- Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480423238
作品紹介・あらすじ
「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。
感想・レビュー・書評
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著者、茨木のり子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。
大阪府大阪市生まれ、愛知県西尾市育ち。愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)を卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学する。上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き19歳の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なくなって久しいのですが、忘れてほしくない人です。
茨木のり子さんの73歳の時の詩集です。題になっている「倚りかからず」があまりにも有名ですが、他にもいい詩がたくさんあります。「私が一番きれいだったとき」から60年の歩みを支えた矜持にはやはりうなります。
ブログにもあれこれ書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202109080000/ -
茨木のり子の詩は、心をシャンとさせてくれる。ふとした折に、手に取ってきたが、今またそのタイミングだったのだろう。倚りかからず。中々できていないが、これからも時折、思い出したように読みたい。
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詩集、初めて読みました。
凛とした美しい詩が収録されていて、読んでいて気分が落ち着きました。「行方不明の時間」が自分の今の気持ちにピッタリで、良いなと感じた。
また違う気持ちのときに読んでみたい。 -
詩を久しぶりに読んでみた。茨木さんの詩は勇気づけられるとのことで、たまには、一遍一遍噛み締めてみるのも良いなとおもいました。☺
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茨木のり子さんの、緩みなくきりっとした詩の世界は好き。しっかりしなきゃと思う。
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詩なんてぜーんぜんわからない私が、はじめて忘れられないと思った「自分の感受性くらい」。この詩集には載ってないけど、他の作品もぜんぶ枠は大きいのにさっぱりまろやかな読み心地ですごくすごく好き。茨木のり子さんの詩のリズムをこころに秘めて生きていきたい。
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詩なんてぜんぜんわからないけど
悲しくて寂しくて
なんにもしたくなくてできなくて
そんなときでも
なんだかわからないけど
茨木さんの詩は読め...詩なんてぜんぜんわからないけど
悲しくて寂しくて
なんにもしたくなくてできなくて
そんなときでも
なんだかわからないけど
茨木さんの詩は読めたんです
2021/03/10
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解説に「茨木さんの詩には、ご自分で書いたことを自ら茶化す表現がよくある」とある。
それは例えば「苦しみの日々 哀しみの日々」という作品に顕著に表れている。「苦しみの日々 / 哀しみの日々 / それはひとを少しは深くするだろう / わずか五ミリぐらいではあろうけれど」とか。
「少しずつ 少しずつ深くなってゆけば /やがては解るようになるだろう /人の痛みも 柘榴のような傷口も / わかったとてどうなるものでもないけれど / (わからないよりはいいだろう)」に至っては、二重に突っ込んでたりする。
茨木さんは、詩は言葉を削らないといけないからどうしても言葉が強くなる、と言って羞じるように笑っていたという。
「倚りかからず」みたいな強い詩ばかりだと思って読むと意表を突かれるかも。