向田邦子との二十年 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425881

作品紹介・あらすじ

「あの人は、あり過ぎるくらいあった始末におえない胸の中のものを、誰にだって、一つだって口にしたことのない人だった。では、どのように始末したのだろう、小説ではなかったか?小説の中には悔しい向田さんがいる。泣いているあの人がいる」。二十年以上つかず離れずの間柄であればこそ、見えてくることがある。凛としているが、親分肌でそそっかしい向田邦子の素顔。

感想・レビュー・書評

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  • 脚本家・作家である向田邦子のテレビドラマの演出家として長年タッグを組んだ久世光彦が語る彼女との思い出の数々。

    あくまで仕事をメインとしたパートナーであるが故に、友人というわけでもないし、男女の関係にあったわけでもない。
    そのような特殊な関係性であったからこそ語れる思い出の数々からは、向田邦子という存在を失った切実な哀しさに満ち溢れている。

    自身も作家として活躍した著者の文体はシンプルかつ美しいものであり、本書の素晴らしさに未読であった小説にも手を伸ばしてみるきっかけとなった。

  • 感傷的でも過度に情緒的でもない文章なのだが、なんだか居心地がよくてずっと読んでいたい気持ちになる。
    久世さんが描く向田邦子さんの在りし日の姿は、なんと豊かな女性なのだろう。
    いなくなられて十数年もたってみると、姉のように思われてくるのはどうしてだろうー 初めは仕事上の関係と綴る文章が、ここで本音に近づいた気がする。
    映画監督・市川崑作「おとうと」や中原中也が引合いに出されていてわかりやすいが、弟気質の男性・あるいは全ての男性は、自分をそのままでいさせてくれて許してくれる姉的肯定の存在を求めていると。姉は美しくなければならないし賢くあってほしい。優しくもあってほしいし、つよくもなければならない、と。
    ずいぶん勝手なはなしとゆるやかに綴るが、長女気質で働く女性の代名詞だったみたいな邦子さんに、多くの読者はその勝手な面影を押しつけてきたのかもしれない。
    作家の在りし日の姿を、理想像を知りたいと思って読むと裏切られるが、向田邦子さんという三姉妹の長女の貌(かお)、日々豊かに軽やかに生きていたひとりの女の貌を知る素敵な一冊だった。

  •  寝る前にちまちま読み進めていたので、読み終えるのに随分と時間がかかった。
     読み終える次から内容を忘れていったので、詳しいことはさっぱり覚えていない。ただ、味わい深い本だったという印象は残っている。

     向田邦子のエッセイ・小説をいくつか読んでいるが、特に面識があるはずもないから、本人の性格を直接知っているわけではない。それにもかかわらず、この本の中で久世が解き明かす向田邦子の寂しい・悲しい一面などは、いづれも納得してしまうものだった。なんとなく彼女の著作から感じ取ってはいたものの、はっきりと著されることによって確かな印象となった。
     薄々感じていた彼女の一面がある一方で、新たに知った一面もあった。遅刻癖と、遅刻の度に費やされる決まりきった言い訳である。「出がけに電話があって、というのか、猫が逃げてしまって、というのか、他にもう少し知恵がないのかと思うくらい、この二つの言い訳で一生を賄った人」。この表現はなんとも秀逸で可笑しい。「遅刻」の話は、久世の嘆きっぷりや向田邦子の快活な態度が率直に著されていて、とても面白かった。

     それと、山川登美子の歌もよかった。今度本を探して読んでみよう。
     

  • これは向田さんへの恋文である。

    亡くなられてから何年も経ってからも、これだけの恋文を書けるだけの両人の関係の濃さを感じると同時に、向田邦子ファンとしては妬ましくもある。

    恋敵の恋文を読み続ける事に嫌気を感じながらも、同時にこれだけの思いを持っている著者の気持ちに向田邦子氏が気付いていない訳がないだろうにとも思ってみたり……

  • 日本語が美しい、、。素晴らしい友情。
    彼女のドラマを観てみたくなる。


  • 脚本家 向田邦子と演出家 久世光彦の二十年にわたる交流を抑制の効いた筆致で、エピソードをつまびらかにしていく。「万年筆を何本もぶんどられた」といった軽妙なエピソードもあるが、多くのエピソードは枯葉色に変色し、そのひとつひとつを目を細め、愛しむようにして書かれたであろう随想記。一冊まるごと向田邦子へのオマージュであり、亡き恋人にあてた恋文の様でもある。向田邦子について語り、書かれた文章も多く存在するが、はたしてここまで描き切れる人はいるだろうか。深く愛した男はいただろうか。著者の心情が読む者の琴線に強く触れる好著。

  • 購入
    久世さんが向田さんのことをあの人と呼んでいるのがなんか艶っぽい。生前はプラトニックな付き合いだったけど、死後の思いには、それ以上の気持ちがあるように思えときめいた。
    久世さんの文章が好きだと思った。

  • 向田邦子という女性は私の中では特別な女の人で、
    意識しているわけではないけれど、”向田邦子”という言葉へのアンテナは、いつもバリ3で立っている。
    ブックオフの100円コーナーに並んでいたこの本も、
    そのアンテナにひっかかって、私の手元にやってきた。

    自分が憧れている人の本を読みたいときというのは、
    少し自分の中に元気がないときのような気がする。
    前に進む力が欲しくて、どっちに進んだら良いかを教えてほしくて、その人に「頼って」しまうのだ。
    生きている人と違って、ただ「頼る」ことはできない。
    そこはやはり「本」であるから、自分でそうか…と思う答えを見つけなくてはいけないのだけれど。

    そうして見つける答えは、いつも同じだったりする。
    自分が今まで考えたり、感じたり、これが自分にとって生きていくという事なのだと思っていた事を再確認することだったりする。
    あたしはただ単に怠け者で、ハートの筋肉が鍛えられていなくて、できていないだけなのだと。
    本を読むことは自分の心に電話をかけることだから、
    それでもいいのかな。
    なんかもひとつ得たいような気もするな。
    あたしはもっと柔らかくなりたいよ。

    本を閉じたとき、ふと付録の向田邦子の年譜をみたら、
    その日はちょうど、向田さんが乗った飛行機が墜ちた日だった。
    今からちょうど33年前のその日、向田さんは死んだのだ。
    不思議だった。
    85歳の向田さんを想像してみたけど、できなかった。

  • 名前の匂い
    人の名前には匂いがあると思う。
    温度のようなものもあるような気がする。
    もっとも、それは単に名前の文字からだけ来るものではなく、名前には必ず顔がついているからそう思うのかもしれない。
    私の知っている〈秋子〉という名の人は、どの人もつつましく涼しげだし、〈朱美〉には華やかでいろっぽい人が多い。
    それはよく言われることだが、自分の名前と長年連れ添って暮らしているうちに、人の方から名前に近づいて行くからなのかもしれない。
    人とその名前は、どこへ行くにもいっしょである。
    いっしょに思いあぐね、いっしょに頬を染め、いっしょに怒ったりするうちに、名前に匂いが移り、体温も伝わって行くのだろう。
    女の名前は特にそうである。

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著者プロフィール

1935年東京生まれ。演出家、小説家、随筆家。おもな演出作品に『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』、小説に『一九三四年冬─乱歩』、エッセイに『触れもせで─向田邦子との20年』など。2006年没。

「2021年 『「女」のはなし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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