解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 37
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480421616

感想・レビュー・書評

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  • 『バカの壁』など多数の著書で有名な養老先生の本

    もともと養老先生は解剖学の先生であったのだから、彼の解剖の本を見てみることは一見の価値があるだろうと思い読んでみました。

    解剖をするということはものを切ることであり、切ることは名前をつけることである。切ることを行うのは『ことば』である。

    日本で解剖を最初に行った医者は山脇東洋という人で江戸時代中期だったらしい。

    実は日本では大宝律令で解剖をすることを禁止していたらしく、それまでされることがなかったらしい。

    一番面白いと思ったのは、なぜ解剖が始まったのは西洋で東洋ではないのかということろ。

    この違いは文字の違いであると分析している。
    西洋はアルファベットである表音文字を使用している。一方で、中国や日本などの東洋は漢字などの表意文字を使用している。

    例えば犬という動物を表す時に漢字では『犬』と言う漢字があるから犬を表すことができる。しかし、英語では『dog』というもともと意味のないd g o をd o gの順に並べることで犬を表す。そこには下の階層があり、このため西洋では単位という概念がある。このため、上記のように西洋では解剖ということが始まったと考えられる。

    難しいが思わず頷いてしまった。
    気になる人はぜひ一読をおススメします。
    あとがきにあるように2時間もあれば読める内容です。読みやすく絵もたくさんあるので解剖や生物の基礎がなくでも楽しいです。

  • いまからもう二十年も前の話になるが、私が初めて買った養老先生の本がこれだった。以来、私は養老先生の魅力に虜になってしまうのである。
    この本の何がすごいのか。「ヒトはなぜ解剖をするのか」を考えているところがすごい。著者は解剖学者である。軍人が、「オレはなぜ闘っているのか」と考えはじめたら、戦争には勝てない。ふつう、人間は前提を疑うことを嫌がるものなのである。
    だから、養老先生の本や業績は、しばしば「解剖学ではない」と言われる。哲学だとか、脳の研究者だとか、とにかく解剖学者だと思われていない。でも、この本を読むと、言葉とは何かとか、心とは何かといった、一見哲学的にも見える問題が、目の前にある死体という歴然たる存在から発しているのだということがわかる。
    上に述べた「前提を疑う」こともそうだが、養老先生を読んでいると、「そんな視点があったのか」「いったいどんなふうに世の中を見ているんだろう」といったことが気になってやめられない。あまりに面白いので、じつは人に薦めたくないくらいである。

  • 「死って何だろうね」
    蛹が言った。
    葉月はコーヒーを沸かしながら、内心ため息をついた。
    「何でもいいですけど、とりあえずコーヒーでも飲みます?」
    「うん、飲む」

    二つのカップを手に居間に戻ってみると、蛹は縁側から海を眺めていた。
    「コーヒー淹れましたけどー」
    テーブルに蛹のカップをわざと音を立てて置き、葉月はソファに深々と腰を下ろした。
    蛹は気づいていないかのように、振り返ることすらしない。
    葉月はコーヒーを一口啜って、またため息をついた。
    蛹という男は、一週間のうち六日は死について考えているのだ。残りの一日はというと、「ためしにちょっと死んでみようか」なんて考えているのだから油断できない。
    「死っていうのは、世界のどこら辺に位置するものなんでしょうね」
    独り言ですけど、と前置きをして、葉月は言った。
    「よく、生命は死を内包しているというけれど」
    蛹が、水平線に目をやったまま、言う。
    「人を解剖したところで、死は見つからないね」
    「解剖したんですか……」
    問うて、葉月はすぐに後悔した。
    人間はどうか知らないが、職業柄、動物ならいくらでも解剖しているはずだ。
    それはどういう体験なのだろうかと思う。
    「でもまあ、死に通じる何かしらのものを得ることはできるかもしれないね」
    「死に通じるものって、つまり生きているってことですよね?」
    「さあね」
    ようやく蛹は肩越しに振り返り、こちらを見た。
    「でも結局のところ、何かを知るためには、表面から少しずつ、皮を剥がし、腑分けをしていくしかないんだね」
    「そうですね」
    葉月はソファから立ち上がり、蛹のカップを手にした。
    「ほら、コーヒー、冷めますよ」
    「ああ、うん、そうだね……ありがとう」

  • 『唯脳論』(ちくま学芸文庫)で独自の人間学を披露した著者が、専門である解剖学のさまざまな話題をわかりやすいことばで語りつつ、解剖学から人間を見る視座を指し示している本です。

    もともとは「ちくまプリマ―ブックス」から刊行された本ということで、中高生に向けて書かれているのでしょうか、『唯脳論』や本書に近いテーマをあつかった『カミとヒトの解剖学』(ちくま学芸文庫)などにくらべると、著者の考えがこなれたことばで語られているように感じました。

    一般の人びとには「死体」というものになじみがなく、身近なひとの死も赤の他人の死も、その受け取り方はまったく異なるものの、「生」と「死」を分けて考えることに特別な疑問をいだくことはありません。著者はそのような常識に疑問を投げかけることで、人間についての独創的な考えを紡いでいます。

  • 105円購入2012-04-17

  • 2018.08.31

  • 過去記録。小学生5か6年の夏、この本で読書感想文を書いた。2017/1/11

  • 養老先生はもうヒトの解剖はやめてしまった。この本は、まだ東大で教えていたころに、中学・高校生向けに書かれた本だ。だからといって簡単な内容かというととんでもない。解剖の歴史から始まって、日本と西洋との考え方の違い(これは言葉の違いに大きく左右されている。つまり、26文字のアルファベットですべて表す西洋と、漢字かな混じりの日本との差)、さらにこころとからだの問題にまで話は及ぶ。もっとも、「バカの壁」以降の著書に比べると、まだまだ理科系のにおいが強く、生物好きの皆さんにはおすすめだ。将来医者にでもなろうという方は読んでおいたほうがよい。死体を解剖する。お腹を開くときはそれほど意識しないでできるそうだ。困るのは顔、そして手。目を見ると、じろっとこちらを見つめているように感じるのだそうだ。顔にも手にも、生きているときには表情がある。死んでしまうとそれがない。そこに違和感を感じるのだろう。死体はモノか? モノと考えるから臓器移植もできるのだろう。しかしよく考えると生きている人間だってモノには変わりない。ただし生きているときにはそのからだを作っている細胞は常に入れ替わっている。昨日の私と、今日の私は、完全には一致しない。そう考えると、やはり生き物は不思議だ。養老先生はいまは昆虫ばかり追いかけている。それが楽しいらしい。

  • 何年も前、大学での解剖実習が始まる頃に買った一冊。結局、当時は解剖実習が忙しすぎて読む気にもなれず、積読の地層に眠っていたものを先日発掘した次第です。
    内容は解剖学を軸に、その歴史から生物学、心理学に至る広い内容を中高生向けに分かりやすく記したもの。途中で話が脱線したりする様は講義を聞いてるようでもあり、脈管や神経の名前をひたすら暗記した自分の解剖学の思い出と比べると、ただただ楽しい作品でした。西洋の解剖学がアルファベットに繋がる話は目から鱗。

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著者プロフィール

解剖学者

「2019年 『世間とズレながら、生きていく。(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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