ノ-サンガ-・アビ- (ちくま文庫 お 42-8)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480426338

感想・レビュー・書評

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  • 以前に読んで面白かった代表作『自負と偏見』に続いて読んだ著者作品。

    十七歳のキャサリンが、大地主の夫婦に連れられて訪れた温泉地の社交場でヘンリーという美男子の牧師に恋をする。タイトルの「ノーサンガー・アビー」はヘンリーの実家である、イギリスでも一番古い屋敷のひとつ。「アビー」は元修道院を意味する。主人公キャサリンは主に中盤まで温泉地バースに滞在し、その後に舞台はノーサンガー・アビーへと移る。

    起伏の少ない物語がダラダラ続くと感じるうちに最終盤に差し掛かり、少ない紙数でどのように折り合いをつけるのだろうか懸念していると、まるで打ち切りにあった連載作品かのように強引に着地してしまう。恋愛ものとしては大きな見せ場であるはずのプロポーズの描写までもが非常に簡素に終わる。親友の翻意、ヘンリーの兄である大尉の行動の不審さ、ヘンリーの父のキャラクターなど、不可解または読者の理解を得られそうにないままで結末を迎える。エンタメ作品でありながら、そこで期待される要素を無視するかのような展開に戸惑う。

    「当時の小説のワンパターンのヒロイン像に異を唱え、これをからかうパロディ小説」を書くためにあくまで普通の少女を主人公に据えたとする訳者あとがきに納得する。嫌悪感まで抱かせはしないまでも、キャサリンという平凡な少女にも取り立てて美点は見当たらず、年相応の妄想好きな少女にすぎない。終盤に表される、ヘンリーがキャサリンに好意をもつに至った理由などは、まさしく作品の性格を象徴する一文だろう。一部登場人物であからさまな金銭的な動機付けも含め、人間の聖より俗を描くことに重きが置かれている。

    本作は執筆後に『スーザン』『キャサリン』とタイトルを変えながら(作品内で『ノーサンガー・アビー』が特別に何かを意味するでもなく、主人公名そのままのほうが妥当に感じる)、結局著者の死後にいたるまでは出版されなかったようなのだが、そのことをあまり不思議だとは感じない。当時のステレオタイプな小説に異を唱えるという試みを差し引いても、それほど優れた作品ではないだろう。同著者の『自負と偏見』と比較してもその差は歴然としており、あえて誰かに薦めたいとは思わない。それにも関わらず、エンタメ作品には似つかわしくないある種の現実味が特に説明もなく植え付けられている奇妙さのためか、妙な印象を残す小説ではあった。

  • 【ジェーンオースティン祭り6冊目】
    ジェーンオースティン祭りの最期の一冊。前半は少しかったるいが、登場人物が出そろい動き始める後半、相変わらずの面白さ。主人公キャサリンは6冊の中で一番素朴で自然に可愛い。全て自分に都合良く考える美人のイザベラの軽薄な発言が楽しすぎ。

    しかし、ジェーンオースティン。一応「文学」なのに、それも、自分は恋愛小説嫌いなはずなのに、ホントに楽しく読み終えた。通勤の細切れの読書でも、一頁一頁をめくるのが楽しいなんて思いを久しぶりに経験した。終わってしまってホントに寂しい。

    【ジェーンオースティン祭総括】
    さて総括。オースティンの小説は、6冊の主人公のキャラクターが違うところが読みどころらしい。このうち年齢が最も若く幼く素朴なのが「ノーサンガー」のキャサリン。跳ねっ返りで機知に富みからかい好きなのが、「高慢」のエリザベス。これに知性を少し差し引き、お馬鹿さ・お節介好きの陽気さを加味したのが、「エマ」のエマ。反対にひたすら内気ななのが「マンスフィールド」のファニー。「分別と多感」のエリナーが知性もあるバランスのとれた良識型。これが更に成熟してやたらできすぎた人間なのが「説得」のアンか。主人公としては、やはり一番エリザベスが魅力的。

    全体についていうと、物語キャラクター(男性キャラクターも)共に面白いのが「高慢」で、登場人物が全て分別くさすぎだけど、ストーリー展開が面白いのが「マンスフィールド」あたりだろうか。「エマ」は階級臭が強すぎてちょっとというところがあった。ただ、皮肉っぷりなど一番冴え渡ってオースティンらしいのが「エマ」かもしれない。ただいずれにせよ、どの本も粒ぞろいで十二分に楽しんだ。

    【余談】
    ここでつらつら、自分が一番好きな女性主人公って誰だろうと考えてみたが、多分、「ジェーンエア」のジェーンだと思う。不美人で愛嬌も全くなく、頑固。でも、自分の足でスックと立ち、身一つで全てを引き受け、観察眼が鋭くシニカルで、率直で、大人。最も好きな外国文学であり、思春期に何度も読み返した思い出の書の一つでもある。

  • 日本人にもつとも愛されてゐるイギリスの小説家はだれか。

    もちろん大衆作家はのぞきますよ。さうしないとコナン・ドイルとアガサ・クリスティーの一騎討ちになつてしまふ。(それにしてもこの二人の人気は驚くべきものである。現今の作家が束になつても十九世紀生れの紳士と淑女に勝てないのだ)
    シェイクスピアも劇作家なので対象からはづれますね。すると、ディケンズは『クリスマス・キャロル』以外はなじみがないし、ブロンテ姉妹はそれぞれ一作しかない(残念ながらアンは予選落ちです) 。
    ヴァージニア・ウルフ? あまりに知識人向けである。
    D・H ・ロレンス? グレアム・グリーン?
    いまひとつ決め手に欠ける。

    ではだれかーーみなさんもうおわかりでせうね。それはジェイン・オースティンである、といふのがわたしの結論です。カズオ・イシグロもイアン・マキューアンも十八世紀生れの閨秀作家にかなはないのである。

    なぜオースティンは現代人にも人気があるのか。
    第一に、すべてハッピーエンドであること。読み終つていやな気分になることがない。これは大事ですね。素直な読者を喜ばせる。
    第二に、皮肉な観察眼がある。つむじまがりの読者も白けることなく読み進められる。
    第三に、しかしそのユーモアは穏やかである。イヴリン・ウォーのやうな黒い哄笑は読者が限られる。少なくとも家庭向きではない。
    第四に、日常描写が心地よい。読者は女主人公に 好感を持ち、彼女の幸せを願ふ。
    第五に、サスペンスが充満してゐる。これは説明がいるかもしれませんね。(「説明がいる」を「説明がゐる」と書くのは誤用である)
    彼女の小説はみなラブロマンスではないか。どこにサスペンスがあるのか、と反論してくる人もゐるかもしれません。しかしすぐれたラブロマンスはたいていサスペンスの要素を備えてゐるものである。オースティンの描く女主人公はみな恋の障害に悩まされる。その障害はある時はものわかりの悪い父親であり、ある時は意地の悪い女友達であり、またある時は自分自身の心である。女主人公はすんでのところで恋をあきらめかけるが、ひよんなことから成就の手がかりが舞ひ込んでくる。この緩急のつけ方がオースティンはたいへんうまいんですね。彼女が二十世紀に生れてゐたら探偵小説を書いてゐたのではないかしら。『エマ』などを読むと特にさう思ひます。軽薄な美男子の不可解な行動は何を意味するのか。もの静かな娘はなぜピアノを見ただけで動揺したのか。そして主人公エマが真に愛する人とは誰なのか。これらの謎が解き明かされる終盤はまさに探偵小説そのものといつてもいいでせう。(しかしかう論ずると、探偵小説はのぞくといふさきほどの規定にひつかかりますね。まあ狭義の探偵小説ではないといふことで目をつぶつてください)
    第六に、娘ごころを熟知してゐる。これは『高慢と偏見』を翻案した『ブリジット・ジョーンズの日記』が大ベストセラーになつたことを挙げれば十分でせう。ちかごろは少女マンガが隆盛を極めてゐるさうですが、オースティンの小説は元祖少女マンガといつてもいいでせうね。

    さて『ノーサンガー・アビー』の女主人公は小説を読みすぎた十七歳の娘キャサリン・モーランドである。小説を読みすぎた小説の主人公といへばもちろんドン・キホーテだが、セルバンテスが騎士道小説のパロディを書いたやうにオースティンはゴシック小説のパロディを書いた。(ところで、地の文に作者の主張がはさまるのはフィールディング『トム・ジョウンズ』の影響なのだらうか。識者の教えを請ひたい)

    われらがキャサリンは温泉街バースで素敵な紳士ヘンリー・ティルニーと出会い、彼の実家である古い屋敷、ノーサンガー・アビーに招待される。 古い屋敷といへばゴシック小説では幽霊や血まみれの死体が出ると相場が決つてゐる! キャサリンは妄想をふくらませ、箪笥の奥から巻紙を見つける。これは謎の古文書に違ひない! しかし案に反して巻紙はただの洗濯物の請求書だつた。
    こりないキャサリンはヘンリーの父ティルニー将軍に疑ひの目を向ける。妻は病死したと言つてゐるが、本当は殺されたのではないか? いや、この屋敷のどこかに幽閉されてゐるのかもしれない! キャサリンは一人で屋敷を探索するが……。

    かうした妄想は大兄(この漫文を読んでゐる君のことです)には大なり小なり身に覚えがあるでせう。オースティンは小説の愛読者の痛いところをついてゐる。それでゐて辛辣ではないんですね。彼女の風刺はあくまでも穏やかで、快活である。そしてからかふ相手(ここでは主にアン・ラドグリフ『ユードルフォの謎』)にも敬意と愛情がある。次のやうな会話を読めばそれは一目瞭然でせう。

    「でもキャサリン、今日はいままでひとりで何をしていたの? 『ユードルフォの謎』を読んでいたの?」
    「ええ、今朝起きてからずっと読んでいたの。いまちょうど黒いヴェールのところよ」
    「ほんとに? まあ、すてき! でも、黒いヴェールのうしろに何があるか、ぜったい教えてあげないわ! ものすごく知りたいでしょ?」
    「ええ、すごく知りたいわ。いったい何かしら? でも言わないで。言ってもぜったい聞かないわ。たぶん骸骨ね。きっとローレンティーナの骸骨だわ。『ユードルフォの謎』はほんとに面白いわね。一生読んでいたいくらい。あなたに会う約束がなかったら、ぜったいに途中でやめたりしなかったわ」

    小説を読む興奮がなんといきいきと描かれてゐることだらう! (それにしてもここまでほめちぎられてゐる『ユードルフォの謎』のまつとうな邦訳がいまだにないのは憂ふべきことである。出版社の奮起を望む)
    ところで本作がほかのオースティンの小説と同様、メロドラマの要素を兼ね備へてゐることにも注意が必要である。実はキャサリンが妄想をふくらませる場面はそれほど多くはない。前半のバースでは不愉快な自己宣伝家ジョン・ソープと財産目当ての美女イザベラ・ソープの兄妹がキャサリンとヘンリー(そしてその妹)との仲を引き裂かうとするし、後半のノーサンガー・アビーでは傲慢なティルニー将軍がキャサリンを翻弄する。

    愉快なパロディが横糸にある一方で、いつもの、いや、後年のオースティンらしい恋の障害が縦糸として存在してゐるからこそ、読者は飽きずにページをめくることができるのである。

    本作はオースティンが二十二、三歳のころに書かれたといふ。その後かうしたパロディ的要素は次第に影をひそめてゆくのだが、どうだらう、もし彼女が五十六十と長生きしてゐたら、またこちらの世界に戻つてきたのではないだらうか。惜しげもなく笑ひをふりまき、スターンの『トリストラム・シャンディ』にも比肩しうるナンセンス文学の傑作を書いたのではないだらうか……

    おや、妄想がすぎたやうだ。わたしも少し小説を読みすぎたらしい。

    • 穂波さん
      丸谷才一さんご登場ありがとうございました。ふふ。いつもながら上手いなぁと。

      いま手元には『ジェーン・オースティンの読書会』文庫版があり...
      丸谷才一さんご登場ありがとうございました。ふふ。いつもながら上手いなぁと。

      いま手元には『ジェーン・オースティンの読書会』文庫版がありまして、読み始めようかでもわたしまだ『高慢と偏見』しか読んでないしもうちょっといろいろよんでからにしようかなとかぐずぐずしているところです。『ノーサンガー・アビー』(ダウントン・アビーとちょっとごちゃごちゃになっている)もおもしろそうですねぇ。
      2014/06/09
    • シンさん
      こんばんは。久しぶりに読んだオースティンでしたが、びっくりするほどスラスラ読めました。その意味ではライトノベルと言ってもいいくらい。そして楽...
      こんばんは。久しぶりに読んだオースティンでしたが、びっくりするほどスラスラ読めました。その意味ではライトノベルと言ってもいいくらい。そして楽しい。『ジェーン・オースティンの読書会』私も未読です。面白そうなんですけどね~。丸谷さんの文体についてですが「娘ごころを熟知してゐる」のところは自分でも書いててニヤリとしてしまいました。娘ごころなんていまどき言いませんもんね(笑)。そういう、今の時世から取り残されているところも好きでした。
      2014/06/10
  • 『贖罪』のエピグラフに引いてあったので読む。
    マキューアンがらみだったのだけど、さすがオースティンさん、小説を創っていくおもしろみを満喫させてくれる。

  • 17歳のキャサリンは、アレン夫妻の付き添いの元、温泉地バースで社交界デビュー。キャサリンの兄ジェイムズの親友ジョン・ソープの妹で快活な美人イザベラと親友になるが、実はイザベラはジェイムズ狙い。さらにジョン・ソープはキャサリンに言い寄ってくるが、キャサリンは初めて一緒にダンスを踊ったヘンリー・ティルニーに恋心を抱いており…。

    出版は後になったようだが、ジェイン・オースティンの実質処女作にあたるのがこの『ノーサンガー・アビー』。最近アン・ラドクリフ『ユドルフォ城の怪奇』を読んだ勢いでこちらも。本書のヒロインキャサリンはこのユドルフォ城(本書では『ユードルフォの謎』)を愛読しているという設定。当時流行のゴシック小説は、一般的に蔑視されていたようで、今でいうならラノベみたいな扱いだったのだろうか。流行ってるけど女子供の読むもの、本当のインテリや文学者からは軽く見られている、みたいな感じ?

    さてそんなゴシック小説を愛読するヒロイン・キャサリンは、とりたてて美人ではないし特別な才能もない平凡な少女。善良で素直だけれど、世間知らずで垢抜けないタイプ。およそ小説のヒロインに似つかわしい悲劇的な設定は何一つ持ちあわせておらず、作者ジェイン・オースティン自ら作中でそれを公言。本書は、ゴシック小説やそれまでの小説の定型を皮肉に茶化した、パロディの側面が多々あるようだ。

    前半は、そんなキャサリンがソープ兄妹に振り回されながらも新しい出会いを楽しむ展開。親友イザベルと兄ジェイムズは両想い、イザベルの兄ジョンはキャサリン狙いなので二組の兄妹がグループ交際状態だが、キャサリンはジョンに興味なくティルニーに夢中。このジョン・ソープ、大変な自惚れ屋で自意識過剰で自慢話しかしない面倒くさい男。なぜか自分がモテると思い込んでおり、虚栄心から虚言も多い。妹のイザベラも、キャサリンに親切ではあるが、かなり自己中心的で打算的なタイプ。結局キャサリンに迷惑をかける困った兄妹。

    後半は、ヘンリー・ティルニーの妹エリナーが登場。キャサリンは新たにこの兄妹と親交を深める。こちらはソープ兄妹より家柄も性格も良い美男美女の兄妹。キャサリンが憧れるヘンリー、彼のほうでもまたキャサリンに好感を抱いており、さらに兄妹の父・ティルニー将軍もなぜかキャサリンを気に入って、彼女をティルニー家の館「ノーサンガー・アビー」に招待してくれる。

    このノーサンガー・アビーは古い修道院を改造した館。前述したようにユドルフォ城を愛読していたキャサリンは、古いお屋敷が大好き、憧れのゴシック小説の世界の実物を見れるかも!と浮かれに浮かれて招待に応じる。しかしその直前、ヘンリーの兄であるフレデリック大尉が現れ、なぜかイザベルに色目を使い、イザベルのほうも満更ではない様子。この時点でイザベルはすでにキャサリンの兄ジェイムズと婚約しているので、キャサリンは嫌な予感がしつつ、ヘンリー&エリナー兄妹とノーサンガー・アビーへ向かう。

    ノーサンガー・アビーは、キャサリンが期待したほど古くも広くもなかったけれど、それでもキャサリンの好奇心を十二分に刺激。妄想癖のあるキャサリンは、部屋にある古い長持ちや箪笥を探っては怪しいものが出てこないかとドキドキ。さらにエリナーから、9年前に母が亡くなったこと、急病でその死に目に会えなかったこと、さらに母親の肖像画を父が嫌っているため居間に飾れずエリナーの部屋にあることなどを聞き、興味津々。その母親の寝室へエリナーがキャサリンを案内しようとすると父親に激怒され、キャサリンはますます疑惑を深める。つまり、不幸なエリナーの母は、夫に殺されたか、あるいは今もどこかに幽閉されているのではないかと。

    ティルニー父は、たいへん美男子で、キャサリンにはとても愛想がいいが、自分の子供たちに対しては威圧的。兄妹は父親を嫌っており、吝嗇だと思っている。さらに兄妹は長兄フレデリックとも仲良くない様子。キャサリンは、威圧的なティルニー父を、ユドルフォ城に出てくるモントーニそっくりだ!と思う。妄想が暴走するキャサリンはとても面白いのだけど、作者はそういう彼女を愚かで滑稽に描いている(のだと思う)

    ティルニー父は苦手だが、兄妹とは仲良く楽しい日々を過ごし、さらにヘンリーへの恋心を深めていたキャサリン、しかしそこに兄ジェイムズから悲しい手紙が届く。婚約していたイザベラが、なんとティルニー兄フレデリックに乗り換え、ジェイムズとは別れることになったという。キャサリンはヘンリーとエリナーにそれを打ち明けるが、兄妹は長兄の性格だとただの遊び、さらに吝嗇な父が財産のないイザベルと長男の結婚を認めるはずがないと言う。キャサリンはそのままノーサンガー・アビーに滞在し続けるが、ある日突然、ティルニー父に追い出されてしまう。

    傷心のキャサリンは実家に戻るが、まもなくヘンリーが現れ、キャサリンにプロポーズ。急に追い出された理由は、キャサリンに振られたジョン・ソープが、虚栄心からティルニー父に色んな嘘を吹き込んでいたためとわかる。結局なんやかんやでキャサリンとヘンリーの結婚は認められ、めでたしめでたし。

    全体的にはジェイン・オースティンらしいラブコメ(というと語弊があるのかしら)で、三組の兄妹の恋愛模様。ティルニー兄妹以外の登場人物はほとんど極端に戯画化されており、マンガのようにわかりやすく嫌な悪役や、悪気はないけど面倒くさい人たちが多数登場。先にも書いたように、ゴシック小説の流行などを皮肉る内容、小説の定型を覆すような設定となっている。ヒロインが平凡なことも含め、現代人が読む分には逆に普通なのだけど、当時はかなり斬新だったのかもしれない。

  • ジェイン・オースティンを初めて読んだ。ヒロインらしからぬヒロイン、と作中にあるが、今読むととても現代的なヒロインで、応援したくなる。素直で、小説が大好きで妄想癖がある…なんて、少女漫画の主人公のよう。ジェイン・オースティンの主張が時々現れて、それも楽しい。とても人気があるのが、よく分かった!

  • あっはっは!
    やー、笑った笑った!
    冒頭からオースティンが冴え渡っていて、何度吹き出したことか。
    物語も面白くはあるんだけど、何冊もオースティンを読んでいると、ちょっとヒロインが年上男性に導かれるパターンが多いのが気になる。
    「高慢と偏見」などはダーシーの方もエリザベスによって変わるけど、今作ではキャサリンが崇める一方だし。
    でも、今作はところどころでオースティン自身の突っ込みが一人称でガシガシ入るのが良かった!
    『そう、われらがヒロインは作品の中で小説を読んだのである。なぜなら私は、小説家たちのあのけちくさい愚かな慣習に従うつもりはないからだ。(中略)ああ! 小説のヒロインが、別の小説のヒロインから贔屓にされなければ、いったい誰が彼女を守ったり、尊敬したりするだろうか?』
    最高!

  • いやー、面白かった!
    200年以上前の小説とは思えないぐらい普通に面白かったです。なんか少女漫画っぽい。少し間抜けで、ちょっとおバカだけど優しくて可愛らしい女の子キャサリンが主人公。ゴシック小説が大好きで妄想が凄い。そんなキャサリンが周りの濃いキャラクター達のなかで翻弄しながらも素敵な男性を射止める物語。
    とりあえず、イザベラとジョンの兄妹がウザ過ぎて笑える。でも、今でもよーゆー奴っているよなー!って思うわ。
    主人公キャサリンの間抜けぶりも愛らしくて可愛いです。

  • 小説のヒロインが美人ばかりなのに憤慨してたのはジェイン・オースティンだったでしょうか。いや、笑わせていただきました。登場人物紹介欄から笑える本ってなかなかないですよ。
    我らがヒロイン・キャサリンは、美人だと褒められれば大喜びできる程度の容姿と、ゴシック小説は大好きだけど歴史小説になるとお手上げというレベルの知性と、音楽も絵画もまるっきり、家の内装もどこを褒めたらいいのか分からないような教養の持ち主。性格も特別個性があるわけではありません。ただとにかく素直で正直、世間知らず。親友にないがしろにされたのにも気づかないし、他人に否定的な感情をもつにも時間がかかるという有り様です。「そんなやつ、とっとと喧嘩ふっかけて追いやってしまえ!」「いやそれ全然親友じゃないから。」と読者をやきもきさせるほどです。しかしその純朴さと素直な愛情で夫を手にいれるのですから、性格の良さは身を助けますねー。
    たまに著者の視点を小説に登場させていて、その意見がまた面白い。小説家が自分の作品の登場人物に小説を読ませないのをけちくさいといい放ち、突然ストーリーに絡まない人間をだすような作法に反することはしていないと明言。ことあるごとに「普通小説の中では~」と例をひく。小説家としての立ち位置が実に興味深いです。小説のテーマが何かは読者の手に委ねるとなっていますが、これは「想像力を無駄に発揮せず、現実を見て自分の身の丈を受け入れるのが幸せへの近道」ということだと私は思います。

  • 領収書?が出てくるところが面白かった。

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著者プロフィール

ジェイン・オースティン(Jane Austen)
1775年生まれ。イギリスの小説家。
作品に、『分別と多感』、『高慢と偏見』、『エマ』、『マンスフィールド・パーク』、『ノーサンガー・アビー』、『説得されて』など。
1817年没。

「2019年 『説得されて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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