- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480423801
感想・レビュー・書評
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本書は、どういう読み方が本当の読みと言えるものであるか、われわれの精神をきたえ、真に新しい知識を獲得するにはいかなる読みをするべきかを追求したものである。
既知を読むアルファー読みと、未知を読むベータ読みの区別と前者から後者への移行・考察がリーディングの新しい地平線をひらくものであるといっています。
いわば未知を読む読書を考えようというもので、ベータ読みを考察するのが最終的な目的である。
気になった点は、以下です。
・マニュアルがわからないといっても、読む側に読む力がないからである、と言った人はいない。
・ほぼ完全に未経験なことがらをのべた文章というものは、読み手にとって暗号のようなものである。一読してわかるように考えたら大間違いである。
・もともとわかり切ったことなど、読んでも役に立たない。
・(口にだして)読めることと、理解することが別々であるのが日本語である、読めても読めてない。
・難解信仰のたそがれ、わかりやすいことはよいこと、という平明の信仰である。そのために、当用漢字の制定や、新仮名遣いの導入などがある。
・まったく知らないこと(を書くこと)が、いかに難しいか、身にしみて感じた。
・すこしづつ慣れると、だんだんわかってくる。ことばは慣れであることがよくわかる。
・英単語はなるほど既知のものばかりであるが、それが綴りあわさって表現しているものは、多くの日本人にとって未知である。したがって、わからない。
・大人になって、文字が不自由なく読めるようになると、文字面だけ読んで、内容がはっきりしないことがおきる。それがひどくなったのが、論語読みの論語知らずである。
・学校の知的教育とは何か。それは人類がこれまで獲得、蓄積してきた文化を次の世代に伝承する営為である。
・未知を読むのは、二重の壁がある。①ことばと文字、表現が現れる。②文字や単語はわかっているのに、なお、何のことをいっているのか五里霧中である。
・未知を読むのは、登攀コースのきびしい山登りに似ている。
・この百年の日本が翻訳文化の時代であったのを物語る。難解至極な訳文と悪戦苦闘することが、とりもなおさず、読者にとって、知的活力の源泉となったのではないか。
・よい「悪文」とは、必然性をもって読みにくくなっている文章で、努力すれば必ず報いられる。
・社会に古典は覚えて口で言えるようにしておくのがいいという考えがないと、教育は何でもないことすらできなくなってしまう。
・正しい解釈、解決を得るのに、「時間」が大きな働きをすることを見逃してはならない。即座の理解では、時の働く余地がない。一度わからぬ文章を何度も何度も読み返す。その間に時が作用する。未知である対象も、わかろうとする人間も、ともにすこしづつ変化して、やがて、通じ合うところまで近づくようになるのかもしれない。
・まるで歯が立たない難解な文章もくりかえし読んでいると、いつのまにか、わかったというのでもなく、わからないというのでもなく、なんとなく親しい気持ちをもつようになってくる。
・われわれのことばには、2つの面がある。1つは、知っていることを理解したり、表現したりする活動である。もうひとつの言語活動は創造である。
・既知から未知を類推するのは、比喩の作用による。そもそも、われわれが、未知のことばがわかるのも、主として、この比喩の方法による発見があるからだと言っていい。
目次
はじめに
序章
1 未知が読めるか
2 マニュアルがこわい
3 論語読みの論語
第1章
1 わかりやすさの信仰
2 スポーツ記事
3 自己中心の「加工」
4 音読
第2章
1 教科書の憂鬱
2 裏口読者
3 批評の文章
4 悪文の効用
第3章
1 アルファー読み・ベーター読み
2 幼児のことば
3 二つの言葉
4 切り替え
5 虚構の理解
6 素読
7 読書百遍
第4章
1 古典と外国語
2 寺田虎彦
3 耳で読む
4 古典化
5 読みと創造
6 認知と洞察
エピローグ 「モモタロウ」
あとがき
ISBN:9784480423801
出版社:筑摩書房
判型:文庫
ページ数:224ページ
定価:560円(本体)
発行年月日:2007年10月
発売日:2007年10月10日詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
色々納得しました。すごくおもしろかった。読んでいて楽しい本、難しい本と感じる理由が一部言語化されたと言う点で、無意識の既知の本だったのかもしれない。
言語に関する学習についての記述も豊富で、今井むつみ先生の著書にも繋がるなと感じました。未知の読書のために必要なことも示されていて勉強になったし、国語の授業で小説や評論を扱う意義についても納得しました。大人になって特に既知の読書に偏りがちなので、未知の読書もやっていきたい。
学習の仕方にも繋がる話でした。 -
久々の外山先生。昔、『思考の整理学』や『忘却の整理学』でお世話になった。
また本文にて同じ本を何度も読むことを薦めていたため、本書は2周した。
『読み』をα読みとβ読みの2種類に分類しβ読みの必要性を訴えた本。
α読みとは、既知の事柄を読む『読み』。例えるなら、昨日観た野球の試合の新聞記事や映画を観た後に読む原作なと。
β読みとは、未知の事柄について書かれた事を読む『読み』。例えば、哲学書、難しい評論、自分の知らない技術の本、使ったことの無い機械のマニュアル。
α読みは坂道を自転車で下るが如くスイスイ快適に進むが、β読みは険しい道のりの登山の如く随所で躓き中々前に進めない。
しかし、β読みこそが人間の知的活動であり、β読みを乗り越えた先の景色は壮観である。
現代教育ではβ読みを習得させるために、先ずはα読みから入り、物語などの虚構が混ざった作品などで徐々にβ読みへの移行を促す。
しかし近年、物語を読み続けβ読みに移行せずβ読みを知らない・できない大人が増えたことを作者は憂いており、本書にてβ読みの重要性やβ読みこそが真の人間の知的活動であると提唱している。
読んでて頭が痛くなる文書や眠くなる本はβ読みが必要な本であり、それをα読みのテンションで読んでるから苦しかったのだとわかった。自転車で坂道を下るつもりが逆に坂道を登らされてたのである。
次は難しめの古典でβ読みに挑戦しようと思う。
読書をする人にはまじでお薦め。
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「思考の整理学」で知られている著者の作品。「読書の方法」の加筆、修正版になる。
既知の読み「アルファー読み」、未知の読み「ベーター読み」の二つの読み方を定義づけ、子供の言語力の基盤、作品の古典化、本というのは本来、読み手がどのように学びを得るかが読み方ということがわかる一冊。
この本もまさに繰り返し読むことで気付きを得られる「古典」になりうる作品と感じた。 -
本書のもとになった原書の出版年を考えると、現在出ている読書術の本の大本の一冊が本書なんじゃないかと思えるほど、似通った内容を感じる。だから本書を後から読むと、なんだ、同じことが書いてあるじゃん、と思って評価を下げてしまいそう。
しかし本書は"幅が広い"というか、「読み」を考える上で、いろいろな喩えが出てくる。本書の良さを表現するのに少し短絡的かもしれないが、著者の「読み」の深さがその辺りに表れている。 -
「思考の整理学」を読み、面白くて、勢いで買いました。筆者は「日本は難解主義から平明主義に変わって、読書においても、読みやすい本が求められている。しかし読書には未知を読む力が必要だ」と主張し、それをベータ読みと名付けている。そこで、以前読んだ、自分史上一番難解だった、福田恆存の「国家とは何か」が思い浮かんだ。半分も理解できなかったが、脳ミソを絞りながら読み、読後は歯ごたえを感じていたことを覚えている。そういった経験から出て筆者の主張は納得できる。読書の仕方を見直したい人におすすめです。
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こ、これは…すごい
『読む事』をこんなに明瞭に分析できるなんて…
自分自身を振り返ると、幼いころにお経や宗教的警句を訳も分からず諳んじた経験が、今の自分の読みに関わりがあるかもしれない。しかし最近はもっぱらアルファ読みです、反省!!! -
開始: 2022/7/4
終了: 2022/7/5
感想
自分の読書のあり方を再考した。自分では未知のものに挑戦しているつもりだったが、知らずのうちに既知から少しだけ離れた安全圏にいるのかも。 -
「既知の読み」と「未知の読み」について.
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外山滋比古先生の著書。
『思考の整理学』が大ベストセラーになったから、その流れを汲んでつけたタイトルなんだろうな。
難解なマニュアルや教科書などを読んだとき、「書き方が悪い。もっとわかりやすく書いてほしい」と思うことがある。
外山先生に言わせれば、それは思い上りであるらしい。
わかっていることについて読むのはやさしく、おもしろい。
しかし、真に新しい知識を獲得するためには、わからないことを何度も読まなければならない。
前者をアルファー読み、後者をベーター読みと呼ぶ。
確かに僕も、自分がわかる本だけをたくさん読んで「趣味は読書」なんて思っていたけれど、本を読む本当のおもしろさは、わからなかったところがわかるようになることにあるのだろうな。
反省。
活字離れが叫ばれているからといって、手当り次第に読んでいることを「読まないよりはいい」と考えるのはよくないようだ。
大切なのは、わからないことが書かれている本を何度も読んでわかるようになること。
古人の言葉で「読書百遍意おのずから通ず」と言う。
3回読みかえした本が5冊できるようにがんばろう! -
未知を読む、それには辛抱強く何度も何度も読む必要がある。わかりやすい文章を書けーとばかり言われる日々に、少なからず「これほどまで読み手に努力を求めないような文章を書かねばならんのか?」と思っていたので、なんか安心したやら納得したやらです。
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思考、忘却に続く整理学シリーズの3冊目。個人的に3冊の中でこれが最も好きである。
今までのシリーズと違い、外山滋比古の怒りが充満した一冊である。読みが退化していることへの怒り、それを助長した教育や出版業界への怒り、そしてシンプルに外山滋比古に抗議文を書いてきた中学生への怒り。
最初は中学生を論破すればいいだけだったはずの筆者が、それでは大人気ない、別の方法で諭そう。いや、中学生だけが悪いわけではないから、その背後に潜む親玉を仕留めなくてはならない。しかし、難しい組み立てを、表現を用いれば、一番この本の内容を伝えたい層に伝わらない。ああ、イライラする。
と、不満や怒りをどこか楽しみながら書いたような印象を受けた。
既知をもとに満足するアルファ読み。
未知の世界を紐解いていくベーター読み。
未知を読むには二重の壁がある。
だから読めないし、広がらないし、退化する。
外山滋比古を怒らせ、この一冊を生み出すきっかけを作った中学生に、天晴れ!と伝えたい。
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吃驚したッ‼️
『AI vs 教科書の読めない子どもたち』読了直後だったので…
本棚に並んだ本書を、何気なく手に取って読み始めて、"answer bookかッ❓ -
読むことを考え抜いた本。既知を読むアルファー読みと未知を読むベーター読みとにわけてのところが面白い。これほどまでに読みを意識したことはなかった。これからは意識しておきたいことの一つになった。
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主張が時代に逆行してて面白い。そして納得がいく。
やっぱりすごいおじいちゃん。読書っていいなってなる本 -
頷きながら、考えながら、読んだ。
読み直したいと思った。 -
私にとって画期的な本。目から鱗…の内容がたくさん書かれていた。本を読むとはすべて未知のことを吸収していると思っていたのに、実は”既知のおもしろさ”だったとは…。既知と未知の読みの違いが知りたくて、知りたくて一気に読み進めていった。ただ本を読めば読書をしていると思っていたが、改めて未知のことを知る「知的世界」へとつながる読書のありかたを考えさせられた。
それにしても、いくらおもしろい作品であっても、「教科書」に掲載されたとたんにつまらないものに感じてしまう…と著者側から代弁されていた点は面白かった。共感を感じながら読み進めることができ、読書世界を広げるきっかけになると思う。