志賀直哉 [ちくま日本文学021]

著者 :
  • 筑摩書房
4.04
  • (20)
  • (17)
  • (10)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 198
レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425218

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 志賀直哉を一言で言うと、健康的な文章を書く健康的な作家だ。
    例えば、芥川龍之介を読む読者と志賀直哉を読む読者を想像してみるといい。
    後年の近代人の心理的葛藤をテーマとした夏目漱石から続く近代日本文学の流れよりも、西鶴などの物語る文章からの流れを感じる。

    網野善彦氏は、80年代を境として、応仁の乱から続くような日本の風景は、失われて行っていると語っていた。
    僕が子供の頃、手付かずの自然が存在した。
    ここには、長屋の人情も含め、そんな素朴な日本の風景が見える。

  • お得な ちくま日本文学 シリーズ 「志賀直哉 」読み手の想像力を かきたてる短編集。主人公の終盤の予想外の行動や言動の理由がわからないので、読み手の想像力で 物語を完結させる面白さ

    「或る朝」子供の頃の感情そのまま保存して再生
    「真鶴」水兵帽=子供心
    「速夫の妹」自分とまわりの子供たちの成長の違い
    「清兵衛と瓢箪」大人と子供の価値観のギャップ
    「小僧の神様」後悔するAとAを感謝する小僧
    「赤西蠣太」伊達騒動のスパイ活動記
    「転生」夫婦のギャップ
    「荒絹」女神の嫉妬と荒絹の執着の怖さ
    「クローディアスの日記」ハムレットの番外編な面白さ
    「范の犯罪」意識と無意識の境界でおきた犯罪
    「好人物の夫婦」女中の妊娠に対する夫婦の心理戦
    「矢島柳堂」野生は飼い慣らせない

  • 文学

  • いや、すごいものですね。
    志賀直哉、こんなに実力者だとは知らなかった。

    いまはどうだか知らないけれども、この人の作品は教科書によく出てくるし、試験にもよく出てきて、そこで読まされる文章は立派なものなんだろうけど、ちっとも面白くなくて、しかも日本文学のメインストリームである私小説の権威的象徴でもあるので、昔からあまり好きにはなれなかったのだが、それは私だけではないと思う。

    しかも当時実際に読んでみて、あまり面白くはなかったんですね。
    高校時代だったかな、ここに出てくるいくつかの作品を読んだ記憶があるけれども、退屈で、なんでそんなに高く評価されているのか良く分からん、といった印象しか残っていない。

    しかし、今回数十年ぶり(!)に読み直してみて、この作者を見直しました。見直したというか、こっちがきちんと読めていなかっただけなんだけども。とはいっても、あの年頃では分かりそうもない作品を載せている教科書の方が悪いと思うのだが。

    この本では、いくつかの傾向ごとに作品が並べられているので、それに沿って感想を述べてみたいと思います。
    左側から制作年、作者の年齢、作品名。

     1908.01 25 或る朝
     1920.09 37 真鶴
     1910.10 27 速夫の妹

    若い頃の新鮮な作品群。
    とくに処女作「或る朝」は、心理描写が抜群。新進作家のあり余る才能を感じさせる。
    「真鶴」も「速夫の妹」も愛すべき小品。
    3作とも主人公は子供か青年で、作者の若々しい経験や感受性がうまく作品の世界に閉じ込められている。けれども、これを書いた人はひどく傲慢な人間に違いないと感じてしまうのはなぜだろうか。こっちがヘンなのかな。

     1913.01 30 清兵衛と瓢箪
     1920.01 37 小僧の神様
     1917.09 34 赤西蠣太
     1924.03 41 転生

    創造性(虚構性)が高い作品群。最初の3作はいずれも有名な傑作で、たしかに面白い。「転生」は肩の力を抜いたふうに見せた落とし話でこれも面白い。
    教科書の志賀直哉の作品がこういったものばかりだったら、喰わず嫌いの人がもう少し減ったのではないかと思うけれども、「清兵衛と瓢箪」は無能教師が子供の才能を殺すという話だから、教える側としてはなかなか取り上げづらいだろうし、「小僧の神様」は、小僧が主人公というよりも、神様の側に回った貴族院議員Aの感覚、社会人としての大人の感覚が分からないとイマイチ面白味が伝わらない話だから、中高校生あたりではどうかな。
    「赤西蠣太」は主人公と小江との悲恋の物語だが、学校教師にそんなことを解説してもらわなくても結構だし、またやろうとしてもできないだろうし、それでも学習指導要領や授業マニュアルに基づいてあえてやったとしても志賀直哉嫌いをますます増やすだけだろうからこれも無理。
    「転生」は、ほら、夫婦間の楽屋落ちみたいなものだから、授業には向きません。
    こういった作品群は、やっぱり家で寝ころがって読むとか、スタバなんかでくつろぎながら読むというのが、一番正しい姿だと思うなあ。

     1917.11 34 荒絹
     1911.09 28 クローディアスの日記
     1913.10 30 范の犯罪
     1910.06 27 剃刀

    これも創造性の高い作品群だけれども、結末がいずれも暗め。暗めというか、あざといというか。
    教科書的には、緊張感が徐々に高まり、最後にグサッっとくる「剃刀」が心理サスペンス風で面白いかもしれないけれども、内容が内容だけに無理だろうな。描写が見事すぎて先端恐怖症の生徒が増えてしまうかもしれない。あるいは事故が起きて学校が訴えられるとか。
    では「荒絹」あたりがいいかな。救いのない話ではあるけど。でも、これぐらいの毒がないと小説としてはつまらない。

     1917.08 34 好人物の夫婦
     1924.01 41 海蛙
     1915.01 32 冬の往来
     1914.11 31 老人

    「好人物の夫婦」はいい話だな~。
    この4作は、どういう括りでここに並べてあるのか分からないけども、いずれも作者の余裕と自信が感じられる作品。

     1916.01 33 矢島柳堂
     1917.05 34 城の崎にて
     1920.04 37 焚火
     1910.04 27 網走まで

    誰もが知っている傑作中の傑作「城の崎にて」と「網走まで」。
    ほんとに傑作かどうかは別として(なにをもって傑作というかということもあるし)、見事な作品であることは間違いない。
    「網走まで」は、作者27歳のとき発表された作。書かれたのは、デビュー作の「或る朝」とか「速夫の妹」とかと同時期らしい。志賀直哉恐るべし。列車に同席した男児の描き方は素晴らしく、素晴らしすぎて、こんな嫌なガキはぶん殴りたいと思わせる。
    作者(主人公)がまだ二十代であることを知っているのと知らないとでは、読後感がちょっと違う。読んだときはそのことを知らなかったが、知ってみると最後の顔を赧らめるシーンがよく分かる。
    ただ、最後の一行の意味が不明。主人公はなぜ2通の手紙の宛先が男と女であることが気になったのだろう。まあいけど。

    「城の崎まで」は作者34歳のときの作品。もっと歳を取ったときの作品かと思った。
    これは高校や中学校の教科書にいまでもたくさん載っているだろう作品で、私もこの中の蜂が死ぬシーンを志賀直哉の教科書作品のくだらないシーン・ナンバーワンとして覚えているぐらいだけれども、今読んでみると、この作品を教科書に取りあげること自体にそもそも無理があるのではないかと思う。

    この作品には、落ち着いて一人になった時誰もが感じるような不安と、ちょっとした厭世観があるけれども、しかしその裏側には過剰な生命感が感じられるので、エネルギーが枯渇した年寄りの回顧話とはたしかに違う。けれども30代の男の虚無感が顔を覗かせている。これを作品として味わうには、もう少し年齢が必要ではないかと思う。

    もちろん中高生でもそれを味読できる者もいるだろうが、それは例外的存在だ。そんな奴が教室にいっぱい居られても困る。たいていの中高生にはこういう作品は鑑賞不可能なはずである。「寂しかった」「静かだった」「蜂が死んでいた」といわれても、ああそうですかと答えるしかない。腹ペコの若い連中の前に、高級で複雑な味わい(いわゆる大人の味)の料理をちょっぴり出して、その玄妙さをわかれといっても無理なのである。それよりはコッテリしたビフテキを与えるべきだろう。
    こういうシブイ作品を学習教材として、ブンガクというものを教えるための材料として使うのはどうなのかなと思う。現に私は教科書で読んでも図書館で読んでもチンプンカンプンで、期末試験の点数もひどかったので、なんて馬鹿げた作家だろうと思ってひどく嫌いになった。

    それでもどうしても取りあげるなら、この作品の中核イメージとなっている3つの場面のうち、一番インパクトが強く、進展上のクライマックスともなっているネズミのシーンを取りあげるべきだろう。この残酷なイメージはきわだっている。そういう肝腎なところは抜かしてしまって、あたりさわりない蜂の死骸のシーンなんかをもってくるものだから、全体がへんにぼやけたものになってくる。あれがあるのとないのでは全体の印象が全然違う。作品に敬意を払うなら、そこまできちんとすべきであろう。

     1946.01 63 灰色の月
     1949.09 66 奇人脱哉
     1951.11 68 自転車
     1956.03 73 白い線
     1963.08 80 盲亀浮木

    戦後の作品群。このころはもう60歳を過ぎ、隠居の状態かな。
    内容も、小説というよりも、一流作家による高級エッセイという感じ。
    読んでいて、少なくとも退屈はしません。

     1927.09 44 沓掛にて
     1933.  50 リズム

    評論的文章。前者は芥川龍之介に関する思い出。夏目漱石に関するコメントなどが出てきて面白い。
    後者は芸術はリズムであるとの主張。
    なかなか興味深かった。

    志賀直哉の作品はいずれも完成度が高く、たしかに日本の代表的な小説家の一人だと思いました。とはいっても、これで志賀直哉を好きになったかというと、全然そんなことはありません。この作家の作品を読むのは、もうこれぐらいでいいかなと。
    あと、代表作の暗夜行路ぐらいは読むかもしれんけれど。

    この人の作品というのは、あらかじめ出来上がった姿を見極めて作られているようなところがあって、その点では職人技的で見事ではありますが、出来たときには閉じてしまって、外に向かって開いているところがなさすぎるように思う。それよりかは、作者自身がどこに向かっているのか見当がつかないでいる破天荒な作品の方が、あるいは目指している方向は分かっているけれども、目標が巨大すぎて破綻しかけているような作品の方が、やっぱり素晴らしいと思う。

    「それでは、巨鯨について書く私はどうか? 思わず知らず、私の書く文字はプラカードの大文字のごとくになる。禿鷹の羽ペンがほしく、ヴェスヴィアスの噴火口をインク壺としたいのだ! 友よ、私の腕を押えてくれ! この巨鯨についての私の思想を書きつづるだけで、腕は私を引きづりまわし、私は息もたえだえになり、腕が伸び進んで、広くあらゆるものを、ーあらゆる科学の分野を渉猟し、過去、現在、そして未来の、あらゆる鯨と人間と巨象との年代記を包含し、地上のあらゆる帝国の盛衰のみかは、全宇宙とその周辺をも描きつくそうとするのに、追いつきかねるのである。広汎で自由な主題の徳とは、かくも絶大である。われわれもその大いさとともに大きくなる。雄大な書を生むには、雄大な主題を選ばなければならない。ノミについては、試みたものは少なくなかったかも知れないが、いまだかって、雄大不朽の書が作られたことを聞かない。」
    (メルヴィル 白鯨 第104章「化石鯨」 岩波文庫:阿部知二訳)

    メルヴィルは狂人ぽいしホモだし世間に認められずに悲惨な末路をたどった作家であるのに対し、志賀直哉は日本きっての文豪であり「小説の神様」であり文化勲章受章者だから、彼が書いた立派な作品をノミについての書というのはあまりにひどい言い方かもしれないが、正直いうとそんなところが確かにあるのではないかと思います。

  • 「志賀直哉は自転車が好きだった」と聞いて親近感を感じて読んでみた1冊。「自転車」という作品も含まれる全集で、とても読みやすく志賀直哉という人のことを見直した1冊になりました。なにしろ文章がとんでもなくうまい。すらすら読める。国語の時間に作品と名前だけを暗記してわかった気になっていた自分は何をしていたんだ。その暗記した人物の作品を読んでこそ、自分の身になるものがあったはずなのに。でも結果として読めてよかった。同じ時期に芥川龍之介や武者小路実篤がいたことも、文章を読めば出てくるのだから自然と頭に入るもんだな、とも思いました。

  • 「或る朝」
    祖父の三回忌の朝、なかなか起きられない信太郎と、何度も起こしにくる祖母。何ということもないやり取り。けれど信太郎はふいに涙を流します。両親のいない寂しさを抱えて生きる少年の姿は、生意気ながら健気さが感じられ、爽やかな気持ちになれます。

    「真鶴」
    お兄ちゃんは、恋に目覚めてしまったようです。ただ後をついていくとだけいうひたむきな愛情表現はあまりに不毛ですが、それだけに彼の狂おしい気持ちがよく表れています。

    「速夫の妹」
    懐かしい、あのときの淡いときめき。もう大人になってしまった彼女の、まだ幼かった頃の遠い思い出。

    「清兵衛と瓢箪」
    子どもというのは、大人の目にはよほど下らないことに夢中になっているように見えるのでしょう。周囲の大人が寄ってたかって清兵衛の努力を台無しにしようとする様子は、悲しい心当たりありまくりです。才能はこうして埋もれていくのかもしれない…

    「小僧の神様」
    随分前に読んだものを今回再読。以前は最後の仙吉が気の毒になったから〜の部分がよく分からなかったのですが、今回読んで、仙吉のあまりにピュアな信じる心が可哀想になったんだろうと思いました。
    というか最後、途中で話しの路線変更して話を切り上げるという他に聞いたことのない唐突すぎる終わり方なのに、なんか志賀だと許してしまいます。伏線ばっちりで、お話らしさ全開のところに作者コメントで締めるから、裏をかかれた驚きみたいなものがあるんでしょうか。さすが神様…

    「范の犯罪」
    旅芸人が芸の途中ナイフで妻の首を切って殺してしまった。犯罪の焦点は、それが過失か故意かということ。裁判官が范にその真相を尋ねると、なんと本人までもが、「分からない」と言い出した。考えたら裁判官は静かに無罪の判決を下す…。
    リドルストーリーともとれる、奇妙な人間心理の一例。

    「剃刀」
    読んでて一番驚きました。初めから嫌な予感はしていましたが、体調不良と苛立ちがまさかここまで芳三郎を追い詰めていたなんて。これまで必死に積み上げてきたものが崩れるのを感じたとき、全て壊れてしまえと望むようなものなのでしょうか。

    「城の崎にて」
    そもそもどうして山手線に轢かれてしまったのかがとても気になるところだが、それはともかく。
    怪我の療養のために城崎温泉にやってきた自分が、虫や鼠の生死と自分をひき比べ、死について考える。文体はいつにも増して静かで簡潔。この作品だけで読むと、虫の死体を眺めるとこなんかちょっと陳腐なセンチメンタルに思えてしまいそうだが、志賀が犬やら猿やら飼ってる生き物好きであることをふまえれば、気にならないと思う。
    どうでもいいことだが、イモリとヤモリとトカゲの区別が完璧についてて驚いた。

    「網走まで」「灰色の月」
    網走まで夫に会いにいくらしい子連れ女性の苦労に苦労を重ねた様子。あるいは、終戦直後の汽車の中、疲れ切った少年工のあまりに捨て鉢な言動。旅先で袖すりあった人たちの生活の、なんと痛々しいことか。

    「奇人脱哉」「自転車」「盲亀浮木」
    志賀直哉の随筆、読んでてとても楽しいです。いつも率直で、すんなりしていていい。「盲亀浮木」で60歳くらいのとき、迷子の犬を追いかけて電車を飛び降りて本気のダッシュした志賀は、流石。でも犬にクマと名付けるのは結構勘違いを生むのでは…?

  • 『城の崎にて』を読み、志賀直哉さんが面白そうと思い、本書を手に取りました。
    短めの小説やエッセイがたくさん集まった1冊で、通勤やお昼休みなどちょっとした空き時間に楽しく読めます。
    1つ1つのお話にとても引き込まれ、お話の終わりには「もう終わりかぁ」と寂しくなったり、「このあとどうなったんだろう」とその先が気になったりして。よき1冊でした。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784480425218

  • 2016年3月新着

  • 「好人物の夫婦」がいいと思いました。
    ラストの表現の仕方が特に好きです。
    この話の後に「雨蛙」をもってくるのがなかなかやるなあと思っちゃいました。

全23件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

志賀 直哉(しが なおや)
1883年2月20日 - 1971年10月21日
宮城県石巻生まれ、東京府育ち。白樺派を代表する小説家。「小説の神様」と称されて、多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。

志賀直哉の作品

志賀直哉 [ちくま日本文学021]に関連する談話室の質問

志賀直哉 [ちくま日本文学021]を本棚に登録しているひと

ツイートする