福の神と貧乏神 (ちくま文庫 こ 13-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480424907

感想・レビュー・書評

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  • 世の中には福の神がついている人がいれば、貧乏神がついている人がいる。




    ちょうど今の時期は、「初詣」になるので、「富」はどこからやってくるのか気になり、今回の本を読んでみた。




    「しあわせ」はものごとが一致することや、巡り合せ、運などを意味することばで、必ずしも良い結果だけを意味するものではなかった。




    古い書物やおみくじには「しあはせ悪し」や「しあはせ吉し」といった表現が出てくるそうだ。




    そして「さいわい」は「さきわい」の音便形で、もともと植物の生長が頂点に達して、外に形を開く状態を意味する。



    それが、人間の状態を表すのに使われるようになった。




    一方で「福」は中国由来だった。中国ではもともと神から授けられた酒を意味し、それから神から授けられた「さいわい」を意味するようになった。




    いずれの由来も初めて知った。




    福と言っても金銭面以外にも要素があった。それは「熱心な信仰者」であり、また「大きな徳を積んだ者」を意味すると述べている。




    注意したいのは、熱心な信仰者、そして徳を積むと言っても新興宗教あるいはカルト信仰が好みそうな多額の献金をする、教祖様の本を買う、特定の候補者に投票する行為は全く関係ない。



    よく昔話で何とか長者が出てくるが、神から「福」を授けられて裕福になった者であり、同時に「徳」を積まないと「福」がなくなり貧乏になる。




    美味しいとこ取りは許されないということか。




    著者は昔話の中で「ほどほどの幸せ」に注目している。




    「一寸法師」に登場する「打ち出の小槌」を使って無限の富を得るような強欲な姿はなかった。




    一寸法師は、身長を伸ばしてもらったり、姫のために一振りして「飯」を出し、もう一振りして小判を数枚出すだけだった。




    今と違い、昔の「幸せ」はささやかなものだったと指摘している。




    インターネットで持っている人が「見える化」して、うらやましいと思うからなあ。中には妬みの感情がメラメラとなり良くない事をしてしまう人もいる。




    「福」は無限に求めるのではなく、ほどほどに求めるのが一番のようだ。

  • 恵比寿、大黒天、弁才天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人。これら七福神が幸福をもたらす「宝船図」は、私たちにお馴染みのものだ。「打出の小槌」なども、昔の人たちの豊かさへの願望を表したものといえよう。
    本書では、こうした昔話や伝承、福神信仰などを手がかりに、日本人が古来抱いてきた「富」や「福」の観念の背後に何が潜むのかを解明していく。

  • 福神信仰の起源と構造的な意味について考察している本です。

    「妖怪学」の研究者として有名な著者ですが、民俗学に文化人類学の手法を取り入れることで新しい視角を切り開いたことで知られています。本書でも、富に関する構造人類学などの諸成果を踏まえつつ、わが国の福神信仰の構造的意義が解き明かされています。

  • 初心者でも読みやすく、解りやすく論じられている一冊。
    昔話、伝承をベースに展開される内容は、民俗学に興味が無くとも面白い。
    1:七福神
    2:福を授ける神
    3:厄払い
    4:長者、貧者
    5:信仰の民俗化
    6:昔話の福神と富
    7:福はどこからくるか

  • 富と幸せと神様について。表紙がお気に入り。

  • 未読

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授、同副所長

「2011年 『【対話】異形 生命の教養学Ⅶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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