生き地獄天国―雨宮処凛自伝 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.66
  • (17)
  • (14)
  • (29)
  • (2)
  • (2)
本棚登録 : 164
レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480423979

作品紹介・あらすじ

現在、フリーター等プレカリアート(不安定層)問題について運動、執筆し、注目される著者の自伝。息苦しい世の中で死なないために。激しいイジメ体験→ビジュアル系バンド追っかけ→自殺未遂→新右翼団体加入→愛国パンクバンド結成→北朝鮮、イラクへ→右翼をやめるまで。文庫化にあたり、その後現在に至るまでを加筆。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 雨宮処凛が自身の半生を綴ったデビュー作。色んなものを大量に食った後のウンコのように、濃厚で味わい深い(ぇ

    子供の頃からずっと、理由のわからない、正体の見えない閉塞感や生きづらさの中でもがき続けてきた著者が、様々な人たちと出会ったり別れたり、様々な経験を経ながら、その「生きづらさ」の原因を突き止めていくと同時に、少しずつ解放されていく様が克明に記録されていて、非常に読み応えがある。そして、けっこう泣ける。

    今まで何冊か読んできた雨宮処凛の本の中でも、断トツにおもしろく、一気に読んでしまった。カバーのイラストが可愛いのも良い。

    少し話はずれるが、この本を読んで興味を持った人に、僕は以下の本を薦めたい。

    それは、小説家の村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした「アンダーグラウンド」(この本は分厚いので敬遠している人も多いが、最後の村上による考察部分が非常に鋭く、おもしろい)と、その続編で、オウムの元信者にインタビューした「約束された場所で」の二冊である。

    そこでは、オウムが流行した90年代にあって「こちら側の世界」の物語(価値観)がいかにやせ細って、貧困に陥っているか、ということが何度も言及されている。一般的には、オウムの問題は「とんでもない価値観を提供する集団に若者が惑わされていった」と認識されているが、しかし、村上やオウムの信者たちが指摘するのは、それだけではない。「オウムの提供する価値観(物語)は滑稽で、それにはまる人々も滑稽であるかもしれないが、しかしそれを嗤う私たち(の社会)は、どれだけマトモな価値観(物語)を提供できているというのか」という疑問。

    これは、この「生き地獄天国」にも登場する元オウム信者Y君の

    「ホンットに、こっちの世界って、何にも魅力がないですね」(p132)

    という言葉ともオーバーラップするし、もちろん雨宮自身が抱えていた「生きづらさ」とも地続きであることは言うまでもないだろう。信じて、規範とするのに足りるような価値観が不在となっている、貧困なる社会。

    雨宮は、この本を書いた後、反貧困運動などに自分の居場所を見つけ、そして、本書の最後でうっすらと掴みかけた「世界の輪郭」を、さらにはっきりと捉えられるようになったのだとも思う。僕は、その方向性や認識は間違っていないと思うけれど、だからといって日本社会が劇的に変わったわけではない。閉塞感に関しては90年代よりかはマシになったのではないかと思うが、やはり若いころの雨宮のように葛藤し、苦しむ若者が後を絶たないくらいには、現在の社会の価値観は貧困だろうと思う。

    そのような不幸な時代状況がある以上、彼女のこの苦しみと喜びに満ちたデビュー作は、発表から10年以上経った今でも、まだまだその価値が減じることはないだろう。

  • 私はあまり読書をしない。本屋にはよく行くし、小説コーナーでは2時間くらいふらふら彷徨うことはよくある。だけど本を買いすらしないこともある。「私は映画でも演劇でも本でも音楽でも、"自分の気持ちと重なるか否か"でしか見れない(本著p106)」から、そんな作品を、そんな著者を見つけ出すことがなかなかできないからだ。しかし雨宮氏のこの言葉に同調できるのと、自分も中学あたりからサブカルに偏っているので知っている文化人や作品の名前が出て来て、ほくそ笑んでしまった、ああそんな作品と出会えた、と久しぶりに思えた。中途半端にサブカルに傾倒し始めて、全然同級生と馴染めなくて人殺しみたいな目をしてた自分に読ませてあげたかった。社会に出て行くのに不安しかなかったし希望も感じられなかったし、けれど若くて社会に属していないからこそできたことがたくさんあった。しかし中学、高校と卒業し学生である今でも重さは違えど彼女と似たような自傷行為や逸脱した性行動に走ったり何かに不満がある状態が不安定に続いていて、最近になってその問題に気づけたしこの本を読んで自分と重なるところがたくさんあり彼女の方が苦労しているし飛躍もしているから本当にリアルで個人的に面白かった。たくさん頁に折り目をつけた。また、読み返したい。

  • 2007年(単行本2000年)刊。自伝単行本に一章を加筆したもの。試行錯誤しながら苦境を克服していく様や、よい意味での著者の旺盛な行動力に感嘆。が、それよりも、本書全体に通底する著者の人間的成長が最も興味深かった。そもそも、単一・簡明な課題設定では、複雑な社会の問題の解決は難しく、単純なモノの見方では隠された事実に気づくことはできない。著者の陥ったこの過誤に、自ら気づき是正する過程が彼女のリアルな人間的成長を感じさせる。特に225頁以下の「事件」、297頁以下の「皇居前広場での気づき」がそれに該当する。
    この気づきという点で、読書の重要性を感じる。多面的なモノの見方をつける最も簡明な方法が読書と考えられるからだ。ちなみに、オウム脱会者が「こっちの世界って、何も魅力がないですね」と述べる箇所がある。皮相的なモノの見方だなと思いつつも、現代社会の闇の深さを感じさせるところだ。

  • 著者の(現在の)政治的信条に共鳴する人もしない人も、一度は読んだ方がいい本。壮絶の一言。

  • 右翼時代までの雨宮さんの「自伝」。多くの彼女の著作で語られる彼女の半生の詳細が語られています。正直、「痛々しい」。でも現代が多くの彼女のような存在を踏みにじることで「繁栄」してきたわけだし、その中で「この道しかない」という言説が少なくとも多くの人々の支持を受けて彼らに権力を渡してきたことも事実だと思う。彼女が壮絶な歴史をネタに向こう側に行かなかったことは救いだと思う。

  • サイトのエッセイにて書評してます。

  • 俺にとって、雨宮処凛とは、もどかしい存在である。はっきり言って言論人としては、支持できない。朝日新聞に「プレカリアートのマリア」と呼ばれ、社民党の福島みずほと懇意にし、「週刊金曜日」の編集委員を務める(どれもこれも俺が大嫌いなメディア)。俺がたまに読むウェブマガジン「マガジン9」の連載も、「甘ったれた事ばかり言ってんじゃねぇよ」と、歯がゆい気持ちにさせられる。俺は保守的な人間であるが、なるべくはリベラルな言論にも、一理を見出だしたい。が、雨宮処凛のそういった言論に一理を見出だした事はない。

    が、その一方で、勝手な親しみを抱いている。俺と年が3つしか離れていない為、趣味が被っているのだ。雨宮のゴスロリの格好、俺は中高生時分はバリバリにビジュアル系大好き人間だった為ちょっと嬉しかったり(この本の中にもZi:killの歌詞が引用されていてニンマリしてしまった)、いじめ体験、小林よしのりに影響されていたり、「戦後民主主義」に対して違和感を抱いていたりというのは共通してるし、また俺が唯一全著作を読んでいる作家見沢知廉の弟子だったり、一緒にサブカル話をしたら(そんな機会は一生ないだろうが)、盛り上がるんではなかろうか、と妄想してしまう。そもそも俺が雨宮を知ったのは、大槻ケンヂのエッセイであるし。
    と、言論人としては嫌いであるが、気になって仕方ない人間なのだ。で、この自伝を読んでみた。

    正直、う〜んとなってしまう部分も多々あったし、努力が至らなかった部分を社会のせいにしてる様に感じる箇所も多々あった。けど、自分を正直にさらけ出している様は感服した。

    壮絶ないじめ体験を書く一方で、近所の犬を虐待したり、子供を誘拐しようとした事、母親にかなり強力な暴力をふるった事、ビジュアル系バンドの追っかけをしていた時の性生活の乱れっぷりを正直に書いている。読んでいて、眉をしかめてしまうが、いじめの被害者、悲劇のヒロインとしてだけではなく自分の悪い部分、普通の人なら隠してしまいたい過去を正直にさらけ出す姿勢には好感を覚えた。

    また、右翼団体に入ったり、元オウム信者と交流したり、北朝鮮に行ったり、雨宮が組んでいた愛国パンクバンド維新赤誠塾のライブをイラクでやったり、と、行動として支持できないが、思い込んだら実行してしまうエネルギー、右、左関係なくまっしぐらに現場に突っ込んでいく姿勢は、凄いとしか言い様がない。

    けど、この自伝を読んだ事により、俺にとっての雨宮処凛の認識が変わったかと言うと、そうでもなかったりする。

    今後の雨宮処凛はどんな活動を行うんだろうか?俺は多分、雨宮の言論を好きになる事はないが、同世代の人間としてちょろっとは応援したい。

    俺としては、雨宮に適度に冷めた目線を持って、良き左翼の翻訳者になって欲しい。あと、見沢知廉の回顧録とか評伝を書いて欲しいな。

  • 生きる意味が見つけづらい時代だ。いや、ただ余裕ができて「考える余裕」ができただけなのかもしれない。それまではそもそも「生きる」こと自体が目的であり、その「意味」を見つけようとする余裕なんてなかったのかもしれない。
    この世の中に、或いは生きることに意味なんてないと、そんな風に思う。この本は雨宮氏がどうやって意味のない自分に、意味のない社会に、それぞれ"意味付け"を行ってきたかという記録の本である。いじめにより心が空洞になり、空洞を実感したからこそ彼女は意味を求め続けた。ある時はミュージシャンに、ある時はサブカルに、そしてまたある時は右翼団体に。
    社会は自分たちに明確な意味を見出せていない。でもたとえ何らかの意味付けできたとしても、その意味に納得できない人は必ず出てくる。つまり、結局は自分自身で自分を、社会を、定義付けしていくほかないのだと思う。特定のプロパガンダが支配しない自由な社会を持ったその代償として、我々には自力での意味付けが求められる。現代版そのための思考力が強く求められているのだ。雨宮氏は少なくとも体当たりでその意味を模索していた。そのやり方に賛同、反対など様々な意見があるだろうが、少なくともその姿勢は悶々としている人たちへの強烈なメッセージになり得るだろう。

  • 特定のイデオロギーに傾倒すると何処かでなにか間違ってしまうような気がしてたが、雨宮処凛が同じことを言ってくれて、このまま行動してもいいのだと、勇気と元気が湧いた。

  • 蜜ひとが、全人類の中で唯一
    本当の意味で尊敬している人物
    雨宮処凛様の自伝

    蜜ひとの女神様による
    蜜ひとの聖書

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

作家・活動家。1975年北海道生まれ。愛国パンクバンドなどを経て、自伝的エッセイ『生き地獄天国』で作家デビュー。2007年『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。格差・貧困問題に取り組み、生きづらさや自己責任論に対抗する発言・執筆活動を続ける。反貧困ネットワーク世話人、週刊金曜日編集委員。共著に『1995年 未了の問題圏』(大月書店、2008年)。

「2019年 『この国の不寛容の果てに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

生き地獄天国―雨宮処凛自伝 (ちくま文庫)のその他の作品

雨宮処凛の作品

生き地獄天国―雨宮処凛自伝 (ちくま文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする