑うのが社会学だ」と、とある海外製社会学入門書に書いてあった気がしする。その一方で、「常識は別に疑わない」ことは一種の処世術なはず(例えば時間の節約のため、とか、大半のルールは正しいからとか)。別にこの二つはおおむね相反しない。学問するときだけ懐疑主義者になり、普段は日和見主義者である、という使い分けが可能だから。……しかーし、そこで本書(苅谷剛彦『学校って何だろう――教育の社会学入門』)が書店で私の目の前に登場。えっ、読書経験が浅くて反抗期かもしれない〈中学生〉が、あの〈社会学〉を読んで、しかもテーマが(中学生にとっては全世界かもしれない)〈学校〉ですって! と読み始めた時には心配した。読後に杞憂だったと気づいた。補足終わり。

     知り合いの中学三年生に渡そうと思う。今日の大会で会うはず。


    【版元の情報】
     定価:本体700円+税
     整理番号:か-46-1
     刊行日: 2005/12/07
     ページ数:256
     ISBN:4-480-42157-2

     「どうして勉強しなければいけないの?」「なぜ毎日学校へ通わなければいけないの?」こうした疑問には、大人になった今でもなかなか答えづらい。他にも、「どうして校則でソックスの色まで決められてるの?」とか「教科書ってほんとに必要なの?」など、生徒たちの疑問は尽きない。これらに対する答えはひとつではない。これまで考えられてきた学校や勉強についての「常識」を複眼的に問いなおし、「学ぶことの意味」をふたたび掴みとるための基本図書。
    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421579/


    【簡易目次】
    目次 [003-010]
    はじめに [0013-016]

    第1章 どうして勉強するの? 017
    第2章 試験の秘密 045
    第3章 校則はなぜあるの? 071
    第4章 教科書って何だろう 093
    第5章 隠れたカリキュラム 121
    第6章 先生の世界 145
    第7章 生徒の世界 169
    第8章 学校と社会のつながり 199

    おわりに(一九九八年八月 苅谷剛彦) [222-228]
    あとがき(二〇〇五年十月 苅谷剛彦) [229-245]
    解説(小山内美江子) [237-248]

  • オックスフォード大学教授で教育社会学の著者が、中学生向け新聞に連載していたコラムを書籍化したもの。1998年に単行本で刊行され、2005年に文庫化するにあたってデータの更新と、内容の追加がされている。

    「なぜ勉強するの?」「校則はなぜあるの?」といった疑問への著者なりの意見と、生徒の世界、先生の世界、社会とのつながりなどの説明がされている。

    一方で専門家ならではの記述もあり、たとえば日本が経済成長していた時代に、海外からはナショナル・カリキュラムと呼ばれる国家統一型の教育が日本の強さの源泉ではないかと評価され、それを模倣しようとした国々があった一方で、日本は逆に「個性」を重視する教育へと舵を切り始めたという。

    また、西洋は倫理や社会規範をキリスト教から学ぶのに対し、日本ではそれすらも教師・学校に責任を負わせていると指摘している。教員は100万人近く、人口の割合でいえば130人のうち1人が教員であり、その130人のうちトップ層が大企業社員や医師、法曹、国家公務員などになるであろうことを考えれば、「先生とは特別な人ではなく、普通の人が行っている」という前提でその責務を考えるべきだとしている。

    ホンシェルジュに寄稿しました。
    http://honcierge.jp/users/646/shelf_stories/54

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著者プロフィール

苅谷 剛彦(かりや・たけひこ):1955年東京生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院修士、ノースウェスタン大学で博士号取得(社会学)。東京大学教育学部教授、オックスフォード大学教授などを歴任。現在はオックスフォード大学名誉教授/上智大学特任教授。専門は社会学、現代日本社会論。主な著書に『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、『階層化日本と教育危機』(有信堂高文社、2001年大佛次郎論壇賞奨励賞)、『教育改革の幻想』(ちくま新書)、『教育の世紀』(弘文堂=ちくま学芸文庫増補版、2005年、サントリー学芸賞)『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店、毎日出版文化賞)など。

「2025年 『日本人の思考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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