私小説: From left to right (ちくま文庫 み 24-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425850

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの大学院でモラトリアム生活を過ごす妹の「美苗」と、同じくアメリカで売れない彫刻家として過ごす姉の、ある日の電話の様子を軸に、彼女たちのアメリカと日本に対する思い、そしてアメリカで育った日本人としてのアイデンティティを辿る物語。

    小説でありながら横書き、さらにはアメリカ育ちの姉妹の会話ということで、会話にしばしば英語(和訳はなく、本当に英語で書いてある)が登場する。私は非ネイティブながら英語は問題なく読み書きできるので、恐らく作者の意図や想像と同じスピード・受容度で読み進めたが、実際のところ、多くの読者にとってはどうだったのだろうか。
    それはともかく、「第二の故郷」と呼ぶには馴染み切れず、そのくせあまりにも現実生活が伴う「アメリカ」への想いや、同様に日本や日本にいる母親への愛とも疎外感とも憎しみとも呼びきれない複雑な感情は、読んでいるこちらまでもが、自分の足元が覚束なくなるような気分になった。

    作中で登場人物に指摘されているように、彼女は、英語で日本人としてのアイデンティティを問う小説を書けば良かったのでは、と思う。それでも、日本語での小説に拘ることが、彼女としてのアイデンティティだったのか。
    ちなみにMako YoshikawaのOne Hundred and One Waysなんて、まさに美苗(作者の水村美苗がどうだったかはおいておいて、この作品中の登場人物としての美苗)が書きたかったであろう小説だったんじゃないかな?

  • あのころはサラリーマンにとって海外転勤族というと華やかな、なにがなしうらやましい状況だった、家族にとっても。

     でもたいがいは3、4年で帰国して学齢の子どもがいれば、せっかくかじったとて英語やドイツ、フランス語の補習にやっていたほど。その言葉がその後どうなったかは知らない。

     『私小説』の主人公すなわち作家水村さんの親は帰る気が無く、わざわざ現地採用にしてもらい両親と姉妹ともども20年もアメリカに滞在してしまった。

     それなのに本人は英語に慣れなくて、読む本は日本の、それも近代文学ばかり。言葉ばかりではない、30超えてまだ大学院生。去就も行く末も定まらず、悩み愁いに染まって降る雪を見ているところからこの私小説は始まる。

     『続明暗』で水村氏の文章は堪能しているから、いえその先の成功を知っているから、安心して読んだのだけれど、人間はしょせん孤独であるとまざまざと感じさせる小説だ。

     12歳でアメリカに連れられてきた女性が、アメリカに暮らしをしながらも溶け込めず、日本を恋し、その日本も近代文学の中の、もうどこにもない日本を懐かしみ慈しみ、小説家になっていこうとする。

     大学、大学院と進むうちに自由の国、やる気があればどこまでもやらせてくれる、認めてくれる。しかし、気が違うほど努力しないといけない。

     勉強している自由、結婚しない自由。自由でも厳しい、寂しい世界であるアメリカ。

     そして、もう一つ家族のしがらみがある。いやなくなってしまった。外国で暮らしているがゆえに頼りにすべき家族、なのに家族崩壊。

     20年経った今、英語が好きでバリバリ働いていた父親は病気になって再起不能、その夫を施設に入れてしまった母親は年下の男性とアメリカを離れ、思い出のロングアイランドの家は売りに出されてしまった。

     大人なんだから自立は当然、でも帰る家があると無いでは大違い。孤独地獄に落ちたようだ。姉妹は離れて暮らしているので、電話で長話をする様子が胸に迫るよう。

     当時として、この家族は一歩前を行っていたのかもしれない、現代の日本の家族はこんな風な、近いものがあるような。

     ところどころにある文学談義、樋口一葉や芥川龍之介の文章が挿入されていて、ヨコガキ文章ではあるけれども読書好きを唸らせる。

     英文まじりのところも飛ばしてもわかるし、文法は難しくないから、知らない単語は辞書を引いてなんとか読んでいるうちに、慣れてくるからおもしろい。

     今じゃ珍しくないヨコガキの英文まじりの文章。ブログで慣れてから読んだので、違和感が無いのに気が付いた。(ああ、そんな時代になってしまったのか!)

  • 帯に、こんな文言が書かれていました。<blockquote>『日本語が亡びるとき』は
    この小説を読んで
    はじめてほんとうに理解できる</blockquote>正直、この帯はどうかと思いました。
    しかし、読み進めていくうち、なるほどなー、と思うようになりました。

    出版の順序から言えば、本書を読んだ後に「日本語が亡びるとき」を読むべきだったのかもしれません。
    しかし、ぼくは逆の順で読めて良かったなと思います。
    読んでいくうちに、かちんかちんと歯車が噛み合っていくかのような感覚を覚えました。
    ああなるほど、ああそういうことだったのか、みたいな。

    まあ、そういう部分はおまけに過ぎません。
    本書は、もっと単純に読むべきなのでしょう。
    素晴らしく鈍重な展開、どこにも辿り着かない物語。
    ぐるぐると彷徨い、すぐに逸脱する、いや、そもそも明確な筋道そのものが存在しない、蛇行する道程。
    それにも関わらず、ぶれることなく一貫して存在し続けている主題。
    これぞ純文学、と呼べる作品だと思います。
    年のために書いておきますが、褒めてますからね。

    異国の中で生活しているからこそ、見えて来るもの。
    その、どうしようもない実感というものが、強烈な存在感をもって立ち現れてきます。
    焦燥感や孤独感、そして倦怠感。それらが、本書の行間にはぎっしりと詰め込まれているように感じます。
    ああ、「読書」ってこういうものだったな、と思い出させてくれる作品だと思います。
    左から右に、横書きで綴られていく文章。
    なんの脈絡もなく、突然差し込まれる数々の英文。
    決して読みやすい作品ではないはずなのに、いつの間にかページはどんどんと捲られていく、その不思議な感覚。
    ただ、すごいなと思います。

    読んでいて、何かが内側に貯まっていくのが感じられました。
    その「何か」は、例えば「情感」や「情緒」と言った言葉で表されるような「何か」だと思います。
    読書によってしか蓄積されない、そういう種類の経験というものがある。
    久しぶりにそう思えた作品でした。

  • First i’m so interested in the way of mix language sentens ,but I’m boring cuz it’s so long.
    I go on reading ,whatever i feel its boring.
    Comeing to about 2/3 of the novel, i feel interesting its again.
    The sisters chit chat was finished , minae start to discribe herself and her big sister.

    It’s barely thing that i wanted to be more hot and wild and sexy women after reading novel.
    But now i am inspired by the depict of nanae and hot girls and ugly girls.

    First i think this is a one of these categories korean japaseze,taiwanese japanese,chinese japanese .
    Look like 李良枝、在日、朝鮮学校。
    朝鮮と日本の間のいろいろな問題を描いた小説をいくつか読んできた、水村のこれを読んだ後、朝鮮と日本はお互いに東洋の似た容姿であって、容姿の違いによる白人黒人東洋人のような露骨な違いではなかったのかなと思った、近隣の国であり植民地や、慰安婦問題や、引き上げ、出稼ぎ、などなどの外見的露骨な違いでは分からない複雑さがあるが。
    水村のこれは日本と白人、東洋人と白人との外見の差がクッキリとしている、その周辺にはさらに黒人、jewish、そこではアジア人と一括りにされてしまうchinese,korean。
    1995年にこの本が出版された。
    水村美苗は1951年生まれ、1960-1980年代の中高大学大学院時代を描いている。

    2023年末から英語を日課にし、ルー大柴のように一部の単語が英語になった文を読むのが楽しかったし、私も日々こうやって単語から入れ替えていこうかな、そうしてよく使う言い回しも入れ替えていこうかなと思った。

    父親の赴任で、ついて行った子供は美苗たちのように現地の子が行く学校に行くのか?
    外国から移り住んだ子たちが入る学校に行かないのか? 
    留学やホームステイ、観光、仕事という役割を持って行く、というのでもなく現地に投げ込まれたら、それも一番外見に露骨な反応がある学校、言葉がわからないとどうしようもない学校。

    主旨とは違うだろうが、私は女の色つき方にいまだにどうしても目が行く。
    髪の色を抜いてブロンドにしようとして、夏はsuncreamを塗って外で肌を焼き、目を描き、紅を塗り、マニキュアを塗り、髪を梳き巻き、Virginia Slimを吸う、アメリカナイズされているが白人ではなく、日本人のようでもなくどこの国の人かわからないようだったという。
    私は、social mediaでmakeupされたimageをみるよりも、read the expression with words look like this novel の方がeffect to my mind deeply。 Amy Yamadaのように。
    makeupの説明文や、YouTubeの女の説明はあまり興味深いwordsではない。

    私は、intimate familyやcollegueに色つくのを見られたくない、色つくことは男を求めることであるから、そういう気持ちを見られるのが恥ずかしいと思ったのか、奈苗のようにobviouslyにはできなかった。
    男と女友達に会う時にだけ、makeupとfavor outfit。
    それ以外は、足りない眉を描き、スキンケアをし、日差し強い季節はapply日焼け止め。
    日々makeupし、hairsetしている職場の女は、hung out の時はmore gorgeousになるんだろうか。day after day そのマメさがすごいと思う。
    毎日の自炊もmakeupも、I can't。
    変な考えがあって、身なりに無頓着な男の魅力を女にも適用しようとしているのだけど、無頓着な女はただのボサボサ女なの。
    そして毎日オイルつけてコテで髪を巻き、下地とファンデを塗り、かっちりしてくる女にはwildさがない、色褪せの魅力がない、風に靡くような美がない、私のfavorな美じゃない、と思ってしまう。 
    日焼けしたような酔ってほてったような見えたその赤みも実はcheek make upで、日傘をさないwildな女も実はちゃんと日焼け止め塗っていてマメなの、smoky cateye makeupを丁寧にしてるの。
    女の本当の無頓着はダメなの。
    でもやっぱりきちんとしすぎてる、マメ女もmy favorではない。

    私は自分の求める像になるように自分を手入れしきれていない。
    lose weight、cateye line、outfit、もっと極めてinstagramでいいねをつけるようなforeign girlのようになれたら、いいことあるかもしれない、一度憧れの姿になってみよっ!

  • ほぼ事実と思われるが、その物語に引き込まれた。
    日本からアメリカに渡った姉妹の今後の生活における葛藤や後悔、家族という呪縛、どれも私には馴染みのないものだけれど、なぜか自分のことの様に息をつめて読んだ。
    サラリと書かれているが、時に文学的な美しい文章に出会いその巧みさにハッとする。
    流れるような描写に時を忘れて読んだ。

  • 書いているまさに「今」の時点から過去を回想する。その筆は時間をゆっくりと時系列順にたどり「今」にたどり着く。そしてその「今」まさに書き手は『私小説 from left to right』を書いている……と「私小説」のセオリーをそのまま地で行く実に生真面目な作品。読み進めていてあまりにもダラダラ会話が続くのが苦痛に感じられた。これは実に「女性たち」の話なのだなと思う。日本のみならずアメリカも封建的な規範に縛られていた頃、その様子をマイノリティである日本人女性の目から暴いている。その観察眼は流石だが、やや退屈

  • 素晴らしい一冊。最後の姉妹のシーンは、私も似たような経験があったので、ジーンと来た。

  • メタ小説的な小説を書かせたらこの人の右に出る人はいないんじゃないかと、本作を読んで改めて感じた。突き詰めればたった24時間の、アメリカからのエグゾダスを巡る姉妹の葛藤の物語。
    近代日本文学、日本語、そして日本への愛憎入り混じった感覚は、当たり前のように日本に住む人間からはなかなか生まれてこないものかもしれない。

  • 2000.01.01

  • 水村さんがアメリカで育った時代の細かい日常の物語を今まで読んだことがなかったので面白かった。幼少期の友人のLindaの話が衝撃的だった。奈苗さんの現在が気になる。

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著者プロフィール

水村美苗(みずむら・みなえ)
東京生まれ。12歳で渡米。イェール大学卒、仏文専攻。同大学院修了後、帰国。のち、プリンストン大学などで日本近代文学を教える。1990年『續明暗』を刊行し芸術選奨新人賞、95年に『私小説from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞、08年『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で小林秀雄賞、12年『母の遺産―新聞小説』で大佛次郎賞を受賞。

「2022年 『日本語で書くということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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