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- / ISBN・EAN: 9784480427533
感想・レビュー・書評
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このシリーズ本たいそう売れたそうな。結局彼女の詩のほとんど、彼女の短文のほとんどを網羅している。時代がやっと茨木のり子に追いついてきたのかもしれない。
前にも書いたけど、詩は何度も何度も引用されて、初めて生きてくる。だから、私はできるだけ彼女の詩を紹介したいと思う。
3月初めに読んだとき、以下の詩は「私の合格作品」の中に入ってはいなかった。けれども、震災が起きて、計画停電が起きて、エネルギー問題を考え始めたときに、この詩が「真実を衝いている」ことに思い至った。
「時代おくれ」
車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない
そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま
すぐに古びるがたらくたは
我が山門に入るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
もっともっと遅れたい
電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも
旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い
何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ
→そうだ!そうだと思う。
「何が起ころうと生き残れるのはあなたたち/まっとうとも思わずに/まっとうに生きているひとびとよ」。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
詩・散文・韓国からの訳詩、の三部構成。どれも美味。茨木のり子さんの追いかけるテーマは『言の葉2』から引き続き一貫している。言葉、反戦、韓国、どう生きるか。
「九月のうた」
のびきった マカロニのような
夏とも
もうお別れ
星宿りという 素敵な木の名を
教えてくれたひととも
もうお別れ
こどもたちは こんがり焼けた
プチ・パンになって
熱い竈をとびだしてゆく
思えば幼い頃の宿題は易しかった
人生の宿題の
重たさにくらべたら
ほんと、人生がこんなに難しいって学校では教わらなかったー!と、共感しながら駄々をこねてみた。 -
先入観なしに一編一編をじっくり読むのもいいが、この「言の葉」のシリーズは、詩とエッセイで編まれていて、エッセイの中で著者自らが詩を書いた時の感情や考え方、感動や憤り、他者や自然とのコミットメントの有り様などがたっぷりと表わされている。
特に本書では、韓国の訳詩も含め、韓国に関する言及が多い。著者は50代の頃から韓国語を習い始めたが、植民地支配の歴史に関する思いがおそらくあったに違いないだろう。
また本書には山本安英さんへの追悼文が収められている。そして、1に収録されている「汲む」。
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
時期的にはその舞台を見るチャンスはあったのに。後悔。 -
自選作品集の第三巻。1990年代から晩年の作品です。詩は「倚かからず」をはじめ、後年の鋭い作品を収録し、エッセイも冴え渡っています。
生前に編まれたため、没後に公表された「歳月」からは当然、とられていません。が、巻末の解説で、「橇」が取り上げられています。これを涙せずに読めるだろうか? -
ちくま文庫
茨木のり子 「 言の葉 3 」
「詩とは その言語を使って生きる民族の感情や理性の結晶である」という言葉から、代表作「倚りかからず」「一本の茎の上に」が生まれたように思う。
詩集「食卓に珈琲の匂い流れ」は 死別した最愛の夫や家族との記憶に寄り添う詩という感じ。静かなものに包まれている作風
詩集「倚りかからず」は 民族詩の要素が強くなり、大きな喪失を乗り越えた感じ。絶望と希望を同一視するまで、自立心が強まっている
その反面、日本に対する厳しい口調が目立つ。ことばを守ることを使命としている詩人としては、言葉を奪った帝国日本の行為が許せないのだと思う
この本の中で好きな詩は「行方不明の時間」この本のために書かれた詩で、生の喪失感も、生への執着もなく、肩の力の抜けた感がいい。韓国現代史選の趙炳華「別れる練習をしながら」と 世界観が近い?
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"雪崩のような報道も ありきたりの統計も
鵜呑みにはしない
じぶんなりの調整が可能である
地球のあちらこちらでこういうことは起っているだろう
それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして
一人と一人のつきあいが
小さなつむじ風となって"(p.66) -
p.2021/8/6
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茨木のり子さんの詩とエッセイの集、その3つ目。あはためて、今どき滅多に見かけない「きちん」とした方であられたろう、と思う。
自己に対する、他者をみるときの、くにを顧みるときの、姿勢が、するどい。
鋭利なだけでなく大切なことを見つけ出さんというばかりに射ているのかもしれないと思う。
かと思うとしたしみやすさも感じさせる自由なことばの使い方!
詩と称して思いついたことをぽやんと並べている方々はご一読くださいなと言いたくなる。……自分の書く物語・文章へのブーメランにもなるけれど。イタタ。
隣国への思いなどは「あの人の棲む国」を、手本に願いたいし、ユンドンヂュ氏の詩集も、かなうことならばひとり読んでみたいと考える。
そして思う。「反戦」も「くにを愛する」ことも、熱に浮かされては決していけないのだ。 -
とても大好きな一人は賑やか
自分の好きな詩だけを集めたアンソロジー
作りたいなあ