語る禅僧 (ちくま文庫 み 28-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (369ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480427588

感想・レビュー・書評

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  • 恐山の南直哉さんが語る仏教の考え方。この手の本にありがちな教義を大上段に振りかざした説教じみたものでは全くなく、目の前の自分と逃げずに向き合いしっかり悩むこと、そのとき、サポートしてくれるのが仏教の考え方だと語る。
    ご自身が出家された経緯や、アメリカでの禅修業の体験記なども盛り込まれていて、親しみのわく内容。
    初版が古書店で高値をつけていたことも納得できる、長く手元に置きたい一冊。

  • 『<a href="http://mediamarker.net/media/0/?asin=4309410480">集中講義 これが哲学!</a>』や『<a href=http://mediamarker.net/media/0/?asin=4062766116">「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ</a>』と内容のかぶるところがなんと多いことかと、読んでいてびっくりした。「しょうがないなぁ」に背筋の凍る思いをしたものの「言い換えてみよう」の発想は秀逸。併録された体験記が読みにくいのが残念。

  • 「他者との関係の中で織り出されてくる社会的な役割としての「私」、それを「私」として口に出して言い、その言葉に意味を感じているというそのことーここに生じているズレ、このズレが引き起こす「今の私は本当の私ではない」という疼痛のごとき苛立ちに耐えて行くこと、それが私がいるということである。大事なのはズレをなくすことではない。そうではなく、ズレの調節である。ズレると言う事実が教える「私」の無根拠さを覚悟して、それが成り立つ条件を明瞭に見極め、しかる後に他者との関係から次の「私」をもう一度手作りしていくこと、この反復によって自己という振る舞いを充実し続ける事、それが自己をならって自己を忘れることである。あえて言うなら「成仏」する道はこれ以外にない。」214-215p
                  

  • 仏教界随一の理論派の、デビュー作がこれだったのね。
    デビューという気負いはあまり感じられず、いつものシャープな文章。

  • 半年ほどかけて、ようやく読了。面白くなかったわけではなく、脳が欲求したときに読んだので時間がかかっただけ。ただの、宗教解説本ではなく、筆者がなぜ仏教を選んだのか、の話。

  • ドグマを作らない宗教者の語りという印象。宗教という絶対を持ちながらも考えることをやめない姿勢に感銘を受けた。

  • 著者の実体験に基づく言葉は心に染みた。
    「自由とは?」「充実とは?」今、まさに自分が自問自答している問題に対して新たな視点を与えてくれた。何度も読み返したくなる一冊です。

  • 書評やレビューで評判が良かったので手にしたのだが、些か期待はずれ。
    現在は恐山の僧侶を務めるという筆者、本書のあとがきに
    「恐山で受けた最大の衝撃は<死者>の存在である。-略- その<死者が>、恐山には、見逃しようもなく厳然と存在する。それは眼にも見えず、触れられもせず、声も聞くことはないが、生きてゐる人間とはまったく違い仕方で、存在しているのだ。」
    あるいは「死者は存在する。ときとして、生きてゐる者よりはるかに高い強度で、存在する。」などと記しているあたり、もっとも共感できる。

  • タイトルの通りとにかく「語る」、迷いも、悩みも、怒りも、直截に「語る禅僧」です。

    生と死とは何か、その難問に仏教がどう関わり得るか、迷いも見せながらその問題から逃げないというスタンスは一切が揺るぎません。その問題に少しでも悩んだことがある人、あるいは今でも悩んでいる人は是非読んでほしいと思いまう。迷いは晴れないが、それで生きていけることがひしひしと伝わってきます。

    10年経って振り返る目線から書かれた文庫版あとがきの、恐山に関するエピソードは非常に印象的でした。全然関係ないようですが、こうの史代が「この世界の片隅に」で読者を連れて行ってくれた死生観に非常に近いものが別の角度から語られていました。幽霊などの議論ではなく、死者はそこに語りかけ想いを馳せる人が生きている限りは紛れも無く「いる」という感覚、それには非常に共感ができた。

    99年に出版されて以来10年以上経ってからの文庫化とのことだが、もっと早くにしてほしかったです。そして、また10年後に読みたい本です。

  • 氏の著作としては読み易く、興味ある方にはぜひ勧めたい。本編も良いが、今回の文庫化に伴って書かれたあとがきの次の一節に是非触れて欲しい。私はここで不覚にも涙がこぼれてしまいました。(以下引用)
    「なぜ」が、〜中略〜対象を問いとして暴露しているのだ。

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著者プロフィール

1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店に勤務。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、大本山永平寺に入山。以後、約20年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代。著書に、『語る禅僧』(ちくま文庫)、『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『「問い」から始まる仏教――私を探る自己との対話』(佼成出版社)、『老師と少年』(新潮文庫)、『『正法眼蔵』を読む――存在するとはどういうことか』(講談社選書メチエ)、『出家の覚悟――日本を救う仏教からのアプローチ』(スマラサーラ氏との共著、サンガ選書)、『人は死ぬから生きられる――脳科学者と禅僧の問答』(茂木健一郎氏との共著、新潮新書)など多数。

「2023年 『賭ける仏教 出家の本懐を問う6つの対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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