ライフワークの思想 (ちくま文庫 と 1-4)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480426239

感想・レビュー・書評

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  •  ちょうど一年前に読んだのですが、忙しい時期だったようで、何もコメントしていませんでした。

     改めて読み直してみました。

     p.21 日本の文化は、若年文化だという。若いときには華々しくても、少し歳をとるとダメになってしまうという意味らしい。たしかに、意気込みのようなものが減少してしまうのかも知れない。

     定年を人生の折り返し地点と考える場合もある。老後が長くなったという意味では、それもありなのかも知れないが、どうしても(職業としての)仕事が中心の発想であり、仕事がなくなったので、さて、何をやるかでは遅すぎるのは明らかだ。

     お金や時間があっても、体が動かないでは意味がない。

     また、p.14 カクテルと地酒の比喩も面白い。それは、既存の酒を混ぜているだけでは酒を造ったことにはならない。そして、本物の酒を造るには、時間が必要だし、ねかすことも大切である。多忙な仕事時間は、ある意味、このねかす期間にあたり、酒造りのことを忘れているのは、むしろいいことだそうだ。

     どうしても研究者としての発想ではあるが、なるほどと思った。問題は、私の場合、ねかす前の仕込みというか、種がまだ見つかっていないことだろうか。

     全体は4つの大きな章立てになっており、第一章がライフワークにも触れている「フィナーレの思想」、第二章が「知的生活考」、第三章が、ややパブリック・スクールの話が長いが「島国考」、そして第四章が「教育と言葉」。

     面白く読み進めることができるし、発想もユニークだが、読後、やや散漫な印象は残る。でも、あとがきによれば、30年も前に出したものだそうなので、30年後も価値がある思想というのは、ある意味立派な「ライフワーク」であったと言えるのではないだろうか。

  • ”みなとみらいのブックファーストで店頭にならんでいたのをみて購入
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    T:
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    ★どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での“ライフワーク”である。(p.12)
    ・カクテルと地酒の比喩(p.14)
     酒でないものから酒をつくった時、初めて酒をつくったといえる。ただし、その過程で失敗すれば、甘酒になってしまうかもしれない。酢ができてしまうこともあるだろう。必ず酒になる保証はないが、もし、うまく発酵してかりにドブロクでもいい、地酒ができれば、それが本当の意味で人を酔わせる酒をつくったことになる。(中略)
    ★われわれは、地酒をつくることを忘れて、カクテル式勉強に熱中し、カクテル文化に身をやつして、齢をとってきた。(中略)もちろん、すばらしいカクテルをつくってくれる人も必要だが、それで、酒をつくったように錯覚してはならないのである。
    ・根のあるものは一時、葉の散ることもあろうし、枝の折れることがあるかもしれない。けれども、めぐり来て春になれば、再び芽ぶき、花をつけ、そして実をつける。(p.23)
    ・そろそろこの辺で、できてもできなくても、酒をつくってみるべきだ。(p.26)
    ★人生の酒に必要なのは経験である。この経験を本などを読んで代用したのでは、カクテルになってしまう。やはり、その人が毎日生きて積んだ経験と言うものを土台にしなければならない。そして、それに加えるに、経験を超越した形而上の考え方、つまり、アイデア、思いつきをもってする。経験と思いつきとを一緒にし、これに時間を加える。この時間なしには酒はできない。時間は酒を“ねかせる”ため、経験とアイデアをねかせて作用させるのだ。頭のなかにねかせておいてもよいが、この二つのことを何かに書きとめておくのが便利である。そして、時々これを取り出して、のぞいてみる。のぞいてみて、何も匂ってこなければ、まだ発酵していない。何となく胸をつかれる思いをしたり、何か新しい思いつきに向かって頭が動き出す。(p.27)
    ★たしかに前へ走ることは進歩だ。だが、折り返し点ではそれまでの価値観をひっくり返して、反対側に走ることがすなわち前へ進むことになる。(中略)人生のマラソンにおいては、折り返し点を過ぎたら、今までとは逆の方向に走るということが、プラスなのだという発想の転換に達するのは生やさしいことではない。
     エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になってくるのは、彼らが一筋の道を折り返しなしに走っているからだろう。(p.30)
    ・小出しに与えられた断片的知識を、小刻みに習得する。学習の方法はどうしても分析的にならざるを得ない。(中略)しかし、いったん習得した知識はバラバラなものではなくて、まとまりのあるものにしたい。この二つの立場を調和させるにはどうしたらよいのか。それに成功したとき、「知識は力なり」(ベーコン)と言うことのできる知識になる。(p.50-51)
    ・目のまわるような忙しい生活の中で、何かのはずみに見出されるしばしの間の仕事からの解放、それがヒマである。(p.74)
    ・入って来るインプレッションの方が出て行くエクスプレッションよりも圧倒的に多い。この両者のバランスをとる役割を果たすのが忘却である。隠れた表現行為であり創造活動であるということにもなる。
     #忘却は「創造活動」である!?
    ・三科・四学(文法・修辞学・論理学・数学・音楽・幾何・天文)のいわゆる自由七科 (p.93)
     #イギリスのパブリック・スクールに関して。
    ・泥縄式=muddling through
    ★感情は理性に比べて慣性に支配されやすい。(p.127)
     理性はしばしばその慣性から脱出する力を示す。同じ感情にしても、その内面の豊かなものはより強力な慣性を生ずる。しかし、慣性が必要とする十分な精神的エネルギーを伴わなくなると、惰性が起り、保守の弊害が表面化する。その惰性を克服する方法がすくなくとも二つあるように思われる。
     一つは、慣性の力を理性で意識的に削減するのである。(中略)
     もう一つは、惰性をそれからすこし離れた立場から見る態度である。慣性の勢いをちょっとかわしておいて、別の価値から批判する方法である。この方法から生まれるのが風刺やヒューマーである。(p.127:コンサバティヴ)
    ・どうもわれわれには交換という考えが乏しいように思われる。(中略)
     精神文化の交易となると、事情はまさに逆で、一方的輸入である。何でもかんでも外国のものを借りる。(中略)入れたらお返しに何かを出そうという考えがない。(p.154-155:島国考)
    ・陸つづきの外国をもっていない地理条件は、国民の純粋、潔癖、孤立などの特性を助長するが、何よりの特色は外国、ならびに外国人に対する過敏さであろう。(p.157)
    ★役に立つ教育といったケチな目標でなされることが、子供の魂に火をつけるわけがない。(p.176)
    ・ただ、男性的性格を忘れてしまうと教育は骨格を見失いかねない。目先きの細かいことをやかましく言っても、長い目で人間の教育は何をなすべきかというようなことが欠落しては泰山鳴動してねずみ一匹出ないかもしれない。教育熱が高まって教育はいよいよ荒れ乱れるというおそれもある。(p.178)
    ・ある人間をダメにしようと思ったら、やんわり、繰り返して、「あなたはダメになります」と言っていればいい。本当にダメになってしまう。ご亭主にそういうことを口ぐせのように言っている奥さんもすくなくない。結果は奥さんの予言のとおりになってくれる。(p.224)
     #ひょえ?、こわっ!!
    ・生活の条件がないときに若さを保つにはどうしたらいいか。いちばん簡単なのは、新しいことばを毎日すこしずつ覚えることだろう。(p.231)”

  • 自己啓発
    思索

  • 図書館

  • 1982年に出版された文庫を、再び発行した外山さんの本。当時の社会情勢についてふれながら説明している文書もあるので、今読むと「あれ?」という感じのところもないわけではない。とはいえ、示唆に富んだエッセイであることに代わりはない。

  • 2009年7月が初版

    ということなのだが、新装版に近い。もとは1978年に出版された「中年閑居して・・・」という本らしい。

    はじめ全くそれを意識してなかったので為替の話がでてきて驚いた。かなり時代がずれているのだが、でも現代にも通じるところは結構ある。

    30年以上時代は過ぎてもそこに暮らす人々の意識というのはあまり変わっていないのかも知れない。

    さて、内容は「ライフワーク」についてとその他エッセイ。

  • ベストセラー「思考の整理学」を書いた外山滋比古さんの40年前の書籍(エッセイ集)を文庫化した本です。

    もともと、「中年閉居して・・・」というタイトルを「ライフワークの思想」と改題して出した本なので、ライフワークについて書かれているのは第一章だけ。

    第二章は学び、第三章は島国論、第四章は教育とことばについて書かれていて、二章、三章は難しかったので、パラ読みした。

    ただ、40年前に書かれた本が、今にも通ずる内容になっており、驚愕しました。とくに第一章のライフワークについては40年前から日本の社会がほとんど変わってないことが分かりました。脱帽です。

    <メモ>
    ・人生80歳として、45歳が折り返し地点。前ではなく反対に走る。ゴールに戻る。
    ・週に一度は家族からも離れる一人の時間を(無為の時間)
    ・経験と思いつきを混ぜ合わせ、これに時間を加え、ねかせる。発酵させる。
    ・生活にすこしゆとりが生じると人間は幸福とは何かを考える
    →カネや物が豊かであればあるほど幸福だと信じる
    →やがて、経済力と幸福とは正比例しないことを知り、改めて、幸福とは何ぞやと

  • 20150323読了。
    咲いた花を切り取ってきて飾る。その花は散ってしまえば終わりだ。その花の咲かせ方を知らなければ、ライフワークとは言えない。
    ずしんと響いた。球根から花を咲かせる方法を知らなければならない。何年か後にもう一度読みたい。

  • 外山氏の本は二冊目。思考の整理術を読んで以来。
    この本は、タイトルと若干のズレがあるように思うのと、構成がイマイチわかりづらいのが難点ではあるものの、平易な言葉で深い深い考察が書かれているので、戦前生まれの知性に触れるにはとてもよい本だと思います。外山氏が一貫して主張することがこの本にも書かれている。
    あと、同じ島国の大国であるイギリスについての考察が、突如として現れるのも面白い。
    東浩紀さんが動物化するポストモダンで書いてた、大きな物語から、データベースの切り売りへ、という考え方のベースがこの本にも意外にも語られているので、触れてみてもよいかも。

  • 人生の折り返しは定年とかで決められた事ではなく出家のように自ら決めること
    折り返し後は今までとは逆方向に向かって走る

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著者プロフィール

外山 滋比古(とやま・しげひこ):1923年、愛知県生まれ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学卒業。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。専門の英文学をはじめ、日本語、教育、意味論などに関する評論を多数執筆している。2020年7月逝去。30年以上にわたり学生、ビジネスマンなど多くの読者の支持を得る『思考の整理学』をはじめ、『忘却の整理学』『知的創造のヒント』(以上、筑摩書房)、『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)など著作は多数。

「2024年 『新版 読みの整理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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