脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.84
  • (36)
  • (36)
  • (32)
  • (8)
  • (2)
本棚登録 : 517
レビュー : 49
  • Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480427762

作品紹介・あらすじ

意識とは何か。意識はなぜあるのか。死んだら「心」はどうなるのか。動物は心を持つのか。ロボットの心を作ることはできるのか-子どもの頃からの疑問を持ち続けた著者は、科学者になってその謎を解明した。「人の『意識』とは、心の中でコントロールするものではなく、『無意識』がやったことを後で把握するための装置にすぎない。」この「受動意識仮説」が正しいとすれば、将来ロボットも心を持てるのではないか?という夢の広がる本。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 面白かった。

    受動意識仮説とは、一言で言うと、「意識は司令塔ではなく単なる観察者である」という考え方。
    普段意識している「私」が行動を決定している、というのは錯覚で、行動は無意識下でたくさんの私の中の小人さんたちが多数決の上で決定している。意識はそれをエピソード記憶のために傍観しているに過ぎない。

    今まで信じてきた全てが覆されるような気もするが、なんか普通に受け入れられた。
    むしろ、そうであるからこそ、日々の積み重ねというのは重要だな、と思った。

    途中、「私の中の私を意識する私」みたいなたくさんの「私」が登場して混乱しつつもなんとか読了。
    前野さんの言っていることの半分も理解していないと思うが、勝手に満足。

  • 「受動意識仮説」の一般向け書籍ご本尊。

    受動意識仮説を私の理解で要約すると「意識は心の主人ではなく、膨大な無意識が処理した結果が都合良く要約されたものを、下流で観察するだけの役割である」というものだ。「心の処理結果が出力される先」といっても良いかも知れない。

    指を動かそうと意識するより前に指を動かす準備が脳内ではじまっているという有名な実験や、脳がいかに事実と異なる(が整合性をもって解釈できる)ように時間や空間をねじまげるか(錯視やもっと複雑な実験)、などが傍証として挙げられる。

    はじめて受動意識仮説を知った時は感動したのだが、今回は「うん、そうだよねー、それが自然だよね」と思いながら読んだ。自分の意識が自分をコントロールしているとは私にはとても思えない。たびたび「(この仮説は)実感に反する」という言葉が出てくるが、私の実感にはおおむねあっているように感じた。

    「「意識」は無意識の結果をまとめた受動的体験をあたかも主体的な体験であるかのように錯覚するシステム」であり、自分が自分であると認識する仕組みは「「〈私〉というクオリアは〈私〉である」という脳内定義に従う錯覚現象に過ぎない」。これは、本書の重要な結論のひとつだと思う。しかし、ではこの錯覚している主体はなんなのか、というのは脇に置かれたままだ。いや、脇におかれているわけではなく、ここまでを受け入れるならば大して重要なことではない、と言っている。錯覚しているシステムそのものは、自分から自分の個性を取り除いた小さく無個性で普遍的な仕組みなので、失うことを怖れる必要はないということなのだ。

    私はここには完全に納得できていない。錯覚している主体である〈私〉とはなんなのか、これでは説明できたとは言えない。

    とはいえ、膨大な無意識とそれを観察するシステムを備えた機械を作ったときに、そこに意識のような現象が観察されたならば、それは実際に意識なのだろうなとも思っている。そこに「錯覚している主体」があるかどうかは、決して外から判断することはできないけれども。

  • とある小説の参考文献に使用されていて興味が湧いて読んだ。
    自分の意識はエピソード記憶のための脳による錯覚、
    脊椎動物と無脊椎動物の脳や意識。
    夢の意味。ロボットの心、死とはなにか。
    哲学者、宗教家たちがたどり着いた答え。
    著者が呼んでいる受動意識仮説とは、なかなか衝撃的だった。
    難しい内容で何度も読み直したので読了まで時間かかったけど、今まで考えたことがなかったことが次々に出てきた。この分野に興味が出てきたのでしばらく関連文献を読みあさろう思った。

  • 確かに、判断する前に手がうごいていることを認識することが、しばしばある!

  • ・無意識ですることの技を磨いた人がスポーツ選手や職人さん?無意識を意識化した人が、哲学者や心理学者?

     脳には、赤いリンゴを見た時、色を認知する小びとがいる(ニューラルネットワーク)。

     丸い形だということを識別する小びともいる、これらの結果を受けて「赤くて丸いこの物体はリンゴだ」という答えを出す小びとがいる。情報は、意識されるとき以外は、小びとたちによってせっせと「無意識」のうちに処理される……。

     そう言われてみると、電車に乗り遅れまいと駆け込み乗車したり、赤信号になった交差点を突っ切ったり、冷静に考えると危ないし、大きなメリットがない行為をしてしまうことがある。あれは、もしかしたら、小人の仕業だったのか?

     自分も含めて、他者から見て「この人、軽率だなぁ~」、と思われるような人は、おそらく、意識して行動しているのではなく、小人たちによって行動している人なのではないでしょうか?しかも、その行動を、あたかも自分の意思でコントロールしているような錯覚に陥っている恐れがあります(^^ゞ

  • 全体から漂う「オレってすごいでしょ」感はちょっと気になりますし、「仮説」にしては断定的にすぎるように感じますが、ただ内容はとても興味深い。
    脳はなぜ「心」を作ったのか。「どのようにして」ではなく「なぜ」を考えているのが良い。
    ・「意識」は脳内のニューラルネットワークの活動の結果だけを「受動的」に受け取っている観察者にすぎない
    ・「意識」が主体的に何かを決断しているように感じるのは脳が作り出す錯覚にすぎない
    ・「意識」はエピソード記憶をするために存在している
    ・感情はクオリアを鮮やかにし、エピソード記憶にメリハリをつけるために存在している

  • 「私」は錯覚

  • 2020.22

    ・心は無個性な小人の反射で成り立つ。
    ・意識的に動かそうと思うよりも、無意識的に筋肉を動かす信号のほうが早い。
    ・知情意、記憶と学習、意識が脳の役割

  • 心の地動説はインパクトのある内容であった。脳や意識について今まで詳しく考えてこなかったが、説明されるとなるほどと思えることばかりであった。

  •  茂木健一郎の、「脳と仮想」と合わせて読むと面白いだろう。
     人の意識と、この「赤」といったクオリアの議論について踏み込み、それは錯覚であることを述べている。

    【人は、定義されているために必然的に触感覚や自己意識を感じているに過ぎないのに、あたかも物理現象を超えた形而上のクオリア感受特性を持っているかのように錯覚しているだけの自動機械なのだ】

    【クオリアの表現方法が不思議なのではない。クオリアは言語と違って空間的に分布したパターンを持つから、まだ言語のように普遍化されていないというだけであって、表現のしかたそのものが謎なのではない】

     クオリアは、「今」というある瞬間に、同時に感じる多次元空間パターンである。それが時間とともに刻一刻と変化していく。

    【あなたの意識である「私」は受動的で、そのクオリアである<私>は無個性だけれども、あなたの無意識の中にいる小びとたちは個性的なのだ。】
    【本当は、あなたの無意識のほうにいる小びとたちの多数決によって、努力しようとしたり、はめをはずそうとしたりするあなたの心は作られている。】

    【<私>という自己意識のクオリアを感じるように作られている】として、例が面白い。
     自分の完全なコピーを培養器で作って、もし自分二号ができたのならば、その自分二号は、自分の記憶のことを自分独自のクオリアと言うだろう。
     しかし、実際にはそのクオリアは自分一号と同一のものだ。むしろ、独自と思わされている感覚が脳に備わっているのであり、クオリアそのものがあるわけではないという。

     結果をまとめるもの、エピソードを記憶するための機能として、意識はあるのであり、知情意などの様々な情報一つ一つの集合した結果を眺める存在が「意識」なのだ。

     下條教授の実験で、脳の視覚野付近に置いたコイルに電流を流して磁場を作り、磁場の影響によりニューロンの活動を阻害して、人の視覚をだますという実験を行った。赤色、縞模様、緑色をみせて、縞模様のところに電流を流すと、人間は赤、空白、緑色を反応するだろうと思われた。しかし結果、人間の反応は赤、緑のみの反応で、空白を勝手に埋めていた。
     意識が騙されているだけで、意識のむこうに、何かがいるわけであり、それを著者は「小びと」と呼んでいる。意識が何かを意図するとき、そのまえに脳内の小びとたちが活動し、その活動結果を受け取って、「自分」がはじめに意識したと錯覚している。あの赤い夕陽、あの青い空、それは自分が意識して感動したものではない、小びとがそれを作り出して、意識を感動させているのだ。エピソードとして記憶させようとしているのだ。それが、生きるために必要だからである。
     空白は小びとが埋めた。自我は、複雑な情報処理機関の下流に位置しているものである、という。

全49件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

慶應義塾大学大学院教授

「2020年 『7日間で「幸せになる」授業』 で使われていた紹介文から引用しています。」

前野隆司の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ウォルター・アイ...
ジャレド・ダイア...
ヴィクトール・E...
村上 春樹
シーナ・アイエン...
有効な右矢印 無効な右矢印

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする
×