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かつて高校の教科書で「妄想系丸善レモンテロリスト」として私に強烈な印象を与えた梶井基次郎。
改めて、青空文庫で読めるものを一通り読んでみると、小説というよりもほぼエッセイだということに気が付いた。併せて、この人いろんな意味で病んでると気付く。表現は詩的だけど、なんとなく美しさに欠ける。ただ美しいだけのものはそんなに好きではなかったのだろうか…というのが文章からも垣間見える感じがする。
※★の作品は青空文庫での公開がないもの
>>> 目次 <<<
☆檸檬
言わずと知れた名作。今改めて読むと、何となくしっくりこない表現がちらほら。私が出会った丸善は名古屋栄・センパ・御茶ノ水とどこも普通の本屋然とした店舗だったので(今はもう全部そうかも)この当時みたいに、香水瓶とか並んでる感じが見てみたいなぁと思った。ただ、彼が描いたレモンの比類ない美しさは共感するところがある。しかし本屋で本を積んだり崩したりしてレモン据え付けてる人に出会ったら怖い。
★鼠
★栗鼠は籠にはいっている
☆器楽的幻覚
音楽会で感じる孤独。そして妄想。
演奏者の指(に限らず技術)が凄すぎて、なんだか現実の音と乖離しているように感じることは、私もときどきあるのでその点において共感した。あとはこの人の妄想がひどすぎて、最後の紳士が本当に倒れたのか妄想どうかすら判別しかねる。。。
☆愛撫
このお話は、途中の妄想はともかくとして猫愛があふれていてほほえましい作品。末筆もほほえましい。
「爪のない猫!こんな、便たよりない、哀れな心持のものがあろうか!」のテンションにちょっと笑ってしまった。
最近、家が傷つくのを嫌がる猫飼いさんは爪全部抜いちゃうよね。あれで猫が自信をなくしてないとは、言い切れないなぁ。。。
☆桜の樹の下には
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」がなぜかあまりにも有名になってしまった本作。
うーん、歪んでるなぁ。幻想的な美しさを湛えている満開の桜を前にして“桜があんなきれいなのは下に死体があるからなんだよ”って言われれば、納得しかけるけども。。。
☆闇の絵巻
山間部で療養していた旅館の周辺の暗闇を丁寧に観察したエッセイ。田舎の暗闇って、ほんと暗闇だからねぇ。。。「今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられない」という気持ち、田舎出身者としては少し分かる気がする。
☆交尾
何だ、幸せな感じのお話も書けるんじゃん!と思った一作。猫飼ってないから猫の動きあんまわからんけど、この人猫好きだな。タイトルから感じる厭らしさは全然ないので、読んでみてほしい作品。ちょっと印象変わると思う。
☆Kの昇天
副題(?)は「――或はKの溺死」。
夏目漱石の「こころ」で亡くなったのもKでしたが、こちらのKは何となく架空の筆者(梶井基次郎の「ドッペルゲンゲル」)という印象も強く残る。タイトルで溺死ではなく昇天を前に打ち出している通り、Kという人物の死に関する考察の手紙ながら、不幸な印象がない不思議な作品。
☆ある崖上の感情
他の短編が極めて短いので、これは梶井作品の中ではちょっと長め?そして、エッセイ風ではなく物語っぽくなっている。
人様の家の窓を除く悪趣味な話、その窓から眺める人々の暮らし、生と死に心が動くお話。
★母親
★断片
☆奎吉(けいきち)
これ、旧字体だったから辛かったー><
自分の環境や借金体験を基に生み出したのがありありと透けて見える短編。なんと、弟に金を貸してくれと言うだけ(の心の移ろいなど)の話である。言うだけ。借りるところまで至らないのである。うむー。
こうして思いの丈を綴ることで、何か発散になったんだろうか。。。
★大蒜
★夕凪橋の狸
☆城のある町にて
この作品は田舎のとても美しい自然・情景と人々の温かみに溢れた作品で、すごくステキだった。主人公の名前こそ峻となっているけれど、自分自身の三度の三重県生活を下地としていて、三重では穏やかな心で過ごせていたんだなというのがありありと伝わってくる。今のところ、この中で一番好きな作品。
☆泥濘
☆路上
☆橡の花
☆過古
幼少期を過ごした街を、青年になって再び訪れる話。引っ越して同様の体験をしたことのある人なら、大いに共感できると思う。超短い。
☆雪後
☆ある心の風景
☆冬の日
☆温泉
★抄
☆蒼穹
空は虚無であり、白日の闇であると。。。青い空を見て闇だと思うとは、不幸な思想な気もする。。。「闇の絵巻」にも出てきた話が出てくる。
☆筧の話
結論が「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」。この人は病弱だったせいか、ネガティブ思考が強すぎる。
☆冬の蠅
☆のんきな患者
☆手紙より