人生を〈半分〉降りる: 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫 な 27-4)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 37
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480424129

感想・レビュー・書評

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  • シンプルに考えて、リラックスして生きていけることを、究極に考えられる良書。
    人は歳を重ねるごとに、半分降りることを、自覚していけたら、優しくなれるかも

  • 自分の1日の3分の2を自分のために持っていない者は奴隷。
    死について考え、これまでの人生についてとことん考える

  • 人生を「半分」降りる為には……

    本著は人生を「半分」降りる為のハウツー本ではなく、あくまでも"50歳"の中島義道の脳内を「半隠遁」をベースにオムニバス形式に念写したかのような内容であった。

    本文の形式は、章ごとに複数のキーセンテンスが存在し、それについてのエッセイとしてずんずん進んでゆく。その時には"「半分」降りる"に一切の関係がないように思えるような内容でも、章を読み進めると点と点が繋がるように共通項が見えてくる。このような形式にある種のカタルシスを見出すことができた。



  • すべき事ではなくて、しなくていいことから考えるのは単純だけど忙しい毎日の中でポコっと空いた時間の使い方としては大きく抜けていたような気がする。正直自分がいない状態を考えた時に社会活動として回りづらくなることがあっても、回らなくなることは絶対にない。だからやっぱりやらなくても良いことの精度を日々上げていきながら、気がついたら隠居してる、というか、え、隠居してたの?くらいの状況にこれからの人生持っていきたいと思う。
    もう一段上の話をしている哲学書ってないのかなぁ。心の支えにしたい。

  • エレファントカシマシの遁生の歌詞の意味、この本を読んだ後にやっと理解できつつあるかもしれない。
    今までの自分にない考えや気づきがあったページの角を折りながら読んだけど、半分以上折ってた。1ページの上下で折ってるページもある。
    もはや折る意味が分からなくなるくらい、まるまる一冊今までの自分にない考え方だらけ。いますぐ半隠遁できる年齢ではないのかなと思う一方で、少しずつこつこつ小隠遁を重ねていきたい(そんなことが可能かは頭で考えても分からないのでまず実践していきます)。

  • 今現在、人生を半分降りた生活をしています。
    この本を読んでいなければ、人生を半分降りる事なく
    惰性の日々を送り続けていたと想います。

  • カントを専門とする哲学者が隠遁の思想を語ったもの。全編を貫くニヒリズム。セネカ、スピノザ、カントから陶淵明、兼好法師まで縦横無尽の引用が光ります。著者のヘンクツぶりも含めてこれぞ知識人!といった趣。

    リア充的なるものに堂々と背を向けた、哲学的生き方ガイド。

    ○泰西古代の哲人は「隠れて行きよ」と訓えました。東洋では隠者を位置づけて「小隠は山林に隠れ、中隠は市井に隠れ、大隠は朝廷に隠る」とか申します。

    ○べつに大学や会社に辞表をたたきつける必要はなく、月給だけもらってなるべく好き勝手なことをする、そのためには細かな計算をして、「必要がない」と思ったことからはさっさと手を引く。そして、できるだけ人づきあいを制限して孤立して、「自分が今生きておりもうすぐ死ぬこと」を考える。たえずこのことを考える。

    ○人生においてせいぜい二番目に重要なことにすべての時間を捧げて、いちばん重要なことをおろそかにする。にもかかわらず、自分は充実した豊かな人生を送っていると思い込みがちになるだけに、ますます危険であるといえましょう。

    ◆感想
    隠遁モノでは家宝級。やることを減らし、読む本を減らし、付き合う人を減らし、「なにもしない」ことが隠遁の完成形であるように思います。積極的怠惰。

  • 人生の指南書になりそう。後に保存用に単行本でも購入。

  • 十年ほど前に出版された本の文庫化である。採り上げられている時事ネタがアテネでなくアトランタ・オリンピックだったり、テニスプレイヤーがサンプラスだったりと、少し古くなるのはやむをえない。しかし、それ以外は賞味期限に問題はない。なにしろ副題が「哲学的生き方のすすめ」である。引用文の多くは、先哲の言葉。セネカやニーチェの言葉はいつ読んでも新しい。

    限られた人生だから、50歳を過ぎたら世間の義理を欠くことになっても、残りの時間を自分のために使え、というのが、著者の言いたいことである。もっとも、多くの日本人が、その言に耳を貸さないだろうことは百も承知。年賀状をやめたり、会合やパーティーを欠席、人の家を訪問したりされたりすることもやめてしまうと、この国では、ふつうではやっていけなくなる。いちいち、それについて理由を説明するのが面倒になってきた著者が、本を書くことで一気に解決してしまおうと考えたふしがある。

    こんな本を買ってまで読もうと思う人間は、半分は著者と似た傾向を持っている人種と思っても間違いない。評者自身、とっくの昔に年賀状をやめてしまったし、家に仕事を持ち帰ることはなく、時間外労働もほとんどしない。趣味の上での付き合いは続けているが、仕事がらみや義理で、人に会うことはまずない。まったくもって、著者の言う「半隠遁」生活を実践している訳である。

    人からどう思われるかなどということが気になったらやってられない生き方なので、こういう生活をしていると「不幸になる」といわれても、実感がわかないが、いやならやめているだろうから格別に不幸だとは感じていないのだろう。それより、切る訳にもいかないしがらみから、嫌々つきあわされる世間的な体裁を取り繕うための種々の雑事のために取られる時間が腹立たしい。

    著者は、哲学者である。巷にいる哲学者のほとんどは、著者にいわせれば哲学研究者であって、哲学者ではないことになる。なぜそうなるのか。彼らの多くが、哲学を飯の種にはしても、哲学的に生きていないからである。ニーチェを研究していながら、研究論文を書いたり、学界での地位の向上にやきもきしてみたり、誰それの出版記念パーティーで、おざなりの挨拶をしたりする学者が大半を占めているのが実情であってみれば、それを取り上げて目くじら立てる著者の方が変なことは、著者がいちばんよく知っている。

    日本で大人として生きるには、周りをよく見て、周囲の動きに合わせて波風を立てないことが肝要。そういう空気の中で、パーティーで心にもないことを聞いたり話したりするのが嫌い。食事は極端に偏食という人間がうまくやっていくのは生大抵なことではない。つまり、著者は「子供」なのである。そして、子供のまま歳をとるべきだと考えているのだ。名高い哲学者の中には、どう考えても「子供」でしかない人が多い。哲学研究者には大人が多いが、哲学者になろうと思うなら子供でいなくてはならない。

    著者の説明によれば、世界に普遍的なものがあると思うのが「実在論者」で、「普遍はただ名だけだ」と主張し、「個物のみが実在する」というのが「唯名論者」だという。世界がどうなろうとも自分のことにしか関心がないことを明言してはばからない著者は唯名論者である。こう簡単に説明して分かったような気になることを、著者はかなり嫌っているので、詳しいことは本を読んでもらうしかないが、突きつめて考えてみたとき、世界や人類の滅亡より、「自分が死ぬ」ことの方が大事件だと思える人だけが、著者の言うことを理解できるだろう。

    自分の死が最も重大事だと考えれば、その死が刻々と近づいているときに、つまらぬ雑事などにかまけていることなどできるはずがない。しかし、現実に社会に生きている以上、完全な隠遁はまず不可能である。「半隠遁」とは、そんな中でも、なんとか仕事を続けながら、切実な問題について考える時間を得るための折衷的な方法である。

    反語的な表現方法をとりながら、世間的に価値があると認められている生き方や、誰からも文句のつけようがないと思われるような生き方をしている人に対する居心地の悪さを語り、奇妙にすっきりした読後感を残す。引用される名言、金言に触れるだけでも得をした気分になれるが、学者仲間に対する悪口雑言の限りには、あきれながらも溜飲の下がる思いをする人も多いだろう。興味のある奇特な人にだけしかお薦めできない毒のある一冊である。

  • ひとつの見識だとは思うが、私は同調できなかった。

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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