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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480424037
みんなの感想まとめ
文章読本のジャンルを鋭く批評し、日本の作文教育の歴史を探る本書は、著者の豊富な読書体験を基に、過去の作品を一刀両断にする力強い視点が魅力です。日本の作文教育が伝達と表現の間で揺れ動いてきたことを解明し...
感想・レビュー・書評
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一言で言うと文章読本というジャンルをこきおろしている批評。
構成として、
①「文章読本」というジャンル解説、
②日本の作文教育の歴史、
③日本の学校の作文文化に対するアンチテーゼとして成り立つ文章読本、
の三つで成り立つ。
著者のものすごい読書量(“掃いて捨てるほどある”と著者も言う文章読本を片っ端から読んでいる?!)に圧倒され、文章読本の派閥を歴史的経緯に紐づけて解剖する鮮やかな批評手腕があっぱれだった。
本書の主題ではないものの日本の作文教育に興味を持っていたので、②が特に面白かった。
日本の作文教育については、アメリカ・フランス・ロシアの作文教育に比べて文章の構成についての解説が脆弱なのではないかと感じていたのだけど、
・その理由の一端がわかった
・一方で、言語というのは文化と表裏一体なので、作文の構成が弱いのは教育の問題ではなく文化的なものなんだなとも思って納得した。
本書によると、日本の作文教育は、長らく伝達か表現かどちらを重視するかでせめぎ合ってきたが、明治までの過度に形式的な書き言葉の伝統を嫌って、「思った通りに」「あるがままに」書く随筆的/私小説的な作文(=表現志向)の方向に大きく舵を切り直して今に至っている。
感想
・森鴎外(江戸時代の終わりの生まれ)はどうしてあんなに格式高い漢文調の文章が書けるんだろうと思っていたけど、受けてきた教育の違いだったのか、と思った。
・読書感想文の文章はなんて随筆的なんだろうと思っていたけど、伝達よりも表現を重視した情緒的な作文教育の流れに沿っているだからだったのかと納得した。
・いずれにしても日本の作文文化は過度に形式的・規範的な書き言葉の文章、または情緒的で随筆/私小説的な文章の2パターンの間のせめぎ合いだということがわかり、それらはいずれも他国と思想を異にする作文志向だなと思った。
参考
アメリカの作文教育(人伝に聞いた話)
→伝わりやすい文章の書き方に主眼を置いた作法が教えられる
フランスの作文教育(『哲学する子どもたち』より)
→哲学教育がだいじな土壌→自分の意見を論証する作法が教えられる
ロシアの作文教育(『不実な美女が貞淑な醜女か』より)
→国語の授業では文学を大切にする→テキストの構造図(コンテ)を書きだしてから文章を綴る作法が教えられる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
良書とは、自分がうっすら疑問に感じていたことを明快に解説してくれる本。
やはりそうですよね斎藤先生、と言いたくなるような解釈と論拠、さすがである。
谷崎、三島の文章読本をはじめ、気持ちいいくらい名著と言われてきた本たちを一刀両断にしていく。
いつか読もうかと本棚に置いてあった谷崎、三島の文章読本も、ようやくもういいかなと吹っ切らせてくれた本。 -
谷崎潤一郎をはじめとして錚々たる著者たちがこれまで刊行してきた「文章読本」とは、いったいなんだったのかということを検討している本です。
著者の文学批評の本領は、『妊娠小説』(ちくま文庫)などのフェミニズムの観点に立ってなされたものといえるように思います。それらの仕事は、文学という「制度」に批判のメスを入れるというしかたでなされていましたが、本書でも同様の方法にもとづいて、「文章読本」が文学という「制度」に依存するとともにそれを再生産する役割を果たしてきたことが暴かれます。さらに著者は、明治以来の作文教育の歴史をたどり、谷崎の文章読本が登場する背景を明らかにしています。
巻末には、高橋源一郎、山崎浩一、石原千秋、中条省平の四人による、本書に対する書評が収録されています。この四人はいずれも「文章読本」に類する内容の本を書いているのですが、なかでも石原は受験現代文という「制度」の内実を明らかにする仕事をおこなってきたという点で、著者に近いスタンスに立っているように思います。さらに高橋も、文学という「制度」とその外部の境界に身を置きながら文学をたのしむというスタンスを示しています。こうして見ると、谷崎以来の文章読本と、著者の文章読本批判とのあいだに断絶は存在せず、連続的なスペクトルをかたちづくっていることが見えてくるように思われます。
「制度」批判は、まさしくそれが「制度」に対する批判であるというしかたで「制度」に依拠していることは、むろん著者自身もよくわかっているはずで、そうした構図のなかに入ることで優れた批評的実践が可能になることをみごとに示しているのが本書だといってよいでしょう。 -
第31回OBPビブリオバトル「美しい」で発表された本です。
2018.11.28 -
巷間に溢れる「文章読本」の類を、その広範な資料の精査から歴史的に吟味し、その意図するところが奈辺にあるのかを暴き出している。快著である。
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笑い飛ばせる部分と、謎解きに当たる部分と、それぞれ巧みだなあというのが率直な感想。
嬉々として、文章の真髄を下々に授けようと力む「サムライ」たちが、ついついウンチクを垂れてしまう理由が、歴史を背景にして語られてしまう。その料理のされっぷりが気の毒なところと、背景の分析が勉強になるところと、この二点が本書の白眉。 -
writing
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解説:高橋源一郎・山崎浩一・石原千秋・中条省平、小林秀雄賞
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某氏にいただく。2002年刊、文庫化は2007年。こんなおもしろい本があるとは知らなかった。自分が清水幾太郎ー本多勝一路線にあることがよくわかった(もっと言えば、「わかりやすく書けないならば、豆腐の角に頭をぶつけて死んだ方がまし」という分析哲学の末裔でもある)。
貴族高踏名文派と民主シンプル派との階級闘争という対立図式を明確にした第一部と第二部が圧巻。ここまでを読めば文章の勉強用にもなる。ただ、その背景説明を明治にまで戻ってやっている第三部と第四部はまあ時間があれば読めばよい感じ。
この手の本だから指摘しておくが、82頁の「精神状態を類推すると」の「類推」の使い方がおかしい気がする。「推測」でよいのではないか。
る)。 -
なるほどごもっとも。確かにそうだ。いろんな文章読本を読んでいて漠然と感じていたことをズバリ言い当てている。痛快。階級闘争に持ち込んだところは素晴らしい。
でもそれは最初だけ。終始揶揄。からかいの連続。スパイス程度に出てくれば、権威へ矢を射るようで痛快だが、絶え間なく聞かされると悲しくなってくる。とにかく目に見えるもの、耳に入るもの全てを揶揄する。読み続けるのが次第に苦痛になってきた。ユーモアも嫌味に変わってくる。
それでも最後まで読み通したのは何がいいたいのか知りたかったからだ。これだけ罵詈雑言を並べるだけでは終わるまいと期待したからだ。御高説ごもっともの連続なので本当に期待した。
結論は月並み。というかケースバイケースですよね、と主張のない、その場を丸く納めるための結論。これだけ文章読本を罵倒しておいて、最後の数ページだけ自分も御高説を垂れる。しかも逃げ場を作っておく。だってケースバイケースですもの。
文章読本の歴史を文章会の階級闘争の歴史で終わらせておけばよかったのに、自ら読本してしまった。 -
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「文章読本」を皮肉っている本。
ドヤ顔で「文章たるもの」を語っている本を、こうして面白く分類して冷静に突っ込みを入れられてしまうと、その威厳がかえって黒歴史的な恥ずかしさに変わるだろう。「良い文章とは」という歴史も知ることができた。
まともな「文章読本」の人たちも自分の経験的エッセイやお気に入り文集などにしないで書けばいいのに。
わたし谷崎潤一郎の文章読本好きですが・・・ -
数ある文章読本を的確な分析と鋭い視点で分析。もう文章読本は読まなくていいと思った。
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面白かったねぇ。
今度から「面白い文芸評論なあい?」と聞かれたら『文章読本さん江』にしよう。そうしよう。
「文章読本」から連なる文章指南のジャンルを考察した上、日本の作文教育、明治時代からの国語教育の変遷まで含めて網羅検証した一大評論。評論、本当はここまでやらにゃあいかんのです。ここまで綿密に、シビアに、面白きこともなきジャンルを面白く。記号論なんか絡まなくてもここまで面白く出来る! やーいやーい! と私怨のようなものも混じりつつ。
読めば面白いし、仕掛けに障るので特に書くこともないが、最終的に提示される結論は、実は江戸時代から続く日本人は誰しも持っていた感覚ではなかったかしらんと思った。
あんがいと古風な結論に落ち着いた。 -
文体・表記に歴史あり。
もし「かッた体」とか「棒引きかなづかい」が採用されてたら…コワ。
旧かな支持派の主張④は、むーん。そうかも。 -
「文章読本」なる分野の本を読んだ事が無かった(読もうという気がない)ため、いまいち面白さが分からなかった。
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初めて読んだ評論家の本。文章読本をいくつか読んだことある人ならあるあると呟いてしまう。著名、無名な文章の書き方本にツッコミを入れまくりで悪口芸に笑ってしまうし、ああそのとおりだわと感じ入るところもあった。跋扈する文章読本がなぜこんなに出版されたかを、作文教育の歴史をひもといて原因を論じていく。笑いと知的好奇心をくすぐりまくる楽しい読み物だった。引用例で、カーツ佐藤の名前を見るとは思わなかった。 *この本は第一回小林秀雄賞をとったのだそうだ。ああ、何らかの賞もらわないとおかしいわこの本。
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何かもう、文章指南書を読めなくなっちゃうじゃんか。
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自分向けの読書メモ。
ネタバレと思ったこと。
文章読本って?
谷崎潤一郎文章読本からはじまる、文章の書き方本。
はじめは文豪と呼ばれるような人気小説家達が、満を持して書き、
現代に近づくにつれ新聞記者やジャーナリストなども書く指南本。
谷崎潤一郎氏の「芸術的文章と実用的文章には違いはない」「話すように書け」論に
いやいや、違うぞと三島由紀夫などが反対したり賛成したり、こんなのはどうだと言ってみたり。
なんで「さん江」?
出版社などから企画を持ち込まれた著者達は、「ついに俺にもきたか」とはじめたり
「文豪達に肩を並べるなんて」と辟易しながらもまんざらでもなかったり。
誰に置いても、先にたつ本を読んで同じ意見に対してはよくわかってらっしゃると満足しつつも、
違う意見があれば「ええ〜いこっちによこしなさい」と文章読本で筆を持つ。
そんなおめでたい人たちを皮肉って、
パチンコ屋さんオープンの「祝開店○○○○さん江」の花輪からこのタイトルに。
各文章読本をメッタ切り
著者の誰もが印刷される文章の世界の人たちで、
印刷向け文章が一般人の日常で書く非印刷向け文章の上に立つとどうも考えている節がある。
現代文にとどまらず古文、漢文からも引用して名文とはこういうもんだ論を掲げているが、
名文の定義とはなんぞやを語らずよくぞまあ。
と揚げ足・・・いや、批判・・・分析しています。
現代語のルーツを追う!
噂によると4桁にものぼるという文章読本の多くを、読んで分析しているだけにとどまらず、
江戸時代からの開国、戦後と日本が大きく変化する時期の日本の作文教育の分析にいたる。
昔の日本の文章は現代人には滅多に書けない候文。
書き言葉と話し言葉は分かれていました。
世の転換期にそれらを一致するように変化していきます。
外国語は話し言葉と書き言葉が一致している。
書き言葉を使うためにわざわざ学習し直すのにはコストがかかるし、近代化の妨げになるから一致させようと。
もちろん反対する保守派もいましたが、少し時間が経つとそちらが主流となりました。
子供は大人のミニチュア版だという考え方があったので、子供でも難しい文章を書いていました。
例えばお酒に酔って粗相をした詫び状を書いてみたり。
もちろんお酒を飲んだ訳ではなく、手本を使って大人になる準備として書く練習をしていました。
「それってどうなんだ。もっと自由に書くべきなんじゃないか」
「いやいや自由に書かせすぎて文章がうまくなってない。大人がしかるべきテーマを与えるべきじゃないか」
とかとか作文教育と現代文の変遷をしることができます。
感じたこと
こういうのを知ると、正しい日本語ってそもそもなんなんだと。
しかも、どれもここ十数年の最近のことじゃないか。
学校教育としては自由に作文をしたり、詩を書かされたりした。
実際に社会に出たら「この時はこう書き出しなさい」とか「手紙のマナーはこうだ」とか自由はない。
自由がないということは悪とかそういうことではなく、
しっかりとTPOにあわせた文章教育もしてほしかった。
本の結論
多数の文章読本を分析し、時代をさかのぼりつつ最終的には
TPOにあわせて書くものだ。人に指図されるものではないというもの。
当たり前と言えば当たり前。
じゃあこれまでわいわいやってた文章読本とはなんだったのか。
この本はそういう落ちをつける本だったのかなw
TPOにあわせてということなので、
これまで通り冠婚葬祭にあわせた文章の書き方指南本は必要とされるのでしょう。
僕の結論
当初はこの本読んで文章がうまくなれたらと思っていた。
ですが「そんなの気にすんな」と受け取ってしまいました。
果たしてこのエントリーは自分に向けた文章なのか、人に向けた文章なのか
特に考えずに書いてしまいました。
ほな! -
斉藤美奈子文庫への解説は、極端に二つに分かれる。つまらないものと、面白いものとに。
『紅一点論』の姫野カオルコさん、『モダンガール論』の浅井良夫さん、『あほらし屋の鐘が鳴る』のアライユキコさん、『麗しき男性誌』の亀和田武さんの解説は面白い。
一方、『妊娠小説』の金井景子さん、『読者は踊る』の米原万里さん、『文壇アイドル論』の松浦理英子さん、『趣味は読書。』の麻野一哉さん+飯田和敏さん+米光一成さんの解説はつまらない。
4:4でちょうど半々ですね。
面白い解説は、斉藤美奈子という特異な評論家がどのような文明に属しているか、よく示してくれています。
姫野さんはこの本が娯楽読物であるということに自覚的で、短気なマニアには「怒るというたのしみもある」と余裕を見せる。
大学時代の恩師浅井さんは、斉藤さんが執筆のテーマを見つけるまでの事情を回想していて、これが興味津々。
アライさんは女性誌編集の現場を詳述して、この評論の意義をたたえる。本文が上部構造なら解説は下部構造ってか。
そして亀和田さんは「斉藤美奈子はオヤジである」という驚天動地の新説(しかしいわれてみるとなんで今まで気づかなかったのが不思議なくらいの卓説)を披露する。
つまらない解説は……ただはしゃいでいるだけなんですよね。距離がうまくとれてないというか。
不思議なんですが、こういうのは筆力があるかどうかとはあまり関係ない。松浦さんなんて、あの本のミステリ的仕掛けに全然ふれていないので驚いたことがあります。
さて九冊目の文庫本はというと、これがつまらない。解説は単行本が出た当時の書評(それも好意的なもの)を集めただけ。たしか、いかなる時にも斉藤美奈子への批判を忘れない小谷野敦さんがネチネチした嫌味を書いていたはずだけど、あれは入っていない。もし入れてたら、懐が深い!と感心したんだけどな。
斉藤さんはbk1のインタビューで、「文章読本の教えにとらわれて苦しんでいる人に、とらわれなくていいんだよと言いたい」というようなことを言っていて(正確な引用ではありません)、それを読んだとき私は愕然としました。
斉藤さん、いまどきそんな読者が本当にいると思ってんの? と。
まあいるにはいるんだろうけど、天然記念物だろうし(あるいは、私の認識不足かもしれませんが)。
私は丸谷読本が好きだけど、それは「ああ、丸谷さんこういう文章が好きなんだなあ~」と楽しむために読んだんで、模範にしようなんて毛頭考えてませんでした。
橋本治が80年代に言うのには意義があったと思うけど、教養主義が徹底的に崩壊したこの御時世に、いまさらそんなこと言われてもねえ。
たかだか死体を切り刻んだだけなのに、「おれは殺人を犯したぞー!」と一人で盛り上っているような恥ずかしさを、私は感じたんだけどな。
2007年12月13日記
2007年12月19日の追記:
ちょっと言いすぎたかな、やっぱりネットは自意識を肥大させるからよくない、と一旦反省したんですが、『読者は踊る』を読み返したら、私の口の悪さなんて斉藤さんの足元にも及ばないことが確認できたので(笑)、このままでいいか、と考え直しました。
2011年9月16日の追記:
小谷野敦さんの「ネチネチした嫌味」は『能は死ぬほど退屈だ』におさめられています。
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著者プロフィール
斎藤美奈子の作品
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