解剖学教室へようこそ (ちくま文庫 よ 6-6)

著者 :
  • 筑摩書房
3.60
  • (38)
  • (44)
  • (95)
  • (7)
  • (1)
本棚登録 : 631
感想 : 47
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480421616

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 解剖学のことを、事実だけで語るとつまんなくなるけど、哲学的に語るから面白い。

    そして生物として語れるところまで語って、事実の先の先は、哲学的に語ってくれる。

    入口と出口が哲学的。

    その割り切りがとても気持ち良い。
    生きるとは、死とは。

    体細胞は50回か60回しか分裂できない。
    成長は老い、分裂できなければ壊れてしまう。
    こう考えると、生と死はひとつ。
    別に考えがちだけど、ひとつなんです。

    西洋は心身二元論。
    日本は体と心もひとつ、一元論の考え方。
    でも心が優先で「心がけ」という言葉がある。
    でも心は脳なんです。

    難しい。

    アルファベットですべてを表現し、モノを分解する西洋の文化と仏教的な世界観をもっと学びたくなる。

    おもしろい。

  • 『バカの壁』など多数の著書で有名な養老先生の本

    もともと養老先生は解剖学の先生であったのだから、彼の解剖の本を見てみることは一見の価値があるだろうと思い読んでみました。

    解剖をするということはものを切ることであり、切ることは名前をつけることである。切ることを行うのは『ことば』である。

    日本で解剖を最初に行った医者は山脇東洋という人で江戸時代中期だったらしい。

    実は日本では大宝律令で解剖をすることを禁止していたらしく、それまでされることがなかったらしい。

    一番面白いと思ったのは、なぜ解剖が始まったのは西洋で東洋ではないのかということろ。

    この違いは文字の違いであると分析している。
    西洋はアルファベットである表音文字を使用している。一方で、中国や日本などの東洋は漢字などの表意文字を使用している。

    例えば犬という動物を表す時に漢字では『犬』と言う漢字があるから犬を表すことができる。しかし、英語では『dog』というもともと意味のないd g o をd o gの順に並べることで犬を表す。そこには下の階層があり、このため西洋では単位という概念がある。このため、上記のように西洋では解剖ということが始まったと考えられる。

    難しいが思わず頷いてしまった。
    気になる人はぜひ一読をおススメします。
    あとがきにあるように2時間もあれば読める内容です。読みやすく絵もたくさんあるので解剖や生物の基礎がなくでも楽しいです。

  • いまからもう二十年も前の話になるが、私が初めて買った養老先生の本がこれだった。以来、私は養老先生の魅力に虜になってしまうのである。
    この本の何がすごいのか。「ヒトはなぜ解剖をするのか」を考えているところがすごい。著者は解剖学者である。軍人が、「オレはなぜ闘っているのか」と考えはじめたら、戦争には勝てない。ふつう、人間は前提を疑うことを嫌がるものなのである。
    だから、養老先生の本や業績は、しばしば「解剖学ではない」と言われる。哲学だとか、脳の研究者だとか、とにかく解剖学者だと思われていない。でも、この本を読むと、言葉とは何かとか、心とは何かといった、一見哲学的にも見える問題が、目の前にある死体という歴然たる存在から発しているのだということがわかる。
    上に述べた「前提を疑う」こともそうだが、養老先生を読んでいると、「そんな視点があったのか」「いったいどんなふうに世の中を見ているんだろう」といったことが気になってやめられない。あまりに面白いので、じつは人に薦めたくないくらいである。

  • 「死って何だろうね」
    蛹が言った。
    葉月はコーヒーを沸かしながら、内心ため息をついた。
    「何でもいいですけど、とりあえずコーヒーでも飲みます?」
    「うん、飲む」

    二つのカップを手に居間に戻ってみると、蛹は縁側から海を眺めていた。
    「コーヒー淹れましたけどー」
    テーブルに蛹のカップをわざと音を立てて置き、葉月はソファに深々と腰を下ろした。
    蛹は気づいていないかのように、振り返ることすらしない。
    葉月はコーヒーを一口啜って、またため息をついた。
    蛹という男は、一週間のうち六日は死について考えているのだ。残りの一日はというと、「ためしにちょっと死んでみようか」なんて考えているのだから油断できない。
    「死っていうのは、世界のどこら辺に位置するものなんでしょうね」
    独り言ですけど、と前置きをして、葉月は言った。
    「よく、生命は死を内包しているというけれど」
    蛹が、水平線に目をやったまま、言う。
    「人を解剖したところで、死は見つからないね」
    「解剖したんですか……」
    問うて、葉月はすぐに後悔した。
    人間はどうか知らないが、職業柄、動物ならいくらでも解剖しているはずだ。
    それはどういう体験なのだろうかと思う。
    「でもまあ、死に通じる何かしらのものを得ることはできるかもしれないね」
    「死に通じるものって、つまり生きているってことですよね?」
    「さあね」
    ようやく蛹は肩越しに振り返り、こちらを見た。
    「でも結局のところ、何かを知るためには、表面から少しずつ、皮を剥がし、腑分けをしていくしかないんだね」
    「そうですね」
    葉月はソファから立ち上がり、蛹のカップを手にした。
    「ほら、コーヒー、冷めますよ」
    「ああ、うん、そうだね……ありがとう」

  • 解剖への向き合い方の本。

  • 久しぶりに小説ではない本を読んだ。とても面白くすらすらと読めた。学問のあり方や、学習の面白さも再認識できたような気がする。

    人は言葉でものを区別する。区別できないものにも名前をつけるから、ややこしくなって、わからなくなる。だからわからないことは不気味で君が悪くなる。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/764837

  • 解剖、切り刻み、一つ一つ名前をつけて…が、大変な知的作業であり、知りたいという欲求の現れであったんだ、また、あらゆることに共通するプロセスを修得することなんだと。

  • とんでもなく面白い一冊!
    養老先生の本をなぜ今まで読んだことがなかったのか不思議に思うくらい。
    頭のいい人ってやっぱり何をしてもすごいと思うし、医師免許を持っている人ならではの視点で解剖について知ることができたのはかなり良かったです。

  •  この本はブックカフェで読んだ。今朝は体に疲れがあって1日まるで使いものにならなかったけれど、予約してあった美容院で前髪を切り、読書したらだいぶ気持ちが明るくなった。
     養老孟司の本は以前誰かと対談している本を読んだのだが、それがおもしろかったから著者の他の本も手に取ってみることにした。この本では著者が医師免許を持っていながらなぜ人を治す方ではなく解剖学に入れ込んでいるのか書かれていた。解剖学の歴史もかいつまんで知ることができたのだけれど、日本ではじめて解剖を行ったのが杉田玄白ではないことに驚いた。

全47件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

養老孟司の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×