自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.76
  • (56)
  • (68)
  • (70)
  • (12)
  • (4)
本棚登録 : 982
感想 : 93
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480423726

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 本書は中高生のために語った読みやすい〈歴史学入門〉です。とはいえ、文章はやさしいけれど、学問の意味や研究に対する姿勢などについて「自分が本当に伝えたいこと」が書かれた内容には大変背筋が伸びる思いをしました。

    著者は一橋大学の学生時代に、ドイツ中世史の権威として知られていた上原専禄先生のゼミに参加し、学問の意義や厳しさを学びます。

    卒論のテーマについて相談した際に、先生がふとおっしゃられた「それをやらなければ生きてゆけないテーマを選ぶことだ」との言葉に、「生きてゆくことと学問の接点」を考え続けた著者の姿は、わたしにはとても強く印象に残るものでした。「考える」とはこんなにも深く潜っていくことなんだなと感銘を受けたからです。
    たとえば学問について、「学問の意味は生きるということを自覚的に行う、つまり自覚的に生きようとすることにほかならない」と著者は語ります。そして「生きるということを自覚的に行う」ためには、2つの手続きが必要だとします。
    ひとつは「自分のなかを深く深く掘っていく作業」、「自己形成の歩みを、たんねんに堀り起こしていくこと」だと説きます。そして、「過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくこと」、すなわち「自分の内面を掘り起こしながら、同時にそれを《大いなる時間》のなかに位置づけること」が第二の重要な手続きだと述べます。
    何だか難しそうに思えますが、著者は幼い頃の実体験を通じて、季節というものが移り変わるのだと知ったときのエピソードなどを交えて説いてくれますので、理解しやすいです。
    さらにゼミでは、「解るということはいったいどういうことか」を学びます。先生の「解るとはそれによって自分が変わるということ」という言葉は、それからの著者の人生を通じて考え続ける問題となります。

    そしてやはり興味深く面白かったのは、著者がドイツへ留学してからのことです。
    中学生時代、家庭の事情から修道院の施設で暮らし、そこで初めてキリスト教あるいは西欧文化に触れた著者は、大学院を修了して小樽商科大学の講師となったのち、ドイツへ留学します。
    ドイツでは古文書と格闘しながら、研究のあり方を模索し、現地の人々との交流を通じて、彼らと日本人の違う点と違わない点を発見していきます。
    「ハーメルンの笛吹き男」、「大宇宙と小宇宙」という中世の世界観、「中世の賤民」など、自分の研究に触れながら、モノや目に見えない絆が人間同士の関係をどう結びつけ、そしてそれが時代とともに、どのように変化していったのかという問題を論じます。
    ヨーロッパとは何か、日本とヨーロッパとでは何が同じで何が違うのか、過去と現在と未来はどのようにつながっているのか、などといった著者の研究は、常に恩師の言葉を意識した厳しくそして熱いもので、その姿勢には大変感服いたしました。

  • 多和田葉子の『地球に散りばめられて』『星に仄めかれて』を読んで境界という概念に意識が向いて、やっぱり境界を考えるにはアメリカよりヨーロッパじゃないか…などと思いながら書店に寄って出会った一冊。ヨーロッパを題材とした「歴史学入門」という惹句にも惹かれたけれど、それよりも何よりもあの名著『ハーメルンの笛吹き男』と同じ著者ということで、ワタシの中で手に取らない理由は何もなかった。
    「解る」とは、それによって自分が変わるということ、「誰かを理解する」とは、その人の中に自分と共通な何かを発見すること。言われてみればとてもシンプルなことなのだけれど、それに行き着くまでの経緯が実に丁寧に綴られている。ハーメルンの笛吹き男の話もしっかり出てくるところは、同著のファンとしてはたまらない。
    元々ヨーロッパにあった「大宇宙と小宇宙」という考え方を、キリスト教が真っ向から否定したというくだりは意外。ヨーロッパとキリスト教の関係を勝手に単純化していた自分の無知を恥じた次第。

  • 名著。「解る」とは自分の内奥で納得しそれによって自分が変わること=歴史の諸事情の内奥にあり自分の内面と呼応する関係や変化を発見することである。従って研究テーマは、「それをやらなければ生きて行けない」ものでなければならない。人は過去に規定され、未来への意志によって規定されながら現在を生きているのであり、学問の意味は生きるということを自覚的に行うことであるからだ。そのためには自分の内奥を深く掘り起こしながら、同時にそれを自分の意識や存在そのものが歴史の中にあることを自覚し、歴史の中に位置付けていく必要がある。

    養老孟司が、「分かる」とは、癌の告知のようなものだ、つまり、分かった後の自分と分かる前の自分とは、見える世界も感じ方も全く違うものになる体験だ、と述べていたことと通じるものがあり、深く深く研究を続けた者にのみ到達できる共通の境地なのだと思った。40までは力を蓄え本当にしなければならない仕事をするための準備をすることが大切である、という阿部謹也の、人生の全てが詰まった歴史学入門。

  • 「解るということはいったいどういうことか」

    なぜ中世ヨーロッパにおいて差別が生まれたのか。本書中盤以降、ヨーロッパ社会の歴史を振り返りながら、この疑問に答えていく場面が続く。古来より大宇宙と小宇宙が人々の世界観を形成し、二つの宇宙の狭間に異能力者が存在していたこと。キリスト教の普及によって宇宙が一元化され、異能力者の存在が公的に否定されたこと。それによって異能力者は「恐れながら遠ざける」べき存在となり、ここに賤視=差別が生まれたこと…。つまり差別は文明の副産物だったのだ。本書を読むと、歴史に対する見方が一変させられる。そうしてようやくこの言葉の本当の意味を理解できるようにもなるのだ。

    「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」

    心憎い伏線が張られた誠実な一冊。

  • 「ハーメルンの笛吹き男」をはじめとする西洋中世史研究で著名な阿部謹也氏のエッセイ集。
    エッセイ集といっても、思いつくままに書いた散文の寄せ集めではない。本書全体が「自分の中に歴史をよむ」という一つのテーマに沿って書かれているうえ、阿部史学のエッセンスが詰まっている。
    解説で、中高生向きに書かれた本とあるが、大人が読んでも十分に面白い。真にすばらしい本というのは、本書のように年代を問わず読まれうるものではないだろうか。

  • いわゆる「歴史学とは何か」という命題を掲げた本であろうが、他が真っ向から歴史学そのものを分析しようとしているのに対して、あくまでも筆者がどのような背景や興味をもって歴史学に取り組み、解釈してきたのかをつづった内容になっている。
    歴史の捉え方というのは多様であり、完全な中立から解釈することは難しい。そういった点で、著名な研究者であった筆者が自らのスタンスを明らかにすることは、読者にとってきわめて参考になる、つまり歴史学と向き合う時の姿勢を教えられる。特に歴史に興味を持っている若年世代におススメしたい。私も、もう少し若い時にこの本を読んでいれば…。

  • 著者(と上原専禄教授)の学問と真摯に向き合う姿勢に大変感銘を受けた。
    特に冒頭の上原先生の件では、こちらも思わず姿勢を正しました。
    学生時代に読んだはずですが、その時は何も感じなかった。
    今感じた気持ちを学生のときにも持てていたら、もっと勉強したと思う。
    まあ、今だからこそ感じることが出来たとは思います。

  • NDC 230.04
    かつてヨーロッパでは、どのような生活が営まれていたか。日本人がヨーロッパの歴史を学ぶ意味はどこにあるか。研究を進める上で、どのような着想と、史料操作や文献解読が必要だったのか。「ドイツ騎士修道会」の研究に始まり、ヨーロッパ中世の神秘的で混沌とした社会を豊かに鮮やかに描き出した著者が、学問的来歴をたどることによって提示する「歴史学入門」。

    目次
    第1章 私にとってのヨーロッパ
    第2章 はじめてふれた西欧文化
    第3章 未来への旅と過去への旅
    第4章 うれしさと絶望感の中で
    第5章 笛吹き男との出会い
    第6章 二つの宇宙
    第7章 ヨーロッパ社会の転換点
    第8章 人はなぜ人を差別するのか
    第9章 二つの昔話の世界
    第10章 交響曲の源にある音の世界

    著者等紹介
    阿部謹也[アベキンヤ]
    1935年東京に生まれる。1963年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。小樽商科大学教授、一橋大学教授、一橋大学学長、共立女子大学学長などを歴任。一橋大学名誉教授。

  • 230-A
    文庫(小説・エッセイ以外)

  • 本は脳を育てる:https://www.lib.hokudai.ac.jp/book/index_detail.php?SSID=5071
    推薦者 : 中村 重穂 所属 : 国際連携機構国際教育研究センター

    何年かにわたって「一般教育演習」や「多文化交流科目」で異文化間コミュニケーションの理論と実践といった類いの授業を展開してきたが、この本はそうした授業の設計思想を作る上で常に座右に置いていたものである。この本が出たとき、ある夕刊紙の書評が「これは真に感動的な本である。」と書いた。「感動的」ということばが適切かどうかは分からないが、「目からウロコが落ちる」という感覚が得られる本ではあると確かに思う。内容は、少年時の修道院生活、大学時代の上原専録との出会い、ヨーロッパ留学生活等々著者の体験談が多いように見えるが、その根底で著者はヨーロッパ(ドイツ)で感じた違和感とそこから教えられたことを鋭く問い返し、ヨーロッパという世界を肚の底から分かろうと真剣に考え抜いたことが読み取れる。その徹底ぶりは鬼気迫るものがあるといってよいであろうが、文章にはそのような雰囲気は微塵も感じられない。「『分かる』ということは『自分が変わる』ことだ」という師・上原専録の教えを自らに体現して生まれた、「(異)文化を理解するとはどのようなことか」に手がかりを与えてくれる優れた本である。高校生向けに書かれた本ではあるが、大学生以上のあらゆる年代の人々にも感銘を与えるに違いない。

全93件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1935年生まれ。共立女子大学学長。専攻は西洋中世史。著書に『阿部謹也著作集』(筑摩書房)、『学問と「世間」』『ヨーロッパを見る視角』(ともに岩波書店)、『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(講談社)。

「2002年 『世間学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

阿部謹也の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
小山 龍介
J・モーティマー...
ヴィクトール・E...
ロバート キヨサ...
小山 龍介
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×