世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 37
  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480424204

感想・レビュー・書評

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  • 森達也の本気が見られる本。
    長々と綴られたエッセイで、内容は多岐に渡るので好き嫌いがあるかもしれない。
    やっぱりこのひとの理不尽を許さない態度、一貫した姿勢、やさしい感覚が好きですね。
    タイトルも、あったかくていい。ひさしぶりの森達也本でした。

  • 「麻痺しきってしまったほうが、楽だけど
    でもせめて矛盾に対しての葛藤と自覚くらいは
    持ち続けたほうがいい」

    私が、「A」を周囲の人に勧めることが
    できなかった理由は、オウムにシンパシーを
    持っているかのように誤解されることを
    恐れたから。小心者です。

    でもAやA2は「被写体はオウムだけど、
    テーマは今の日本社会そのもの」なので、
    小中高の授業で見てもいいはずなのに。

    「本当に警戒すべきは、外なる悪では
    なくて内なる善」であるという言葉から
    見えるものがいっぱい。

  • 映画監督森達也の随筆集。
    文章は精確さに重きを置いていて、所謂小説家のような美文ではないです。
    でも彼独自の視点は他の作家にはない大きな魅力。
    今の日本で生活してる人なら、きっと何か感じるところはあると思う。

  • オウム真理教の信者たちを被写体にしたドキュメンタリー「A」「A2」をつくった森達也さんの著書「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。

    この本の中で、森さんが繰り返し書いているのは、オウム真理教の信者たちのほとんどが善良で、穏やかで、純粋な人たちであるということだ。

    しかし、そういう善良で穏やかな人たちが、「組織」を作った時に、何かが停止して、暴走することがある。
    そして、穏やかで善良な人たちが、限りなく残虐になれる。

    「組織」といえば、「学校」や「企業」が思い浮かぶ。
    小さな単位では「家族」もそうかもしれない。
    森氏は、組織に属する限り、善良で穏やかな人が残虐になる可能性(リスク)を、どこかに抱えているという。

    重大な事件や犯罪が起きると、犯人の成育歴や動機を探ったりする。
    自分とは「別の」人間であることを確認して、安心するのだと思います。

    自分には関係ない。
    悪いのはアイツ。アイツのせい。
    そんなふうに考えて、
    それ以上の思考を停止をしてしまうのは、とても危険だと感じています。

  • オウム真理教を被写体にした「A」という映画についての内容が多い。
    しかし、当該の映画を観ていなくても十分に通じる内容である。
    過去に文芸誌等色々なところで発表されているものを集めているため、内容的に重複することがあった。
    しかし、それらは著者が本当に伝えたいことであり、何度でも言いたいことなのだと思う。
    例えば、オウム真理教の信者や戦争に加担した兵士たちは、一見凶暴であると思いがちだが、彼らは、私たちと同じ優しい善良な一般市民である。
    そして、彼らが人を殺めるのは悪意ではなく、むしろ善意だということ。この一文を読んだ時には鳥肌が立った。
    悪意ではなく、善意が人々を傷つけると思うと、やるせない。
    けれど、オオム真理教に関していえば、彼らは普通の人々であり、単純に糾弾するだけでは、なにも解決にならない。表面的ではなく、もっと根の部分を見なければいけない。

    ドキュメンタリーを撮るということのジレンマは、とても興味深く、著者の立場だからこそ感じる葛藤は、読者の私にはとても引き受けられそうもないほどで、覚悟を持って映画を撮り続けている著者の凄さを感じた。
    著者が言うように、たまには一人になって考えることも大切だし、一人称で考えることも大切だと思う。
    世界はもっと豊かだし、人はもっと優しいと皆が認識することで世界はもっと良くなるのだろう。

  • 煎じ詰めると、絶対的な悪も、絶対的な善もない、ピュアな善人が残虐な犯罪を成し得る。彼我に違いなど無い、そのことを正面から受け止めて、生きていかなければいけない、ということか。そりゃ、口に苦しで、ヒットはしないかも。けど…と。以下備忘録として/「情が移る」と住民は顔をしかめながらつぶやいた。当たり前だ。すべて人の営みなのだ。情がない人間などいない。/信者たちの人間らしさに驚いたのならその後に、考えたら当たり前のことなのだと思い至ってほしい。(略)人々は皆それぞれの営みを生きている。泣いたり怒ったり笑ったりしながら、日々との生活を営み、愛したり裏切ったり絶望したりしながら、少しずつ老いてゆく/今の日本における本当の強者は、市民社会が紡ぐ「民意(世論)」だ。圧倒的なチャンピオン/「ならば私が森さんに聞きたい。互いに異なる宗教や、宗教を持つ人と持たない人とが理解しあうことは可能でしょうか」一〇〇%の理解など最初から不可能だし、そもそも人はそれだけの能力を与えられていない。でも少なくとも、今よりははるかにまともなコミュニケーションは可能なはずだと僕は思っている。/国家や外交のシステムに、どうして皆これほどに期待するのだろうと不思議になる。冷淡で当たり前じゃないか。システムなのだから。/

  • 2016/2/6

  • 人はともすると、自分だけは正しい、と思いがちですが、
    不安定な存在であることを教えてくれます。

    誤解を恐れず発信していく森さんの姿勢に、敬意を抱きます。

    (47ページ)

     ……ひとつだけ、今言えるとしたら、

     オウムの信者のほとんどが善良で穏やかで純粋であるように、
     ナチスドイツもイラクのバース党幹部も北朝鮮の特殊工作隊員たちも、
     きっと皆、同じように善良で優しい人たちなのだと、
     僕は確信しているということだ。

     でもそんな人たちが組織を作ったとき、
     何かが停止して何かが暴走する。

     その結果、優しく穏やかなままで彼らは限りなく残虐になれる。

     でもこれは彼らだけの問題じゃない。

     共同体に帰属しないことには生きてゆけない人類が、
     宿命的に内在しているリスクなのだと思っている。

     つまり僕らにもそのリスクはあるのです。


    肌や目の色や言語や信仰やイズムや文化が違っても、
    人の体温は世界中変わらない。


    (66ページ)

    第二次世界大戦末期、
    日本のカミカゼ特攻隊は「天皇陛下万歳!」と言いながら、
    アメリカの艦隊に激突すると思われていました。

    でもほとんどのパイロットは、母や恋人の名を呼びながら死んでゆきました。

    人間はそれほど強くない。
    僕はそう信じています。

    しかし何かをきっかけに危機管理意識が高揚したとき、

    発動した他者への不安や恐怖は、彼らも自分たちと同じような
    情緒を持つ存在であるとの前提を崩します。

    そしてこの状態になったとき、
    人は安心を得たくて敵を作り出そうとします。

    とても倒錯した心理ですが、
    戦後のアメリカはある意味でずっとこの状況にあります。

    こうして戦争は始まります。

    始まりは不安と恐怖であり、大義はセキュリティです。
    だから自らの非を感じることができない。

    こうして被虐の記憶と報復は連続します。


    (80ページ)

    ここのところ、
    自虐史観で日本人は誇りを失ったと言う人が増えてきた。

    彼らは同時にこう言って嘆く。

    祖国のために戦った英霊たちを
    戦後の日本人は犬死にだと愚弄してきたと。

    天皇陛下万歳と叫びながら敵艦に激突した英霊たちを、
    僕は切ないくらいに愛おしいと思い、
    同時に馬鹿げた犬死にだと思う。

    二者択一ではない。

    世界はそんなに薄くない。

    人はそんなに単純ではない。

    そもそも矛盾と曖昧さを抱えた生き物だ。
    だからこそこの世界は豊かなのだ。

    僕は日本を愛していた。
    この国に生まれたことを誇りに思っていた。

    この土地を、この町を、
    この山河を、人々を、

    何よりも愛おしく思っていた。

    南京で虐殺された人の数が3000だろうが30万だろうがどうでもよい。
    慰安婦が実は志願したのか強制されたかもどうでもいい。

    数字や記録にこだわらず、
    ひたすら謝罪し反省する日本を、
    僕は誇りに思っていた。

    徹底した自虐史観に誇りを持っていた。

    国歌を持たず、
    国旗に拠りどころを求めないことに誇りを持っていた。

    武力の保持を放棄することを宣言して、
    非武装中立という夢を持ち続けることを誇りに思っていた。


    (118ページ)

    近代以前、
    公開処刑や市中引き回しはどこの国の文化にも存在していた。

    罪びとに石を投げ、その処刑を見世物よろしく興奮しながら眺めることで、

    市民たちは束の間のエクスタシーやカタルシスに浸り、
    行政や統治者への不満や鬱憤のガス抜きを施されていた。

    しかしかつてはお上が自ら果たしていたこの機能を、
    現代ではマスメディアが担っている。

    不特定な他者への憎悪は、
    その帰結として、他者への想像力を減衰させる。

    そこに現れるのは、
    熱狂と嫌悪、正義と邪悪、真実と虚偽などの二元論だ。

    かつての日本が、まさしく身をもって体験したはずの状態だ。

    大昔の話じゃない。
    僕らの父や祖父の世代の話だ。

    (173ページ)

    南京虐殺や従軍慰安婦、強制連行という
    歴史的事実を巡る論争が、左右両陣営のあいだで続いている。

    数の多寡にイズムが付着するという構造は戦後ずっと繰り返されてきた。

    加害側は少なく計上するし、被害側は大目に見積もる。

    当然の摂理と思うのだが、論争はいつまでも絶えることがない。

    大切なことは数の多寡ではなく、
    人は優しいままで、
    とても残虐になれる生きものであることを知ることに。



    (204ページ)

    「それはね、虐殺された人たちの慰霊碑なんです」

     彼は言った。

    虐殺の加害者は普通の村民たちだった。

    家族を愛し、隣近所の付き合いを大事にし、
    時には義憤に燃え、時には涙を流す、

    そんな市井の心優しい人たちが何十人もの集団となって、
    乳飲み子を抱いて命乞いする母親を
    竹やりで息絶えるまで突き、
    逃げる子供に猟銃の照準を向けた。

    78年前、この光景は関東中で繰り広げられ、
    6000人余りの命が犠牲となった。

    彼らは僕らの祖父であり父であり、そして僕ら自身でもある。

    救いなどない。

    教訓を得ようなどの意識も必要ない。
    この現実の前にはテーマやメッセージもかすむ。

    ただこの事実を直視するだけでよい。

    守らねばならないとの意識は、これほどにあっさりと暴走する。

    正義や善意が根底にあるからだ。
    だから摩擦が働かない。

    水は零度になったからといって、必ず氷になるわけではない。

    ところが、何かのきっかけで一瞬にして氷結する。相転移だ。


    人は集団となったときにこの相転移を起こしやすい。
    1人称単数の主語を失うからだ。

    「俺」や「私」が、「我々」や「国家」などの集合名詞に置き換わるとき、
    人は優しいままで限りなく残虐になれるのだ。


    これは共同体で生きることを選択した人類の普遍的な属性だ。
    だからこそ戦争や虐殺は絶えない。

    特に日本人はこの傾向が強い。
    一極集中で付和雷同。

    一斉傾斜であると同時に、平均値を何よりも気にする国民性が、
    人類が持つこの負の属性を促進するだろう。


    しつこさは承知でもう一度だけ言う。

    お願いだ。
    直視するだけだ。
    まずは知ることだ。
    そこから始めよう。


    (232ページ)

    「日本に本当に期待していました。

     なぜなら現在の先進諸国の中では
     唯一の非キリスト教国家です。

     しかも太平洋戦争では原爆まで落とされて、
     悲劇的な配線をしたのに、

     その後の経済成長も突出しています。

     平和憲法という理念にも感動しました。

     とにかくあらゆる意味で、
     私たちアラブ諸国の手本になる国だと思っていました。

     その日本に学び、日本の文化を吸収することが、
     自分の夢と絶対に重なると信じていました」

    「……過去形だね」

    「過去形です。

     テロに対して報復を宣言したアメリカに対して、
     
     そのオプションは違うと
     日本はアドバイスを送ることができる国だったはずです。

     私はそれを期待していました。
     でも結局日本は何も示しませんでした。

     アメリカが怒るのはわかります。

     自分の国の国民が何千人も死んだし、
     感情的になるのも無理はないです。

     でも少なくとも日本は、
     もっと独自のスタンスを示せる国だと私は思っていました。

     でももうすべてに失望しました。

     友人のシリア人たちも同じことを口にしていました。

     今回のテロとアメリカの空爆への流れの中で、
     私たちがいちばん期待していた国は日本です。

     そしていちばん失望させられた国も日本です」


    (243ページ)

    妃と子供たちが待つ故国には二度と帰れなかった。

    晩年は一日中、
    ラジオでベトナムの短波放送を聞いていたクォン・デは、
    死ぬ間際に、

    「日本を決して恨んではいない。
     自分で選んだ道なのだ」

    と日本人の養子である安藤成行さんにつぶやいた。

    つくづく思う。

    日本はアジアに対して、
    ずっと同じことを繰り返している。

    国外退去後のファン・ボイ・チャウは、
    数人の日本人とはその後も友人として濃密な関係を続けたが、

    国家としての日本との関係は二度と結ぼうとしなかた。

    一人ひとりは優しくて善良なのに、
    集団となったときの日本人は、

    まるで別の人格を付与されたように豹変する。

    「私」や「俺」などの一人称単数の主語が、
    「我々」や「国家」などの複数代名詞や抽象名詞に、
    あっさりと変換されるからだ。

    それを嫌というほど味わったファン・ボイ・チャウは、
    国家としての日本に見切りをつけたのだろう。

    明治期から現在に至るまで、
    日本は常にアジアにおいては突出し、

    そして期待されては、
    それを裏切ることをくりかえしている。

    だからこそアジアの失望も強い。

    中国や韓国が、
    いまだに日本に対しての警戒の意識を解かない理由は、

    集団となったときの日本の怖さを
    トラウマとして抱え続けていることが、
    要因としてはきっとある。


    (269ページ)


    そして何より怖いのは、

    邪悪な魔女を断罪する自分たちは正義なのだ、
    と思い込んでいる群衆(民意)は、

    自分たちの矛盾や論理の破綻に、爪の先ほども自覚がないことだ。

    国家とはなんだろう。
    少なくとも人類によって付与のものではない。

    1648年のウェストファリア条約以降に、
    主権国家なる概念がやっと立ち上がり、

    市民革命を経て、
    国民国家として完成したのは18~19世紀。

    つい最近だ。

    以上

    森さんは他の本でも一貫して「知ること」の大切さを主張しています。
    行動を変えよう、とまでは言っていません。知るだけで何かが変わることを信じています。

    私も学びを止めないようにしていきます。
    森さんありがとうございます。って言いたい。

  • 知らないことが壁をつくる。
    その壁の中で妄想も想像もなく、恨みとヒステリックな感情が伝播して世界を、このやさしい世界を覆い尽くす。

  • この素敵な輝くタイトルを胸に刻んで生きたい。

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著者プロフィール

1956年広島県生まれ。映画監督・作家・明治大学特任教授。98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。11年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『放送禁止歌』『死刑』『いのちの食べかた』『FAKEな平成史』『ニュースの深き欲望』他多数。

「2019年 『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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