ライフワークの思想 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 38
  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480426239

感想・レビュー・書評

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  • ”みなとみらいのブックファーストで店頭にならんでいたのをみて購入
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    ★どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での“ライフワーク”である。(p.12)
    ・カクテルと地酒の比喩(p.14)
     酒でないものから酒をつくった時、初めて酒をつくったといえる。ただし、その過程で失敗すれば、甘酒になってしまうかもしれない。酢ができてしまうこともあるだろう。必ず酒になる保証はないが、もし、うまく発酵してかりにドブロクでもいい、地酒ができれば、それが本当の意味で人を酔わせる酒をつくったことになる。(中略)
    ★われわれは、地酒をつくることを忘れて、カクテル式勉強に熱中し、カクテル文化に身をやつして、齢をとってきた。(中略)もちろん、すばらしいカクテルをつくってくれる人も必要だが、それで、酒をつくったように錯覚してはならないのである。
    ・根のあるものは一時、葉の散ることもあろうし、枝の折れることがあるかもしれない。けれども、めぐり来て春になれば、再び芽ぶき、花をつけ、そして実をつける。(p.23)
    ・そろそろこの辺で、できてもできなくても、酒をつくってみるべきだ。(p.26)
    ★人生の酒に必要なのは経験である。この経験を本などを読んで代用したのでは、カクテルになってしまう。やはり、その人が毎日生きて積んだ経験と言うものを土台にしなければならない。そして、それに加えるに、経験を超越した形而上の考え方、つまり、アイデア、思いつきをもってする。経験と思いつきとを一緒にし、これに時間を加える。この時間なしには酒はできない。時間は酒を“ねかせる”ため、経験とアイデアをねかせて作用させるのだ。頭のなかにねかせておいてもよいが、この二つのことを何かに書きとめておくのが便利である。そして、時々これを取り出して、のぞいてみる。のぞいてみて、何も匂ってこなければ、まだ発酵していない。何となく胸をつかれる思いをしたり、何か新しい思いつきに向かって頭が動き出す。(p.27)
    ★たしかに前へ走ることは進歩だ。だが、折り返し点ではそれまでの価値観をひっくり返して、反対側に走ることがすなわち前へ進むことになる。(中略)人生のマラソンにおいては、折り返し点を過ぎたら、今までとは逆の方向に走るということが、プラスなのだという発想の転換に達するのは生やさしいことではない。
     エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になってくるのは、彼らが一筋の道を折り返しなしに走っているからだろう。(p.30)
    ・小出しに与えられた断片的知識を、小刻みに習得する。学習の方法はどうしても分析的にならざるを得ない。(中略)しかし、いったん習得した知識はバラバラなものではなくて、まとまりのあるものにしたい。この二つの立場を調和させるにはどうしたらよいのか。それに成功したとき、「知識は力なり」(ベーコン)と言うことのできる知識になる。(p.50-51)
    ・目のまわるような忙しい生活の中で、何かのはずみに見出されるしばしの間の仕事からの解放、それがヒマである。(p.74)
    ・入って来るインプレッションの方が出て行くエクスプレッションよりも圧倒的に多い。この両者のバランスをとる役割を果たすのが忘却である。隠れた表現行為であり創造活動であるということにもなる。
     #忘却は「創造活動」である!?
    ・三科・四学(文法・修辞学・論理学・数学・音楽・幾何・天文)のいわゆる自由七科 (p.93)
     #イギリスのパブリック・スクールに関して。
    ・泥縄式=muddling through
    ★感情は理性に比べて慣性に支配されやすい。(p.127)
     理性はしばしばその慣性から脱出する力を示す。同じ感情にしても、その内面の豊かなものはより強力な慣性を生ずる。しかし、慣性が必要とする十分な精神的エネルギーを伴わなくなると、惰性が起り、保守の弊害が表面化する。その惰性を克服する方法がすくなくとも二つあるように思われる。
     一つは、慣性の力を理性で意識的に削減するのである。(中略)
     もう一つは、惰性をそれからすこし離れた立場から見る態度である。慣性の勢いをちょっとかわしておいて、別の価値から批判する方法である。この方法から生まれるのが風刺やヒューマーである。(p.127:コンサバティヴ)
    ・どうもわれわれには交換という考えが乏しいように思われる。(中略)
     精神文化の交易となると、事情はまさに逆で、一方的輸入である。何でもかんでも外国のものを借りる。(中略)入れたらお返しに何かを出そうという考えがない。(p.154-155:島国考)
    ・陸つづきの外国をもっていない地理条件は、国民の純粋、潔癖、孤立などの特性を助長するが、何よりの特色は外国、ならびに外国人に対する過敏さであろう。(p.157)
    ★役に立つ教育といったケチな目標でなされることが、子供の魂に火をつけるわけがない。(p.176)
    ・ただ、男性的性格を忘れてしまうと教育は骨格を見失いかねない。目先きの細かいことをやかましく言っても、長い目で人間の教育は何をなすべきかというようなことが欠落しては泰山鳴動してねずみ一匹出ないかもしれない。教育熱が高まって教育はいよいよ荒れ乱れるというおそれもある。(p.178)
    ・ある人間をダメにしようと思ったら、やんわり、繰り返して、「あなたはダメになります」と言っていればいい。本当にダメになってしまう。ご亭主にそういうことを口ぐせのように言っている奥さんもすくなくない。結果は奥さんの予言のとおりになってくれる。(p.224)
     #ひょえ?、こわっ!!
    ・生活の条件がないときに若さを保つにはどうしたらいいか。いちばん簡単なのは、新しいことばを毎日すこしずつ覚えることだろう。(p.231)”

  • ライフワークとはバラバラになっていた断片につながりを与えてある有機的統一をもたらす一つの奇跡、個人の奇跡を行うこと。
    一旦習得した知識をバラバラなものではなく、まとまりのあるものにする。

    自分のプライベートな利益のために、パブリックなものを利用する考えは卑劣である。これは実業界が教育界に役立つことをやれと注文したときのくだり。

    新しい言葉を少しずつ覚えるのが若さを保つコツ。たは著者の談。

    1978年の著書を改題した本。考えること。ただ知識を増やせばよいのではなくまとまりのあるものにすることは意識する。

  • 1982年に出版された文庫を、再び発行した外山さんの本。当時の社会情勢についてふれながら説明している文書もあるので、今読むと「あれ?」という感じのところもないわけではない。とはいえ、示唆に富んだエッセイであることに代わりはない。

  • 20150323読了。
    咲いた花を切り取ってきて飾る。その花は散ってしまえば終わりだ。その花の咲かせ方を知らなければ、ライフワークとは言えない。
    ずしんと響いた。球根から花を咲かせる方法を知らなければならない。何年か後にもう一度読みたい。

  • 外山氏の本は二冊目。思考の整理術を読んで以来。
    この本は、タイトルと若干のズレがあるように思うのと、構成がイマイチわかりづらいのが難点ではあるものの、平易な言葉で深い深い考察が書かれているので、戦前生まれの知性に触れるにはとてもよい本だと思います。外山氏が一貫して主張することがこの本にも書かれている。
    あと、同じ島国の大国であるイギリスについての考察が、突如として現れるのも面白い。
    東浩紀さんが動物化するポストモダンで書いてた、大きな物語から、データベースの切り売りへ、という考え方のベースがこの本にも意外にも語られているので、触れてみてもよいかも。

  • 外山滋比古さんの本は『思考の整理学』につづいて2冊目でした。書名の内容は概ね1~2章で終わり、3章以降はちょっと別のテーマで書かれているような感じでした。文化・言葉・教育・・・そこから派生したいろいろ。
    いつもこういう文体なんでしょうか。とても親近感のある読みやすいタッチです。
    底本が書かれたのが、1980年代、だったかな?扱われている事件や流行には時代を感じるものが多いですが、主張は色褪せないものですね。

    ただ、もう少し年齢を重ねてから読んでもよかったのかな。と思います。

  • 人生80年~90年。年々平均寿命は延びています。作者は、人生の折り返し点後の生き方に考えを巡らせます。昔の人は出家することで、それに区切りをつけていたそうです。
    人生をマラソンに例えれば、うっかり折り返し地点を過ぎてしまうと、頑張って前に走れば走るほどゴールから遠ざかってしまう。人生のフィナーレは定年を迎えたときではありません。われわれは最後の最後まで、レースを捨てずに走ろう、と作者は呼びかけます。

    定年より前にじっくり読み返して欲しい、そんな一冊ですね。

    詳しくはこちら http://d.hatena.ne.jp/ha3kaijohon/20120326/1332724138

  • 外山先生らしい本です。
    読みやすい部分と読みにくい部分があり,読みにくい部分は飛ばして読んでいます。でも,非常に勉強になるところもあります。
    日本人の面食い文化の章(第4章)に私は共感しました。

  • 最初は、本書の題でもあるライフワークについて論述されているが、次第に脱線してしまっている感が否めない。しかし、これは起承転結の転であり、最終的には収束するかもしれない。もし収束しなかったとしても、それはそれでおもしろいような気がする。なぜなら、まったく関係がない内容と思われても、よく咀嚼するとやはり深く関係しているような気がしてくる。転の論述を本書の主題と照らし合わせながら読むことで、文章の裏側に隠された意味を汲み取れる。これは深い読書方法ではないかと、著者の著書である「読みの整理学」を思い出した。

    最後の章「ことばと心」はとても良い。病は気からってまじだと思う。あらゆる認識が言語を基礎としている人間はほんとに言葉に弱い。子供をダメな人間にさせたければ「おまえはダメな人間だ」といっていればおのずとダメな人間になる。その逆も然り。言葉には言霊が宿るのだと古人が考えたのもうなずける。昔の人って、現代人より「人間」とか「自然」とかを肌身に感じて理解していたのだろうな。

  • 最初にちょっと余計なことを書くと、『ライフワークの思想』では幾つものエッセイが集まっていて、全体としてライフワークについて考えることになると思う人もいるかもしれないが、僕はその中でも「フィナーレの思想」という第1章が関心の強い部分で、何度か読み直してみたいと思った。

    印象的な考え方は、ライフワークを考えるのに人生の折り返し点について思いを巡らしてみる、その人生の折り返し点は定年時では遅くないですか?、という部分だ。

    人生80年と考え、最初の10年はまあ助走期間だとすると、45歳がマラソンで言うところの折り返し点になる。前半の走りと、後半の走りをどう組み立てるか。

    もっとも、折り返し地点のないマラソンもあるだろう。しかし、僕らはキャリア(経験)を積むとか、会社生活の中でより成功したいといった中で前を向くことを余儀なくされる。最初の前半はそれで良いのかもしれない。しかし、定年後、いや定年の数年前から、そうした考えだけでは到達できないゴールがあるのだと思う。

    そこで、折り返し地点、これももしかすると、その少し前からか、後半の走り方を考えるべきか。これは、趣味や交友関係を作るということで語っても良いのかもしれないけれど、より広く仕事に対する自分のあり方とか、仕事そのものに対する価値観や関わり方という面も含むのだと僕は考えている。

    ボクのブログより:http://d.hatena.ne.jp/ninja_hattorikun/20090806

著者プロフィール

お茶の水女子大学名誉教授

「2019年 『やわらかく、考える。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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