ちくま日本文学009 坂口安吾 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425096

感想・レビュー・書評

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  • これが初めての安吾。いつまでも7歳の心を大事にしていた人なんだなと思った。そのときそのときの自分の心の揺らぎを見なかったことにできないというのはなかなかハードなことだろうけれど(身近な人を振り回さざるを得ないだろうしね)、こういう人がある程度いないと世界が息苦しい。いてくれてよかった。以下よかったもの。

    「風博士」、「村のひと騒ぎ」。可笑しいんだけど、読み終わってみるとお祭りの後のようになにか物悲しい。「まあお話なんですけれど、本当にこういうのがあったらうれしいような気がしませんか」、って言われている気がする。

    自伝的な「石の思い」、「風と光と二十の私と」。子供時代のかなしみと潔癖。出来が悪くて教室にいたくなくて、自分の部屋で固まっていたころを思い出した。どうしてあんなに身の置き所がなかったかって、子供って自分のことをまだ引き受けられないんだよね。保護される身って辛い。ただ息をしているしかなくて。

    「桜の森の満開の下」。破滅的な美に魅入られる山賊の話。満開の桜を見上げたときの圧倒される感じ、リミッターを超えてしまいそうな感覚は、お花見をしたことがある人ならだれでも知っているわけだけれど、それをこういう風に魅力的な忌まわしさと絡めて描くなんて、やられたー、という気持ち。最後山賊は消滅してしまうわけだけれど、そういう後戻りできない禍々しい磁力にやれらて落ちるって、実際自分が吸い取られてしまうような体験なんだろう。

  • 安吾の代表作をほぼ網羅した編纂本。小説もエッセイも初読の作品が並ぶけど、その作品が作家の体をなした徹底的に現実的な社会史観の語り部としての部分特に面白く読めた。
    「続堕落論」の「文学は常に制度の、また、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。」。
    日本文化史観の「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである。(中略)必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこに真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似に恥じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。」。
    市井の善良な体をとる思考停止に対する冷徹な安吾の声。自分はきちんと思考しているか?いま改めて日本人としてしっかと彼の姿勢を受け止めたい。

  • 僕の乏しい読書履歴。
    小学生の頃はふつうにスニーカー文庫とか読んでました。
    (今で言う「ラノベ」とは当時はちょっとニュアンスが違ったと思う)
    でも思春期から20代まで、読書を全然しない人間になってしまって。
    中学生の頃はホームズ全集を読んだだけ。
    高校生の頃は安野光雅の本を図書館で一冊借りただけ。
    『旅の絵本』が好きだったので。

    若い子は知らないと思うけど、昔『知ってるつもり?!』って番組があって、
    僕が高校生の頃、坂口安吾の回がありました。('96年の6月)
    TVの内容は全然覚えてないんだけど
    それがたぶん、めちゃくちゃ面白かったんでしょうね。
    次の週の現国の授業、小論文の課題かなにかに
    安吾のことをびっちりと書いた記憶があります。
    安吾を読んだこともないのに!!!(笑)

    今考えたらまったく意味不明で、
    「当時の俺はいったい何を考えてたんだろう・・・」と不思議になります。
    思春期ってほんと、変なことをやらかしてる。
    頭おかしかったんだろうか・・・。


    この、ちくま日本文学全集の坂口安吾のやつは
    読書をまったくしなくなった僕が、大学生の頃に唯一買った本。
    大学の生協でふら~っと、表紙に惹かれて。ジャケ買いですわな。
    なんかこれ、かわいいんですよ・・・。

    あとは
    『安吾なんて知らないよって あの娘は言った
    自分の事をボクと呼ぶ女の娘が増えている』
    の影響だったんじゃないかなあ。
    『夕暮れ模様の俺の部屋
    ニューヨークの音楽が鳴り響くときもある』
    ですね。

    最近になって、この表紙と装丁が安野光雅さんだと知ってびっくり。
    やっぱり安野さん良いなあ。

    それで、これさっき知ったんですけど
    ちくま文庫の松田哲夫さんってトマソンをやってた人なんですね。
    そりゃ好きになるわ・・・。
    安野光雅→松田哲夫→トマソン→赤瀬川原平→ネオダダ→磯崎新
    ってね。
    赤瀬川原平も磯崎新も、僕のGMTにゆかりがある方なので。

    磯崎建築は使いにくいって話もありますけど(笑)、
    県立図書館、旧県立図書館(現アートプラザ、展覧会したりするとこ)
    それから北九州に居た頃は市立図書館等々
    僕が通ってきた図書館は全部磯崎さんの設計したやつですので
    だいぶお世話にはなってるなあ。

    そんなわけで、ちくま文庫がより大好きになってきました。
    (本文と本の内容は関係ありません)

  • 小説やエッセイを収録した坂口安吾の作品集。

    坂口安吾というと「アウトロー」のイメージが強いが、現実の生活に根差した作品をユーモラスに描いているという印象。
    (戦時下に「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。」と書いていて、当時の体制においては「アウトロー」ではある。)

    装飾ではなく必要からくる実質こそがほんとうの美を生むと説く「日本文化私観」、働かない夫にかわり妻が奔走する居酒屋をめぐる出来事を描いた「金銭無常」が特に面白い。

  • 『新潮』に新発掘の安吾の探偵小説が掲載される、と聞いて読んでみようかと思ったところ、むしろ、今までまともに安吾を読んでこなかったなと思い直してこちらを読んだ。『桜の森の満開の下』くらいしか既読がなかった。
    『白痴』『堕落論』『日本文化私観』あたりの迫力がすごかった。『勉強記』などの自伝的なものも面白い。著作はものすごい量だけどもっと読みたいなと思った。安吾、面白かった。

    ところで『勉強記』の比較的頭の方に「尾籠な話で恐縮だが」で始まる文があり、どうもこの言葉には三島の日記のイメージが強くて、面白くなってしまった。次は三島を読もうかな…。

  •  

  • 引用

    頁五五
    「一体、人々は、『空想』という文字を、『現実』に対立させて考えるのが間違いの元である。私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費やしているものだ。人間自身の存在が『現実』であるならば、現にその人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで『現実』でないことがある。実物を掴まえなければ承知出来ないと言うのか。掴むことが出来ないから空想が空想として、これほども現実的であるというのだ。大体人間というものは、空想と実際との食い違いの中に気息奄々として(拙者などは白熱的に熱狂してーー)暮すところの儚い生物にすぎないものだ。この大いなる矛盾のおかげで、この篦棒な儚さのおかげで、ともかくも豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである、人間というものは。
     単に『形が無い』というだけで、現実と非現実とが区別せられて堪まろうものではないのだ。『感じる』ということ、感じられる世界の実在すること、そして、感じられる世界が私達にとってこれほども強い現実であること、ここに実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない」

    頁三〇〇
    「しかし富子はうちの宿六はたしかに本当に偉いんじゃないかと思うことがあった。それはつまり、守銭奴で大酒飲みで大助平で怠け者で精神的なんてものは何一つないというのはつまり人間が根はそれだけのくせに誰もそれだけだということを知らないだけなんだ、といううちの宿六の説が本当にそういうものかしらと思われる時があるからである」


    頁三七六
    「人間のよろこびは俗なもので、苦楽相半ばするところにあるものだ。置くというものがなくなれば、おのずから善もない。(中略)人間は本来善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っているのだ」

  • 本書に収められている作品の中では、「桜の森の満開の下」が一番好きな話でした。幻想的かつ幽玄的な世界観、雰囲気に惹き込まれます。独特なリズムを持つ文体も魅力的です。

  • 「桜の森の満開の下」「白痴」「風博士」「風と光と二十の私と」「村のひと騒ぎ」

  • 諸君は偉大なる風博士を御存知であろうか? 御存知じない。それは大変残念である。
    そして諸君は禿頭以外の何者でもない彼を御存知であろうか? ない。
    嗚呼、それは大変残念である。
    諸君、彼は禿頭である。しかり、彼は禿頭である。然るに、禿頭なのである!

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著者プロフィール

(さかぐち・あんご)1906~1955
新潟県生まれ。東洋大学印度倫理学科卒。1931年、同人誌「言葉」に発表した「風博士」が牧野信一に絶賛され注目を集める。太平洋戦争中は執筆量が減るが、1946年に戦後の世相をシニカルに分析した評論「堕落論」と創作「白痴」を発表、“無頼派作家”として一躍時代の寵児となる。純文学だけでなく『不連続殺人事件』や『明治開化安吾捕物帖』などのミステリーも執筆。信長を近代合理主義者とする嚆矢となった『信長』、伝奇小説としても秀逸な「桜の森の満開の下」、「夜長姫と耳男」など時代・歴史小説の名作も少なくない。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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